ヴァイグレ指揮読響
〇2025年10月21日(火)19:00〜21:00
〇サントリーホール
〇2階RA4列11番(2階舞台上手側バルコニー最後方から2列目)
〇グリンカ「カマリンスカヤ」
ハチャトゥリアン「チェロと管弦楽のためのコンチェルト・ラプソディ」
+バッハ「無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調」BWV1012より「サラバンド」(以上Vc=北村陽)
(14-12-10-8-6)
ショスタコーヴィチ「交響曲第15番イ長調」Op141(約46分)
(16-14-12-10-8)(下手より1V-2V-Vc-Va、CbはVcの後方)(コンマス=林)
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スコアの音符をありのままに
なかなか予定が合わなかったが、しばらくぶりに常任指揮者ヴァイグレが振る読響へ。渋めのプログラムのせいか、7割程度の入り。
「カマリンスカヤ」はグリンカの中では「ルスランとリュドミラ」序曲に次ぐ有名曲だと思うが、意外にも生で聴くのは初めて。モデラートの「婚姻歌」で明るい中にも荘重な雰囲気が創り出され、それを受けたアレグロの主部では舞踊歌「カマリンスカヤ」がノリノリの音楽で盛り上げる。一旦鎮まって再び婚姻歌、舞踊歌と繰り返される。必要以上に民族臭は出さず、端整な演奏。
ハチャトゥリアンの「コンチェルト・ラプソディ」は晩年の三部作で、ヴァイオリン、チェロ、ピアノのためにそれぞれ書かれており、チェロのためのラプソディはロストロポーヴィチのために作曲されたとのこと。
北村は一昨年の日本音楽コンクールなどで優勝、昨年はエネスコ国際コンクールで日本人初の優勝を果たしたことで注目される。
オケによる長めの序奏の後、Vcが民謡風のソロを弾き始める。徐々に発展して技巧的になり、長めのカデンツァに。オケとVcが互いに相手に向かって「オレの方が上だぞ」と自慢し合っているような雰囲気。
その後はVcとオケが文字通り協奏していくが、「競争」したり「狂騒」したりしているように聴こえる部分も。後半ハ長調でオケが「強奏」するところなど、「ガイーヌ」の「剣の舞」を一瞬連想させる。
北村のソロは、技巧的な部分もメロディを歌わせる部分も終始冷静な弾きぶり。それが聴く者に何とも言えない安心感を与える。
アンコールのバッハでは老大家の最後の演奏みたいな風格さえ感じさせる。また大きな器のチェリストが現れたものだ。
ショスタコーヴィチの15番を生で聴くのは35年ぶりくらいか。第1楽章、第1Fl(倉田)のイ短調とイ長調が混在したようなメロディが聴く者の心をざわつかせる。展開部のTpの曖昧なフレーズが、その後「ウィリアム・テル」序曲の主題へ変わってゆくのも面白い。古典的な交響曲としての音楽を進めようとするたびにこの主題が邪魔をする。
第2楽章、金管が弱音で響かせるコラールが何とも不気味。続いて登場するVc(遠藤)のソロが美しい。コンマスやCb(石川)のソロもこれに応える。中間部の葬送行進曲風の音楽では第1Tb(�綸帖砲硲圍�(次田)の二重奏で、室内楽的な雰囲気。それが終盤で一気に爆発。しかし、あっという間にしぼんでしまう。
Fgパートの5度の和音の合図で第3楽章へ。第1Cl(中舘)による主題はいかにもショスタコ風だが、12音で書かれているのでそれすら崩れかかっているように聴こえる。トリオ後半やコーダの打楽器アンサンブルではショスタコらしさが戻ってくる。
第4楽章、「神々の黄昏」の「運命の動機」などが金管で静かに提示される。ティンパニは金管の弱音器のように、丸いスポンジを皮の中央に置いている。抑制された響きの中で進んでいくが、終盤とうとう我慢の限界に達したかのようにオケの全奏が頂点に達する。しかし、あえなく崩壊。弦がイ長調の和音を静かに持続させる上を、これまでの楽章の主題や打楽器の断片的なフレーズが重なる。4番と似たパターンの終わり方。
この日取り上げた3曲に共通するが、ヴァイグレはロシアものだからと言って殊更民族色を前面に出すわけではなく、楽譜に書かれた音符を忠実に音にして示す。特にショスタコーヴィチでは、そのようなアプローチこそ曲の本質を聴衆に伝えるには最も効果的だと確信しているようだ。第15番に作曲者が込めたであろう反骨精神とそれを貫けないがゆえの諦めや無力感のようなものまで伝わってくる。
カーテンコールでは、活躍したソリストたちやパートを立たせて称えるのはいつも通りだが、うっかりCbの首席を立たせるのを忘れてしまい、Cbパート全体を立たせようとしたところで他の奏者たちから指摘され、「ごめんごめん」と言わんばかりの仕草を見せる。改めてパートごとに立たせる中で、Cb首席に歩み寄り、さらにしっかり握手してフォロー。
楽員解散後ヴァイグレの一般参賀。
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