特別寄稿:カルロス・クライバー追悼

<その1> クライバーへのメッセージ

 7月20日、カルロス・クライバー死去の報に接した。近年の彼の動きについてほとんど情報がなかっただけに、僕にとっては正に寝耳に水の出来事であった。信じたくないわけではないが、彼の死をどう捉えたらいいのか、ぼーっとして頭に何も浮かんでこない。
 そのうちいろんな人が追悼文を載せ始めた。何となくそれらを読んでみた。共感できるものもあれば、そうでないものもある。今になって知った新事実というのもある。
 そうこうするうちさらに時間が過ぎてゆき、あの時のショックもだんだん遠ざかっていく。そしてやっと最近、彼と同じ空間にいた時に感じたことを思い出してきた。そろそろ何か書き残した方がいいような気がする。

 クライバーの指揮するコンサート、オペラは、月並みな言い方だが他のどの指揮者のものとも違っていた。なかなか聴きに行く機会がなかっただけに、いつも以上に集中しなければならない、もっと端的に言えば高いチケット代を無駄にすまじ、という思いが強かった。
 しかし、いざ演奏が始まると不思議なことに怒らせていたはずの肩の力は抜け、快適な気分になるのだった。最初のうちは美しい演奏に聞き惚れたせいだろうと思っていたが、どうやらそれ以上のものがあるらしいことに気がついた。
 僕の勝手な思い込みかもしれないが、彼の演奏を聴いていると彼の呼吸に自分の呼吸が合ってくるような気がするのである。多くの人が彼の演奏を「麻薬のよう」「催眠術みたい」と表現するのはこの辺に原因があるのではないか。また、彼の演奏のことを人に伝えようとすると、どうしても「クライバーと私」みたいな感じになってしまうのも、演奏中彼と一緒に呼吸した経験が蘇ってきて、あたかもその人に彼が乗り移ったような状態で他人に伝えようとするからではなかろうか。

 もう一つ彼のコンサート、オペラが他と違っていたのは、演奏後である。普通の演奏会であれば、終わってから「うん、こら名演や」とか「うーむ、今のはいまいちやったなあ」といった風に、その演奏に対する第一印象がまず浮かんでくるものである。
 しかし、彼の場合にそんなことは一度もなかった。そう書くと「そら全て名演やったからやろ」と言われるかもしれないが、そういうことではない。僕の頭に真っ先に浮かぶ思いは「ああ、マエストロ、ありがとう」という感謝の気持だった。
 これは彼がキャンセル魔だったことから来るのだろう。と言っても、僕はチケットを買ったのにキャンセルされて無駄になった経験はない。にもかかわらず、生の指揮姿を目の前で見ていながら「この楽章が終わったら袖に引っ込んで、そのまま出てけえへんのやないやろか?」と何の根拠もなく恐れていたような気がするし、メトロポリタン歌劇場での「薔薇の騎士」(1990年)で歌手役のパヴァロッティが退場したところで無神経な聴衆が拍手を浴びせ、演奏が中断した時などは、本気で「ああ、これで次回からキャンセルだな」と確信したものだ。幸いその時もキャンセルしなかったが。
 ただ、感謝の気持がわいてくるのにはもう一つ別な理由もあったような気がする。さっきの呼吸の話とも共通するが、彼の演奏は、単にすばらしい音楽を生で聴いているという以上に、カルロス・クライバーという人間と同じ空間・時間を共有させてもらっていること自体、僕にとってはこの上ない幸せだったのだ。別に卑屈になる必要はないが、演奏が終わるたびに「マエストロと同じ部屋で同じ空気を吸わせてもらって、その上マエストロの指揮で音楽まで聴かせていただいて、ほんとに感謝しております」てな気持になってしまうのである。

 もし僕が死んであの世でクライバーに会えたら、やっぱり同じことを言うのかもしれない。

<その2> クライバーとアメリカ

 クライバーが振ったオケは、無名時代はいざ知らず、世に知られるようになって以降は極めて限定されている。ヨーロッパではバイエルン国立管、ウィーン・フィルが大半で、あとは南西ドイツ放送響、バイエルン放送響、オランダのコンセルトヘボウ管、イタリアのミラノ・スカラ座管くらいである。
 しかし、意外に思われるかもしれないが、彼はアメリカのオケも振っている。シカゴ響とメトロポリタン歌劇場管である。「意外」と書いたのは、この2つのオケとも、確かに米国の中ではトップクラスの水準にあるオケだが、演奏スタイルとしては上記ヨーロッパ、特に独墺のオケとはかなり違うように思われるからである。
 例えばR.シュトラウスで弦が上昇音型を弾く時、独墺のオケならキューンと胸を締め付けられるような感じがするものだが、先に記したメトの「薔薇の騎士」では、ほとんどそんな場面にお目にかかれなかった。
 また、特にバイエルン国立管やウィーン・フィルとの間では、競演回数も多かったせいか、一種「あうんの呼吸」のようなものがある。結果的に最後の来日公演となったウィーン国立歌劇場との「薔薇の騎士」(1995年)では、ちょっとした彼の手の動きにウィーン・フィルがすかさず反応して強弱を変えたり音色を変えたりしているのに驚嘆させられたものである。残念ながらメトでの演奏はその域にまでは達していなかった。
 「薔薇の騎士」を振った後しばらくして、ある雑誌にあるレポーターが「今後クライバーが振る可能性が最も高いのはメト管」と予言した人がいた。今だから言うわけではないが、僕はその当時から彼はもう決してメト管を振らないだろうと確信していた。事実、その後「ファルスタッフ」への出演を交渉中だとか、芸術監督のレヴァインがクライバーに「いつ来てくれてもいい」と言っていたとか情報は伝わってきたが、僕は彼にとってアメリカのオケを振りたくない最大の原因は、上記のような演奏スタイルの違いではないかと思っている。

