新国立劇場「ワルキューレ」(5回公演の3回目)
○2021年3月17日(水)16:30〜21:55
○オペラパレス
○3階3列30番(3階3列目ほぼ中央)
○ジークムント=村上敏明(T)(第1幕)、秋谷直之(T)(第2幕)、フンディング=長谷川顯(B)、ヴォータン=ミヒャエル・クプファー=ラデツキー(Br)、ジークリンデ=小林厚子(S)、ブリュンヒルデ=池田香織(S)、フリッカ=藤村実穂子(MS)ほか
〇大野和士指揮東響
(12-10-8-6-5)
〇ゲッツ・フリードリヒ演出

フリッカさまに従いなさい!

 首都圏では1月7日に緊急事態宣言が発令され、2度の延長を経て3月21日までで解除されることになりそうだが、この間先月の東京二期会「タンホイザー」に続いて新国の「ワルキューレ」と、ワーグナーを立て続けに観られるのは嬉しいことである。当初指揮する予定の飯守泰次郎は体調不良のため降板したが芸術監督の大野が最終日以外振ることとなったのもファンにとっては幸運なことだし、外国人歌手たちの来日が依然困難な中、かなり直前までキャスティングに苦労しながらも、上演にこぎつけた劇場側のご尽力にまずは感謝したい。
 客席制限はかけられていたが、私が座った3階席は市松配置にせず、両端一部に空席が見られる程度。来場者カード記入や検温、消毒にはすっかり慣れ、ロビーやホワイエで飲食できないことが、緊急事態宣言下であることをわずかに実感させる。

 演出については2016年新制作初演時のレポートをご覧いただきたい。以下、そのときから変更された点や新たに気付いた点を中心に書いておきたい。

 第1幕、フンディングが部下を率いて帰宅した場面、ジークムントを見つけると部下たちは一斉に懐中電灯の光を彼に向けて浴びせる。フンディングはコートを脱ぎ、受け取ろうとするジークリンデを制して自分で壁にかける。
 ジークリンデがスープをジークムントのために皿へよそっている途中で、フンディングは苛立ちを隠さずテーブルを叩き、自分の皿に入れさせる。ただ、ジークムントは結局皿のスープには口を付けない。フンディングはスープをよそって食べているが、ジークムントが話している間、ジークリンデとたびたび目を合わせるのを何度も見とがめ、とうとうスプーンを皿の中に投げ入れるようにして不快感を示す。
 フンディングは部下たちを帰らせた後、ライフルと槍、コートを持って上手奥のクローゼットへ仕舞い、鍵をかける。その後寝室へ。
 ジークムントはノートゥングの剣を右手だけで抜く。ジークリンデは喜ぶが、剣を撫でる仕草はない。2人は手を取り合って外に出、上手へ退場。

 第2幕、上手端、主舞台である扇型の床の下には乳母車やおもちゃの木馬、砂の城のようなものが雑然と並んでいる。ヴォータンが登場すると上手からスモーク。ヴォータンは倒れていた木馬を起こす。
 第2場、フリッカは下手手前に座り、自分でマフラーを外してセカンドバッグとともに床に置く。中央やや上手寄りへ移動し、ヴォータンはその手前。フリッカの動きは控え目で、首を差し出すような挑発的な仕草はない。ヴォータンは槍にしがみついてフリッカの言葉に耐えているが、ジークムントに加勢しないことを誓うと、跪く。
 ブリュンヒルデにこれまでの経緯を語る場面、途中で中央奥で船長風の上着を脱ぎ、手前に移動してから"das Ende!"(終末だ!)と叫ぶ。そして、自縄自縛となった身を自らあざけるように、上手端の木馬に乗る。
 ブリュンヒルデにフンディングを勝たせるよう命じた後、脱いだコートなどをまとめて退場するヴォータンの姿がどこか滑稽。
 第4場、ジークムントはヴァルハラへジークリンデを連れて行けないと知ると、自分の胸にブリュンヒルデが突き立てた槍を払いのける。
 剣でジークリンデを刺そうとするジークムント、ブリュンヒルデの槍で払いのけられると、そのままジークリンデの上に覆いかぶさり、ブリュンヒルデが自分に味方することを告げて去った後もしばらく動かない。
 ジークムントとフンディングの戦いの場面、舞台奥に立つヴォータンはジークムントの剣を砕くと客席に背を向けて立つ。フンディングの槍で刺されたジークムントは倒れるが、荒い息がまだ聞こえる。その隙にブリュンヒルデは剣を拾って倒れているジークリンデを連れて上手端へ移動し、盾で隠す。ヴォータンが奥へ退場した後、ブリュンヒルデは盾を外す。ジークムントの死体を見たジークリンデが駆け寄ろうとするのを追い立てるように下手へ向かって逃げさせるところで幕。

