ユライ・ヴァルチュハ指揮読響(2回公演の2回目)
〇2026年9月20日(日)14:00〜16:00
〇東京芸術劇場
〇2階LBA列16番(ステージ下手側バルコニー、客席側から9席目)
〇グラズノフ「演奏会用ワルツ第1番ニ長調」Op47、チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」Op35(約34分)
+プロコフィエフ「無伴奏ヴァイオリン・ソナタニ長調」Op115より第2楽章(以上V=金川真弓)
ラフマニノフ「交響的舞曲」Op45(約35分)
(16-14-12-10-8、チャイコフスキーのみ14-12-10-8-6、下手より1V-2V-Vc-Va, CbはVcの後方)(コンマス=日下)

金川のチャイコにボロ泣き

 若手実力派のヴァイオリニスト、金川真弓が読響とチャイコフスキーを弾くとあっては、行かないわけにはいかない。台風の接近で雨が降ったり止んだりの生憎の天気だが、8割程度の入り。

 グラズノフ「演奏会用ワルツ第1番」、短い序奏に続いてワルツの主題が提示される。どこかで聴いたことがあると思ったら、かつてNHKFMのある番組のエンディングに使われていたことを思い出す。親しみやすく愛らしいメロディが心地良い。最高のオードブルを味わっている気分。

 そしていよいよ金川登場。第1楽章、やや遅めのテンポ。23小節目から始まるソロ、悠揚迫らぬ落ち着いたフレージング。35以降技巧的な部分が続くが、アクセントや短い休符を効かせつつ、レガートの流れは維持。その上で69以降イ長調の第2主題へ。早くも込み上げてくる。75で同じ主題を2回目に奏する部分、ソロの歌に惹かれるようにVcのフレーズが加わってきて、音楽に膨らみが出てくる。81から同じ主題が3回目、今度は1オクターブ下から。G線のふくよかな音が聴く者を揺さぶる。ここから発展して89から4回目、変ホ長調に転じて高音域で奏でられる。もう、ダメ。この時点で既に涙腺崩壊。97以降イ長調に戻って急速な上昇音階の連続、緊張を一気に高めてゆく。105〜106の重音も美しく、ガチャついたところが全くない。
 そして107のPiu mosso(今までより速く)で他の奏者なら一気にテンポを上げるのだが、金川はなぜかここで一旦テンポを落ち着かせる。pだからということもあろうが、16分音符の3連符の連続を、まるで獲物に襲いかかる前に息をひそめる獣のような雰囲気で弾いてゆく。そして、逆に111のPoco piu lento(今までより少し遅く)ではテンポを変えず、重音の連続を滑らかに弾いた後、119のpiu mossoでややテンポを上げ、その後は一気に頂点へ。しかし、ここまでのプロセスに全く強引なところがなく、あまりにもスムーズに音楽が流れるのに驚嘆。もう涙が止まらない。
 展開部160以降のソロ、その前にオケが華々しく鳴らした主題を引き取って、手の上で遊ばせる。多くの奏者はこの部分を一生懸命弾いているのに。168〜169はFg、176以降はFgとClの方を向きながら、楽しそうに合わせている。
 カデンツァにも、どこか余裕を感じさせる弾きぶり。多くの奏者が慎重に響かせる最高音のEもさりげなく、前後のフレーズとの一体性を保っている(はぁ、こんな拙い表現しかできないなんて、情けない)。
 223以降、再現部に入って細かい転調を繰り返すところでもそのたびにフレーズの音色が変化するのに、またやられる。今までこんなところ聴き飛ばしていたのに。あとは、もう金川ワールドにどっぷり身を委ねるばかり。
 
 第2楽章、金川のソロに刺激を受けたのか、冒頭の木管合奏が、いつも以上に歌心を込めている。また込み上げてきた。12以降ソロが第1主題を弾き始めると、もう我慢できない。どうして彼女のヴァイオリンは、こうも切々と心に迫ってくるのか?変ホ長調に転じる40以降、そんな乱れた心を今度は優美と言うしかないフレージングで癒してくれる。
 第1主題に戻る69以降、Clも優しく応える。ただ、74以降のFlはmfにしては少し大き過ぎるかも。
 第3楽章、17以降のソロ、ここぞとばかり技巧をひけらかす奏者も多い中、金川はむしろ楽器の持つ美音をたっぷり響かせることに重きを置いているようだ。39以降のG線上の音の連続が本当に美しい。53以降の第1主題、程よく力の抜けたフレージング、こちらも少し落ち着いてくる。「今まで泣き過ぎ!」とたしなめられているみたい。
 148以降の第2主題にも強引さが全くなく、レガートが心地良い。195以降の木管のフレーズも、いつもより流麗に歌っている。それらを受け継ぐ208以降のソロについては言うまでもない。あとは、ソロとオケの丁々発止のやり取りを存分に楽しむ。

 金川については、これまで再三既に巨匠の風格があると指摘してきたが、この日も風格という点では申し分ない。どんな細かいフレーズにも神経が行き届いていながら聴く者に演奏の大変さを全く見せない。しかし、それ以上に重要なのは、彼女の持つ歌心だろう。この協奏曲がどれだけの豊かな歌が込められているか、雄弁に私たちに伝えてくれるだけでなく、オケの奏者たちにも伝播させてゆく。これぞ巨匠の証と言うべきだろう。
 アンコールのプロコフィエフも、変ロ長調の機械的な主題が変奏のたびに表情を変えていくのが面白い。

「交響的舞曲」第1楽章、弦と木管によるどこへ行くのかわからないような序奏が決然とした和音で断ち切られ、弦の行進曲風の刻みに管が舞曲のメロディを提示する。ラフマニノフにしては武骨で、野蛮な雰囲気すらする音楽。しかし、中間部の木管、そしてアルト・サックスのソロには、彼らしいロマンティックな歌心があふれているので、ホッとする。
 第2楽章、HrとTbによるファンファーレが、聴く者を不安な気持ちにさせる。弦や木管がワルツを奏で始めるのだが、このファンファーレにたびたび中断させられ、ますます不安な気分に。その雰囲気を一旦はコンマスのソロが落ち着かせ、新たなワルツの主題をEHrが奏でるのだが、まだどこか不安な感じが残っている。心晴れないまま音楽が進む。
 第3楽章、出だしがブラームス「ハンガリー舞曲第6番」に似ている。ニ長調のワルツだが、これまたすっきり晴れやかな音楽ではなく、どこか不穏な雰囲気に終始支配されている。「怒りの日」のテーマが随所に登場し、賑やかな中にもどこか取っつきにくい部分が残る。最後の銅鑼の一発が、まるでラフマニノフの死を暗示するかのように不気味に響く。

 ヴァルチュハの指揮は生で初めて見たが、指示が非常に明確・的確で、無駄な動きが全くない。オケ側にとっては演奏しやすい指揮者だろう。要所をしっかり押さえて、堅実な音楽創り。首席客演指揮者になっているのにも納得。
 団員解散後ヴァルチュハの一般参賀。

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