9人のピアニストによるピアノ・ソナタ全32曲演奏会 9.野平一郎
○2015年11月1日(日)15:30〜17:00
○狛江エコルマホール
○P列28番(16列目上手)
○ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第30番ホ長調」Op109(約21分、繰り返し全て実施)、同「同第31番変イ長調」Op110(約19分)、同「同第32番ハ短調」Op111(約27分、繰り返し全て実施)
○P=野平一郎
![]()
ありのままの姿を聴かせる
狛江エコルマホールが開館20周年記念企画として、「ベートーヴェンをたたえて」と題した3回シリーズの演奏会を行っている。その1は5月に飯守泰次郎指揮東フィルで「英雄」他の演奏会が行われ、その3は12月に「第九」の演奏会が予定されている。その2は10月24日から今日にかけて、4日にわたり、9人のピアニストがピアノ・ソナタ全32曲をリレーで演奏するという、なかなか壮大な企画である。と言ってもこちらはとても全部聴ける訳もなく、野平一郎が最後の3つのソナタを弾くというので、駆けつける。この日は13時開演で別のピアニストが28,29番を弾いた後とあって、開演直前まで調律が行われていた。
野平はヘンレ版のソナタ全集�兇鯤�えて登場。譜めくりスト付。
第30番第1楽章、弱音で霞の中から始めるようなピアニストも多い中、楽譜の指定通りヴィヴァーチェだが落ち着いたテンポで、pより少し大きめの音で、1つ1つのフレーズをくっきり刻みつつ、ドルチェの雰囲気を保ちながら始める。9小節目などの和音の前の装飾音もおろそかにしない。16以降の息長いクレッシェンドも、積み木を組み立てるように少しずつ、着実に高めていく。
第2楽章、鼻息荒く弾き飛ばすピアニストも多い中、最初の4小節のフレーズの後、一瞬止まって次のフレーズに入る。4の右手の6拍目が休符になっているからだ。57以降の右手→左手の上昇音階も、勢いはあるが流されることなく1音1音粒立っている。最後のスタッカートもびっくりさせるものではないが、鋭さは十分。
第3楽章、テンポはやや遅め。1拍ずつ和音を丁寧に響かせながら、大河のような流れを作る一方で、14の左手の装飾音を水しぶきのようにやや強調。優美を極める第1変奏、16分音符のつながりと豊かな和音が交互する第2変奏、一瞬のそよ風のような第3変奏、大輪の華がゆっくり開いてゆくような第4変奏、左右の掛け合いがはっきり示される第5変奏、トリルの中でも32分音符のフレーズがきっちり響く第6変奏。
第31番第1楽章、ここでもフレーズの輪郭が明確。12以降の32分音符のフレーズも霞まない。弾き飛ばされがちな27の左手のフレーズも実に丁寧。終盤のアルペジオが回帰する直前の100以降の和音の変化を少しテンポを落として強調。最後の音も意外とあっさり終わると思ったら、これまた楽譜通り8分音符の長さを延ばしただけ。
第2楽章、pとfの対比は明確だが、節度が保たれている。144以降のコーダにおける2分音符と休符の繰り返しはオルガンみたい。
第3楽章、さらに緊張を高めながら進んでいくが、12の3拍目の左手のEs−G−Bの和音の3連符で、真ん中の音を2つ目と3つ目Gesにして弾いた。変ホ短調(Esmoll)なので、1つ目をミスしたのだとばっかり思っていたら、楽譜上はもちろん3つともGである。1つ目にだけナチュラルが付いているので、2つ目以降は元に戻ると一瞬思ったのだろうか?しかし、そんなアクシデントが彼のアレンジではないかと思うくらい、聴く側は野平ワールドに引きずり込まれている。
第4楽章のフーガ、もつれた糸を1本1本解きほぐしてから、錦へと織り直してゆく。113〜114にかけての長調から短調への転換も鮮やか。高音のsfが続く200以降も豊かな響きは衰えない。
第32番第1楽章、最初の左手の2つの和音こそさりげなく始めるが、右手が入るとこれまでにない緊迫した響きが現れる。19以降の第1主題は力強いが、スタッカートは控え目。55のpとff、アダージョとアレグロの対比も、前半ではなかった幅の大きさ。提示部を繰り返すところで譜めくりストにもページを戻すよう身振りで合図。両手で速いパッセージを弾き続ける95以降さらに緊張が高まり、息が詰まりそう。最晩年のベートーヴェンに一瞬だけ青春時代の激情が戻ってきたみたい。
第2楽章、第1楽章終盤の激情の収まりをそのまま受け継いで始まる。晩年のベートーヴェンが静かに歌い始めるが、弱々しくはない。まだ人生に希望と喜びが残されていると言わんばかりに、少しずつ躍動感が増し、32分の12拍子になる第3変奏では大空を自在に跳び回る。106以降と160以降の長いトリルとそれ以外のフレーズとのアンサンブルもバランスがよく、心地よい。最後はppより少し大きめであっさり終わる。
3曲とも楽章間の切れ目を入れず、一気に弾き通す。1つ1つのフレーズが隅々まで明確に提示され、曲の構造もわかりやすく示される。芝居がかった表現は全くなく、楽譜に書かれた通りの音楽を(流行遅れの表現だが)「ありのまま」に聴かせる。その姿勢が他のピアニストの追随を許さない説得力を生み出す。
鳴り止まぬ拍手の中、マイクを持って登場。「何かしゃべれ、と言われて」と戸惑いながらも、ベートーヴェンの32曲のソナタは他の全集のように「この曲は要らないんじゃないか?」と思わせるものがない、なぜならどの曲にも彼が全身全霊を込めているからだ、といった趣旨の、いかにも作曲家らしい話で締めくくる。長さと言い内容と言い、これまた演奏そのものに匹敵するくらいの絶妙なコメント。
ただ一つ残念なのは客の入り。半分も入ってなかったのではないか?周年事業とは言え、これだけの企画は都内の他の公共ホールでもなかなかできるものではない。狛江市内にクラシック音楽ファンがこの程度しかいないとはとても思えない。エコルマホールが市民にとってもっと身近で魅力的なホールとして認知されるよう、主催者の今後さらなる努力を求めたい。
![]()