新国立劇場「トリスタンとイゾルデ」(5回公演の2回目)
○2010年12月28日(火)17:00〜22:50
○新国立劇場オペラパレス
○3階1列3番(3階最前列)
○トリスタン=ステファン・グールド、イゾルデ=イレーネ・テオリン、マルケ王=ギド・イェンティンス、ブランゲーネ=エレナ・ツィトコーワ、クルヴェナール=ユッカ・ラジライネン、メロート=星野淳他
○大野和士指揮東フィル(16-14-12-10-8)、新国立劇場合唱団
○デイヴィッド・マクヴィカー演出

求め、憧れ、待ち焦がれた公演

 大野さんが初めて新国立劇場で振ったのは98年5月、最初のレギュラー・シーズンの2演目めの「魔笛」だった。この公演は新国の将来にとって極めて重要なものだった。なぜなら、当時から将来の芸術監督候補と目された指揮者が、当時関係の深かった東フィルでなく新星日響を振っての公演だったからである。もちろん当時はまだ東フィルと新星日響が合併するとは誰も予測してなかったわけだが。
 その後ファンはヨーロッパで急成長する大野さんが新国で再び振ってくれることをひたすら求め、憧れ、待ち焦がれた。12年という月日は決して短くなかったが、ようやく実現。5回公演のチケットはすぐに完売となり、オークションでも熾烈な争奪戦が繰り広げられた。もちろんほぼ満席の入り。

 前奏曲が聴き取れないくらいの弱音から始まる。Vcのフレーズに待ち切れないかのように木管の和音が加わる。"Niemals eilen! Eher breiter werden!"(慌てて!より広く!)と指示された箇所以降繰り返される弦の下降音型と上昇音型の組合せがこんなに甘美に聴こえたことがあっただろうか?この間舞台では下手端奥から白い太陽が昇る。その光が床の水辺に映る。しばらくするとその上を霧のように白煙が広がる。太陽は徐々に昇り天井近くに達すると上手へゆっくり移動し、黄色くなる。舞台一面にはられた水を、夕陽が照らす山脈の影のような光の帯が囲む。中央奥から右舷側の側壁がなく左舷側の側壁から舳先にかけては骨組みだけの船がゆっくり進み、右舷を客席に向け、舳先を上手に向けて手前の岸に泊まる。甲板のほぼ中央にイゾルデがうずくまっている。

 第1幕、水夫の歌が舞台裏から聞こえるとイゾルデは顔を上げ、歌が終わると立ち上がる。裾の長い水色の衣裳。ブランゲーネは下手から登場。薄い小豆色の衣裳、頭に布を巻いている。イゾルデは嵐を呼ぶと「タイタニック」風に舳先に立って両手を広げる。
 船が舳先を奥に向けて回り、後方が岸につながる。イゾルデがトリスタンのことを話題にすると岸に上半身裸の男たちに囲まれてトリスタン登場。ブランゲーネがイゾルデのメッセージを伝えに行くと男たちは彼女の服を引っ張るなどしてからかう。クルヴェナールたちに侮辱されてブランゲーネが船に戻ると船は再び横向きに。
 イゾルデがこれまでの顛末を歌い始めると太陽が夕陽色に変わり水辺近くまでゆっくり降りてくる。ブランゲーネは舳先の陰から薬箱を取り出す。愛の薬は瓶の中が赤く、死の薬は黒い。イゾルデは死の薬を握りしめ、ブランゲーネが取り戻そうとしても応じない。下手からクルヴェナールが現れて到着が近いことを告げると、イゾルデはトリスタンを呼ぶよう命じる。クルヴェナールが足元定まらぬ様子で退場すると、イゾルデはようやく死の薬の入った瓶をブランゲーネに渡す。ブランゲーネがそれを箱にしまうと下手からトリスタン登場。2人に挟まれた格好になったブランゲーネはそそくさと箱を持って下手へ退場。
 ブランゲーネはサラダボウルのような入れ物に薬を入れて持ってくる。イゾルデはそれを飲むようトリスタンに突き付けるが、彼は逃げ回る。ようやく決心した彼が薬を飲むとイゾルデはそれを奪って残りを飲み干し、器を投げ捨てる。次の瞬間見つめあった2人は抱き合う。
 クルヴェナールがマルケ王の到着を告げると、男たちが水辺に下りてはしゃぎながら上手へ退場。ブランゲーネはイゾルデを何とかトリスタンから引き離し、黒の上着を着せる。男たちが上手から再び入ってきて舞台手前に1列に並び、両手を突き上げる。太陽が徐々に昇ってゆく。合唱は全て舞台裏で歌われる。