 第3幕第1場、ワルキューレたちの中には上衣がはだけて下着風衣裳が見えている者も。
 ジークリンデが上手へ退場すると、ブリュンヒルデは下手端に残した毛皮を取って慌てて既に退場した彼女に渡す。
 第2場、ワルキューレたちは下手手前でブリュンヒルデをしっかり囲んで隠す。彼女に罰が言い渡されると、全員奥へ下がるが、ヴォータンに対して一致結束して槍を向け、抵抗の意思を示す。しかし、ヴォータンが追い払うように槍を払うと、彼女たちもやむなく奥へ退場。
「哀願のテーマ」の頂点でブリュンヒルデが眠りに落ちるのは同じだが、彼女を寝かせると、ヴォータンは傍らに跪いて歌う。彼女の瞳に口付けすると、彼女は頭を左にだらんと傾ける。まず眠らせ、口付けでより深い眠りに落ちるという感じか。

 公演直前まで発表されなかったジークムントは第1幕と第2幕で別の歌手を起用するという、ビング時代のメトロポリタン歌劇場(ニルソン主演の「トリスタンとイゾルデ」でトリスタン役を3人の歌手が1幕ずつ歌う)を思い出させる苦肉の配役。第1幕の村上は表現力豊かな歌いぶり。途中で声がひっくり返りかける場面もあったが、最後のフレーズを力強く決める。第2幕の秋谷も声のパワーは十分持っているが、歌い方が一本調子。場数を踏めば成長が期待できる。長谷川は暗い声質がフンディングぴったり。声量も十分で敵役を見事にこなす。今回唯一の外国人歌手、ラデツキーは明るめの声が朗々と響く一方で、苦悩の表現も巧い。最初は楽天的だが一転して悲観と絶望に転じ、最愛の娘に対する素直な感情を隠さない、古典的なヴォータン像。
 メゾソプラノとして実績のある池田のブリュンヒルデはどうかと思ったが、高音もしっかり響かせていたし、もともと得意な中低音の表現で知的なブリュンヒルデ像を築き、ラデツキーとしっかり渡り合っていた。小林も豊かな声量と可憐な歌いぶりで、納得のジークリンデ。
 しかし、しかし、この日歌手の中で圧倒的な存在感を示したのが、藤村のフリッカ。歌い込んだ役柄とは言え、声量でなく「声圧」と言うべき力で場を支配し、ヴォータンに先制攻撃。夫を非難しながら決してヒステリックにならず、しかし着実に追い詰めてゆく。考えてみれば、フリッカのおかげで、この楽劇に登場する彼女以外の人物たちの運命が全て変えられてしまうのだ。聴き進むにつれて、「あなた方、この物語の主役が誰なのか、おわかりでしょうね?」とこちらにまで問い詰めているような気がして、息苦しくなったほど。ブラヴォーが許されない客席からひときわ大きな拍手が送られたのも当然。

 大野は、ワーグナー自身が認めたと言われる12型の小編成(Hp2台など管・打楽器も少なめ)を採用しつつ、いつもは最後方で舞台の床を気にしながら弾いているCbをVcの1列目のすぐ後ろから並ばせるなど、独自の工夫が見える。指揮ぶりも第1幕幕切れで煽るかと思えば第3幕冒頭はかなり遅いテンポを取るなど、いつもより緩急の幅が大きい。しかも彼にしては珍しく堅実さより劇的な高揚を求めたようなところがあり、東響もしばしばミスが発生するものの、第1幕のジークリンデに付ける弦や第3幕後半のブリュンヒルデの哀願に寄り添う木管など、唸らせる表現も随所にあった。また、第2幕幕切れでティンパニのクレッシェンドが早過ぎて、せっかくの上昇音型のメロディがかき消されたが、第3幕終盤「哀願のテーマ」の頂点へ持ってゆくくだりでは絶妙のバランスで盛り上げるなど、きめ細かな修正も怠らない。
 緊急事態宣言下でも公演を続けて行こうとする苦悩と決意が図らずも演奏に現れた、と感じるのはひとりよがりだろうが、終演後また劇場に来たいとしみじみ感じたのも正直なところ。ショー・マスト・ゴー・オンである。

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