 あえてもう一つだけ原因を挙げれば、彼はアメリカの聴衆と合わなかったのではないか、ということである。先にも書いた、パヴァロッティ退場時の拍手が典型例だが、アメリカでもクライバーはそれなりに人気があったものの、ドミンゴやパヴァロッティほどではなかった。この国ではやはり、どれだけ頻繁に聴衆の前に登場するかが大事であり、めったに来ない名指揮者より毎年必ず歌ってくれるテノール歌手の方に拍手が多く送られるのも致し方ない面はある。
 しかし、それ以上に決定的なことは、アメリカの聴衆はどうやら演奏後の余韻を理解できないようなのである。オペラの場合で言えば、幕が降り始めるとまだ演奏が終わっていなくても拍手し始める客が多い。
 これに対して特にドイツの聴衆は演奏後の雰囲気を非常に大切にする。最近発売された「田園」のCDでは、演奏が終わってから拍手が始まるまで異常に長い間がある。僕自身初めてクライバーを生で聴いた1986年2月、あのCDと同じバイエルン国立歌劇場でバイエルン国立管による「ブラ4」を聴き、全く同じ経験をしている。

 クライバーがアメリカのオケや聴衆のことをどう考えていたのか、一度訊いてみたかったが、それもかなわぬこととなってしまった。ご遺族にお訊きすれば何かわかるだろうか?

<その3> クライバーと枝雀

 こんな題名の文章が思い浮かぶのは僕くらいかもしれない。でも、大真面目である。僕にとって最高の指揮者はカルロス・クライバーであり、最高の落語家は桂枝雀である。おそらくこれは一生変わらないかもしれない。
 2人には共通点が多い。類まれなカリスマを備えていたこと、他人に真似できない、おそらく誰も後を継ぐことができない個性的な芸術スタイルを持っていたこと、天才肌のように見えて実は人知れず大変な努力を重ねていたこと、などなど。

 もちろん違う点もある。枝雀は晩年病気がちで高座に出る機会が極端に減ったが、クライバーのようなキャンセル魔ではない。元気な頃の枝雀ほど精力的に高座をつとめ、テレビや舞台にも積極的に出演していた落語家も珍しい。クライバーに比べ枝雀の落語のレパートリーは広かったし、英語落語という新しいジャンルを創造して積極的に海外に打って出た。
 ただ、これもひょっとしたら違う点とばかりは言えないかもしれない。なぜなら、2人とも自分の芸風(指揮者に対してこの言葉はそぐわないかもしれないが、あえて使わせてもらう)を磨くという意識の強さでは共通していて、そのための手段が違ったに過ぎないように思われるからである。
 すなわち、クライバーは自分の演奏スタイルを極めるために、自分が自信を持って振れる曲に限って、自分の意思が最も伝わるオーケストラに限って演奏した。これに対して、枝雀は自分の落語を極めるためなら、考えられうるどんなことでもした。自分なりの笑いの理論を確立し、四角い座布団の上で単に座ってしゃべるのを潔しとせず、反則手前ぎりぎりまで身体を動かし、声色を変え、話し振りを変えた。落語に生かすため芝居やドラマにも挑戦し、貪欲に自分の芸風に生かした。

 クライバーはカラヤンからもっと指揮台に立つべきとアドバイスされた時「自分は腹が減った時にしか指揮しない」と言ったという。このエピソードはクライバーが怠け者であることを示しているわけではない。放っておいても世界中から引っ張りだこだった指揮者が自分の演奏スタイルを崩さないための自己防衛だったのではないかと思う。
 これに対して枝雀は寝ても覚めても落語のことしか頭になく、それが行き過ぎたために鬱病に陥ってしまったのではないかと言われている。これも「顔を見ただけで笑ってほしい」と常々思っていた彼の芸風からすれば、認めたくはないがある種の必然だったのかもしれない。

 クライバーは享年74歳、枝雀は59歳。できるだけ本番を避けたクライバーの方が結果的に長生きしたことように見えるが、2人の芸術家としての密度にいささかも違いはないように僕には思える。

表紙に戻る