東京・春・音楽祭2025 ルドルフ・ブッフビンダー(P) シューベルトの世界��
〇2025年4月15日(火)19:00〜20:50
〇東京文化会館小ホール
〇P列37番(最後列から8列目、ほぼ中央)
〇シューベルト「4つの即興曲」D899
同「ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調」D960(約35分、繰り返し全て実施)
+ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第17番ニ短調」Op31の2より第3楽章、アルフレート・グリュンフェルト「ウィーンの夜会−ヨハン・シュトラウスのワルツによるコンサート・パラフレーズ」Op56
![]()
これが正しいシューベルト
昨年の東京・春・音楽祭ではベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲リサイタルを開いたブッフビンダー。私も1日だけ聴きに行った(こちらを参照)が今一つ印象に残らなかった。しかし、別の日のリサイタルを聴いた人から「アンコールのシューベルトが素晴らしかった」と聞き、今回は珍しく3回公演のセット券を購入。今夜はその初日。ほぼ満席の入り。
即興曲の1曲目、ハ短調。スコア上冒頭のGのユニゾンはffの指示だがびっくりするような音量ではない。びっくりしたのは続く右手ソロの主題。最初はレガートだが4小節目3拍目のCで一旦立ち止まり、次のD−Esの付点のフレーズを丁寧に奏でる。さらにびっくりしたのは、続く和音で同じフレーズを弾くときには、立ち止まらずにインテンポでさらりと弾いたこと。9以降右手ソロのメロディを和音で繰り返すという同じパターンが出てくるが、そこも同様。
その後は和音によるメロディをしつこいほど繰り返しながら徐々に音量を上げていくが、次に驚いたのはffになっても聴く者を圧倒するような響きでなく、あくまで軽やかさが保たれていること。何とも不思議な音楽空間だ。
変ホ長調の2曲目、スコアの指示はpだがppくらいで弾き始める。速めのテンポで右手がサラサラと弾いていくのはともかく、通常は左手のタターの伴奏が緊張を高めていくのだが、9のfになっても、37や39でfpが入っても一向にそのような気配がない。かと言って一本調子なのではない。春のそよ風が頬を撫でるような音楽。
ロ短調に転じる83以降で曲想が変わるかと思えばさほどでもない。歯切れよさは加わるが軽い音質に変わりがないので、ドラマチックな雰囲気が全くない。それよりも右手の主旋律の息長いフレーズ感が心に残る。
主部に戻った後再びロ短調に転じるコーダも同様で、通常なら最後の和音に向けて畳みかけるように緊張を高めていくのだが、ほとんどアッチェランドをかけずに280以降の和音もあっさり響かせて終わる。
変ト長調の3曲目は終始抑え目の音量でレガート重視。他の奏者なら静かな流れに耐え切れず、数少ないfやアクセントを目立たせようとするが、そんな気配は微塵もない。
変イ長調の4曲目、スコアの指示通りppでささやくように始める。左手がメロディを奏でる47以降、徐々に音楽が広がっていくが、64のffに至っても、山の頂上と言うより、少し小高い丘に登ったような気分。68以降の左手の和音も軽い。72以降の右手のメロディが心地良い。
嬰ハ短調に転じるトリオ、右手のメロディに重なる左手の8分音符の和音の連続が通常なら緊張を高めていくのだが、あくまでメロディに対する伴奏の位置付けで、一歩奥に控えたままで進んでゆく。
最後の和音、スコアでは4分音符でフェルマータはかかっていない。ここも軽く響かせるが、ピアノから手を放し、長めに延ばして余韻に浸っている。
全体的にメロディパートに彼独特の節回しが加えられていて、唸らされる。彼の頭の中で歌詩を付けて歌っているのではないか?
ソナタ第1楽章、静かな出だし。左手のFの連打を強調する奏者もいるが、控え目。34以降クレッシェンドをかけるがここでも聴く者を圧倒することなく、36以降もメロディの流れを重視。
嬰ヘ短調に転じる48以降、なぜか左手のメロディより右手の4分音符のフレーズを強調。まるでこっちの方がメロディだと言わんばかり。繰り返される54以降は右手を少し抑えるのでまだ左手の方が聴こえるが、彼の癖なのか?
1カッコに入って冒頭に戻る直前の左手低音のトリルでこの日最も大きな音量を響かせ、聴く者の心胆を寒からしめる。この楽章で頻繁に登場するフレーズだが、ここだけffzなので、その後pppで奏でられても残響が蘇る。
第2楽章、右手が二和音で奏でるメロディを、1986年ハンブルクで聴いたポリーニはレンガのように積み上げていったのだが、ブッフビンダーの和音は豆腐のように柔らかい。これでは積み上げられない。ではどうするか?彼はこの和音を、左手が点線のように奏でる音の流れに乗せてゆく。9以降右手のメロディが三和音になっても同じアプローチ。これでポリーニとは全く異なる音楽世界ができあがる。
イ長調に転じる43以降も右手のメロディと左手の16分音符の連打とのバランスが絶妙。だいぶ彼のスタイルが耳に慣れてきた。
第1楽章の後少し間を取ったが、第2楽章以降はアタッカで弾き通す。
第3楽章、終始音楽は軽やかに進む。38などのfpのスタッカートもさらりと。変ロ短調のトリオも暗い音色だが鬱屈した雰囲気はない。
第4楽章、やはりレガート重視でメロディの軽やかな流れを維持。2小節の全休止の後の156以降、ヘ短調の和音の連続になっても重厚感はついぞ訪れない。付点のリズムを繰り返すうちにいつの間にか最初の軽やかな雰囲気に戻る。
終盤の512以降、プレストになっても元のテンポが速いのでさほど違いはない。この曲も最後の音はスコア上4分音符でフェルマータなしだが、やはりピアノから手を放し、余韻に浸る。
終始速めのテンポと軽いタッチのフレージングで一貫。曲のメロディを自然に浮き立たせて息長く歌わせ、その他のパートは伴奏としてメロディを引き立てる。ブッフビンダーがそのような演奏スタイルを打ち立てたのではなく、シューベルトが元々そのように曲を作ったのだと言わんばかりの自信に満ちた演奏。こういう演奏を聴かされると、今まで聴いてきたシューベルトの演奏は全て間違いで、彼こそが正しいシューベルトなのだと納得するしかない。
アンコールの「テンペスト」第3楽章も、彼がシューベルトで用いたアプローチによく合っている。彼にはこの曲がシューベルトの世界の先取りに聴こえるのかもしれない。
鳴り止まぬ拍手に、帰りかけてまたピアノに戻ってアンコール2曲目。「美しき青きドナウ」「こうもり」などが出てくるヨハン・シュトラウス2世のワルツのパラフレーズだが、ホイリゲで酔っ払った勢いで弾いている雰囲気。楽しいが、正直このアンコールは蛇足。彼が示してくれた「正しいシューベルト」をしっかり耳に焼き付けて帰りたかった。まあ、まだ室内楽のコンサートがあるからいいか。
![]()