新国立劇場「トリスタンとイゾルデ」(6回公演の4回目)
○2024年3月23日(土)14:00〜19:35
○新国立劇場オペラパレス
○2階3列44番(2階3列目上手側)
○トリスタン=ゾルターン・ニャリ、イゾルデ=リエナ・キンチャ、マルケ王=ヴィルヘルム・シュヴィングハマー、ブランゲーネ=藤村実穂子、クルヴェナール=エギルス・シリンス、メロート=秋谷直之他
○大野和士指揮都響(12-12-10-8-6)、新国立劇場合唱団
○デイヴィッド・マクヴィカー演出

求め、憧れ、待ち焦がれた再演

 大野和士が新国で新制作の「トリスタンとイゾルデ」を振ったのが、2010年12月。そこから13年以上を経て、芸術監督としての再演。プレミエのときは、大野が新国で振るのを待ちに待った末の公演だったが、今回は、芸術監督として振ってくれるのを待ちに待っての公演となった。ほぼ満席の入り。

 演出については2010年公演のレポートを参照されたい。そのときと異なる点あるいは記憶違いだった点のみまとめておく。

 第1幕、後半トリスタンがイゾルデと対面する場面。トリスタンは剣を外して脇に置いてイゾルデの問いに応える。償いを求められると、剣を鞘から抜いてイゾルデに差し出す。イゾルデは剣を取るが、「それでは王に申し訳ない」と歌って床に投げ出す。
 最後の舞台裏のTpによるファンファーレは録音による演奏と思われる。

 第2幕、狩りのHrも録音による演奏。
 マルケ王は下手から杖を突きながら登場し、堤に上がり、メロートをたしなめた後歌いながら階段を降りてくる。嘆きの歌を続けながら、トリスタンの肩に手を掛けたり、イゾルデに近付いたりする。トリスタンの「その問いに答えられる者はおりません」を聴くと、階段のところで無言で倒れる。
 最後の決闘の場面、トリスタンは剣を捨て、メロートと向き合い彼の肩を両手で持って引き寄せることで、彼の持っていた剣に刺される。

 第3幕、トリスタンは、終始左手は傷口を守るように抱えたままの姿勢。右手でマントを外しかけたり羽織り直したりしながら歌い、イゾルデの船が近付いて喜ぶシーンでも傷口を見せることなく右手の動きだけで喜びを表現。

 タイトルロールの2人は、2人とも当初発表された歌手から変更となったが、いずれも立派な歌いぶり。ニャリはハンガリー出身、少し声の線が細いものの貫通力のある声質で、若き英雄にふさわしい。第3幕の長丁場も危なげなく歌い切る。キンチャはラトヴィア出身、2019年「タンホイザー」でエリーザベトを歌っている。こちらも強靭だがヴィブラートの少ない声で、特に高音の響きの安定感が抜群。第2幕前半で歌いながら客席に背を向けて階段を昇るシーンがあったが、そのあたりの演技の微修正を行えば言うことなし。
 脇を固める歌手たちも充実。シュヴィングハマーは、声量は十分でも一本調子の歌い方になりやすいマルケ王の「嘆きの歌」を、ときに重々しく、ときに厳しく、ときに柔らかな響きを駆使しながら情感豊かに歌い上げる。シリンスは2014年「パルジファル」のアムフォルタスなどに登場、こちらは対照的に無骨なクルヴェナールを朗々とした響きで聴かせる。
 そして、我らが藤村のブランゲーネ。終始外国出身歌手たちと互角の声の存在感を示す。第1幕ではキンチャと緊張感あふれるやり取り、第2幕の「警告の歌」にはジーンと来る。

 都響は2010年の東フィルと比べ、響きの安定感とまとまりの良さでは勝っており、音楽の流れがか細くなることがない。その一方でフレージングについては良くも悪しくも整っていて、第3幕マルケ王到着の場面などの弦のフレーズは、もっと切迫感をあおってほしい。大野の指揮もいつもよりは無難な音楽運びに徹していたように聴こえる。

 全体のカーテンコールが一段落した後、再び緞帳が開き、シュヴィングハマー、シリンス、藤村、ニャリ、キンチャの5人が再登場。大野も加わり、6人によるカーテンコール。
 

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