高橋望ピアノ・リサイタル on 山の日
○2018年8月11日(土・祝)15:00〜16:50
○すみだトリフォニー・小ホール
○1階15列8番(最後方から2列目、ほぼ中央)
ベルク「ピアノ・ソナタ」Op1、シェーンベルク「3つのピアノ曲」Op11、同「6つのピアノ小品」Op19
 バッハ「ゴルトベルク変奏曲」BWV988(約42分、繰り返し全て省略)
+バッハ「平均律クラヴィア曲集第1巻」より「第1番ハ長調」前奏曲、ケージ「4分33秒」より第1楽章

山の日に音楽登山

「ゴルトベルク変奏曲」をライフワークとして毎年演奏するなど、バッハを中心に目覚ましい活躍をしている高橋望が、「山の日」の祝日にドイツ語の山=Bergの付く作曲家・作品を集めたプログラムを組む。Berg, Schoenberg, Goldbergと並ぶ。さしづめ「山さん」「美山さん」「金山さん」といったところか。9割以上の入り。

 ベルクのピアノソナタ、プログラムによると高橋はこの曲を弾くとオペラ「ルル」の場面を思わずにはいられない、と言う。調性はほとんど崩れているがどのフレーズもよく歌い、ロマンチックな雰囲気が濃厚に残っている。終盤で頻繁に登場する上昇音階が生への強烈な憧れを訴える。

 シェーンベルクのOp11について、高橋は各曲に表題を付けるとすれば「生成」「存在」「消滅」が相応しい、と記す。演奏を聴くと、1曲目は落ち着かない雰囲気、少なくとも生成の喜びは感じられない。2曲目では左手が低音部の3度のフレーズを何度も繰り返し、安定を目指そうとするのだが、いつも右手に裏切られる。3曲目は諦めの雰囲気が支配する。しかし、3曲とも彼独特の柔らかいフレージングで、全体を包み込むような優しさが伝わってくる。
 Op19も1分に満たない小品が続き、そのどれもが一瞬の感情をえぐり取ったような生々しい音楽なのだが、聴く者を突き放したり、逆に聴く者の心に突き刺さってくるような攻撃的な響きが一切ない。最後の6曲目はマーラーの葬儀の日に作曲されたものだが、静謐な祈りの音楽。こんなに温かくて慈悲に満ちたシェーンベルクもあるのか。

「ゴルトベルク変奏曲」はあくまで通称で、正式の作品名は「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏」であり、「山」とは関係ないのだが、まあこの際演奏者の遊びに素直に付き合うことにしよう。
 前回この曲を聴いたのは3年半以上前だが(こちらを参照)、今回は山の日にちなんで全体を第15変奏までとそれ以降に分け、1泊2日の登山という解釈で演奏(プログラムの解説が抜群に面白い)。
 冒頭のアリアはゆったりめのテンポで弾かれ、前回の印象とさほど変わらない。しかし、プログラム構成の関係で繰り返しを全て省略しているせいもあってか、変奏に入るとかなりのハイペースに感じる。あっという間に終わってしまう変奏もあり、ボーっと生きているとたちまち置いて行かれる。なかなかの「健脚」ぶりだが、確かに第7変奏は鳥の鳴き声のように聴こえるし、初めての短調となる第15変奏で夜となり、1日登った疲れと休息を迎える安らぎの気分が伝わってくる。
 「2日目」の第16変奏で頂上が見え、新たな気分で登り始める。道はだんだん険しくなり、よくよく注意しないと崖から滑り落ちそうになる場面も。しかし、全体的には軽やかな足取りで進んでゆき、第30変奏で頂上到達の喜びを元気よく歌う。

「平均律」の最初の曲で聴衆の興奮を鎮めようとするが、さらに会場は盛り上がり、手拍子する人々も。ここで楽譜を持って登場し、両手を鍵盤の上に置いたまま沈黙。この段階でケージの作品であることはみな気付いただろう。ただ、楽譜の開け閉めは1回だけだったし、「演奏」時間からしても「全曲」ではなく、「第1楽章」だけと解釈するのが適当では?とにかく何をするにもどこかにこだわりと工夫が込められていて、聴衆としては気が抜けない。

 3つの山からの眺めはどれも見晴らしがよく、見応えのあるものだった。次はどんな企画で私たちを驚かせてくれるのだろうか?

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