マーラー祝祭オーケストラ第20回定期演奏会
○2022年9月11日(日)13:30〜15:25
○ミューザ川崎シンフォニーホール
○2階2CB4列32番(2階後方ブロック4列目ほぼ中央)
○メシアン「忘れられた捧げ物」
 マーラー「交響曲第2番ハ短調」(復活)(約86分)
〇S=森朱美、A=蔵野蘭子、東京オラトリオ研究会(63-34)(合唱指揮=郡司博)
〇井上喜惟指揮
 (14-12-13-9-9、下手から1V-Vc-Va-2V、CbはVcの後方)

私たちもそろそろ「復活」したい

 昨年5月聴きに行ったマーラー祝祭オーケストラの第18回定期演奏会では、まだ東京都に緊急事態宣言が発出されている時期だった。それから1年4か月、あのときより感染者数ははるかに多いにもかかわらず、政府・自治体による行動制限は全くなされていない。しかも今日は東日本大震災から11年半、米国の同時多発テロから21年という日でもある。そんな日に第20回の節目の演奏会として「復活」が演奏され、聴くことができるとは、開演前からいろんなことを考えさせてくれる。3,4階と合唱用のエリアを除くと9割程度の入り。
 弦楽器奏者もほとんどマスクはしていない。

 メシアン「忘れられた捧げ物」は12分ほどの曲。弦楽器を中心に穏やかな曲想の第1部、ティンパニの強打から速いテンポで細かいフレーズを各パートが次々と繰り出す第2部、Vcに始まり第1Vと第2V、Vaの一部奏者のみでゆっくりしたフレーズを重ねながら、徐々に天に昇ってゆくような第3部。それぞれ「十字架」「罪」「聖体」をテーマにした音楽。いかにもメシアンらしい透明な響き。しかし「復活」のウォーミングアップにしては、奏者たちにかなりハードな気がする。

 そのまま休憩なしで「復活」へ。合唱団員達もほとんどマスクはしていない。
 第1楽章、いつものように遅めのテンポだがさほど極端ではない。低弦の16分音符のフレーズも激しさよりは重厚さを感じる。葬送行進曲から48以降夢見心地の曲想に変わるが、まだ前の暗さを引きずっている感じ。117以降もまだすっきりしない。しかし、Hpが加わる362以降は見事に雰囲気が変わる。
 244の銅鑼は下手、246の銅鑼は上手に置かれたものを鳴らす。
 葬送行進曲風の箇所では途中からテンポが遅くなる場面がしばしば。最後の下降音型は一気に駆け降りるのでなく、砂山がゆっくり崩れるような感じ。

 ソリスト、オルガニストが入場。蔵野さんだけマスク着用だが、途中で外す。

 第2楽章、楽章間にチューニングしたはずだが、弦の音程が不安定。嬰ト短調に転じ管楽器も加わる133以降は一時的に目立たなくなるが、変イ長調に戻る210以降また気になってくる。この部分のピツィカートは楽器をギターのように持たせて弾かせる。最後の2つのピツィカートもやや乱れる。
 第3楽章、2台のティンパニの音程の差も気になる。弦の音程は少しまとまってきたが、190以降のピッコロの音程も不安定。だんだん聴く方も先行きが不安になってくる。そこへ天から稲妻が落ちてくるような全奏が決まったので一瞬安心するが、徐々に沈んでゆく曲想に再び不安が頭をもたげてくる。
 そんな私の心に喝を入れてくれたのが、第4楽章冒頭の蔵野さんの一声。天から光が注ぎ込んでくる。思わず涙がこぼれ、マスクでせき止められる。昨年5月と全く同じだ。すると気のせいだろうが、オケの音程もぴったり決まり始める。

 第5楽章、43以降のHrのバンダは2階席の外から演奏。62以降の木管の奏でるメロディに指揮者も参加。
 220以降の行進曲でも途中から一段遅くなる。
 448以降のTpのバンダは3階席ステージ後方の上手と下手に2人ずつ。Hrとティンパニは2階席の外から。
 472以降の最初の合唱、pppにしては大きいが、よくハモっている。486以降のソプラノ・ソロとのアンサンブルも美しい。561以降のアルト・ソロにも指揮者参加。
 最終盤の696以降、バンダの奏者たちもステージに戻って演奏に加わる。合唱は最後さすがにオケに消されがちだったが、音程は正確。力任せに叫ぶよりずっといい。

 演奏が終わるやすぐに拍手が起こる。かつては頻繁に起こったことだが、コロナ以降では意外と珍しい。
 井上のテンポは極端に遅いと感じる部分はほぼなく、死よりも生の力強さを感じさせる。弦楽器は途中で危なっかしい場面はあったものの、管楽器のアンサンブルは終始ほぼ安定しており、ソリスト、合唱のハイレベルの歌いぶりと相まって、聴く者に勇気と希望を与えてくれる。コロナだけでなくいろいろ閉塞感が募る中、私たちもそろそろいろんな意味で「復活」しないと、と思わせてくれる。
 

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