 第2幕、上手奥から下手手前にかけて堤が伸び、下手端近くに階段。その先に立てられた棒の先に松明が燃えている。堤のほぼ中央に石の塔、上方に土星の輪のようなものがかかっている。堤の手前の岸が第1幕より少し奥まで伸びている。
 塔の下で不安そうに立つブランゲーネ。下手からイゾルデ、黒の衣裳で登場。舞台裏から狩のテーマが鳴る間、松明を持った上半身裸の男たちが水辺を行き交い、
 イゾルデが松明を水辺に投げ捨てると、ブランゲーネは堤の奥へ退場。上手からトリスタンが登場。やはり黒い服だが全体に散りばめられた装飾が星空のように輝く。2人は徐々に近づき、片手を取り合ってから抱き合う。その後階段へ移動。光の帯がだんだん消え、塔の上の輪が青白く輝く。ブランゲーネは堤の奥から出てきて1回目の警告の歌を歌うとその場に横たわる。
 2人は立ち上がり、上手へ移動して向かい合いながら歌う。ブランゲーネは2回目の警告の歌を歌うと奥へ退場。
「愛の死」のテーマが頂点に達すると舞台全体が明るくなり、下手奥に擦り切れて薄汚れた四角い帆が降ろされる。水辺には1幕と同じ格好の男たちが剣を抜いて走り寄ってくる。堤の向こう側からまずクルヴェナール、続いてメロートが登場。しばらく遅れて杖を突いたマルケ王登場。王は家臣たちの剣を収めさせる。王が"wohin ist Tugend"「美徳はどこにあるのか?」とトリスタンに問いかけると彼は振り向き、王は後ずさりする。王は家臣たちに答えを求めるがみな王から視線をそらす。王はさらに歌いながらトリスタンの首を左手で抱き、その先のイゾルデの周りをゆっくり一回りして階段のところまで戻ってくる。イゾルデは水辺にひざまずく。
 王の問いに対しトリスタンが"das kann ich dir nicht sagen"「その問いには答えられません」と歌うと王は階段のところでうめき声を上げて倒れる。さらにトリスタンが"das kannst du nie erfahren"「答えられる者は誰もおりません」と歌うと、再びうめき声を上げて右手を突き上げて助けを求める。メロートが駆け寄り、王を立たせて堤の上まで連れて行くが、王は彼の手を振り払う。
 メロートがトリスタンに打ちかかろうとすると、トリスタンはそれを交わし、家臣たちに向かって威嚇しながら下手端のクルヴェナールのところへ行き、剣を抜く。一度はメロートと戦うが、すぐに自分の剣を投げ捨て、刺されて倒れる。イゾルデとブランゲーネが駆け寄る。

 第3幕、手前の岸は下手に向かって坂になっている。夕陽色の太陽がホリゾントのほぼ中央に。夕陽色の帯。上手の木の椅子に座って眠るトリスタン。その上手側、石を積んだ椅子に腰掛けるクルヴェナール。
 牧童はEHrのソロが終わってから下手に登場、クルヴェナールとのやり取りが終わると笛を吹きながら退場。クルヴェナールが自分の頭をトリスタンの頭にくっつけていると、トリスタンの目が覚める。彼はしばらく椅子に座ったまま歌う。イゾルデを求めるうちに立ち上がって歌うが、苦しみのあまり倒れる。
 ""(いや、そうではない)以降トリスタンは下手の丘にもたれながら歌い、クルヴェナールは坂の途中で横になって付き添う。
 船が見えた合図が伝えられると、太陽はさらに赤くなる。クルヴェナールがイゾルデを迎えに上手へ退場すると、トリスタンは傷口を開くようにしながら歌う。両手は血まみれになり、倒れる。
 イゾルデは上手から登場、赤い服に黒のマントを羽織っているように見えるが、マントを取ると裏は赤いスカートでつながっている。歌い終わるとトリスタンに寄り添う。
 牧童と船乗りが王たちの来訪を告げると、クルヴェナールは石を積んだ椅子の脇に差してある剣を取り上げ、上手から出てきたメロートを討つが、水辺から現れた男たちに取り囲まれ、討たれる。続いて上手からマルケ王、下手の坂からブランゲーネ登場。王は歌い終わるとトリスタンが寝ていた椅子に座り込む。
 イゾルデが起き上がって「愛の死」を歌い始めると太陽は次第に白くなり、上手へ移動。歌い終わると1人立ち上がって水辺を奥へ向かってゆっくり歩いてゆく。太陽は沈み、光の帯は消え、舞台が暗くなる中彼女の赤いスカートの長い裾だけがいつまでも眼の中に残る。

 「オテロ」以来本水が新国名物になったような感がしないでもないが、「トリスタン」の雰囲気にはよく合う。無駄のない舞台の中で太陽と10人の男たちがドラマのアクセントを付ける。
 グールドは豊かな髭がマルケ王みたいな風情だが、終始輝かしい声がよく響き、第3幕の長丁場も難なく乗り切る。すばらしいヘルデンテナー。テオリンは第3幕でやや疲れが見えたが気品と芯の強さを備えた声はイゾルデにぴったし。ツィトコーワは鏡のような水面を思わせる透き通った声。第2幕の「見張りの歌」ではホロリと来る。イェンティンスは明るめの声だが老王のひ弱さを巧みに表現。ラジライネンも荒っぽさと愚直さを兼ね備えた歌いぶり。日本人歌手たちもそれぞれの役をしっかり歌い切る。
 大野さんの指揮は、終始遅めのテンポながら全く遅さを感じさせず、音の重さでなくキレで音楽を進める。東フィルも聴かせどころの金管のミスが目立ったものの、指揮者の意図を最大限応えていたと思う。

 何はともあれ、これが数年後の新国の姿かもしれないのだ。そんな思いがしばしば頭をよぎる。この公演が終わったら、その日が来るまでまたもファンは求め、憧れ、待ち焦がれる日々が続く。これこそがこの公演に秘められた「薬」なのだ。
 

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