ジャン・マルク・ルイサダ ピアノ・リサイタル
〇2026年6月2日(火)14:00〜16:25
〇武蔵野市民文化会館小ホール
〇12列15番(最後方から4列目中央)
〇チマローザ「ピアノ・ソナタ第55番イ短調」
 ハイドン「ピアノ・ソナタ第13番ト長調」Hob.XVI-6、同「アンダンテと変奏曲ヘ短調」Hob.XVII-6、ショパン「幻想曲ヘ短調」Op49
 ショパン「夜想曲第17番ロ長調」Op62の1、フォーレ「夜想曲第2番ロ長調」Op33の2、ショパン「夜想曲第8番変ニ長調」Op27の2、フォーレ「夜想曲第6番変ニ長調」Op63、ショパン「スケルツォ第2番変ロ短調」Op31
+ロータ「カビリアの夜」より「L'illusionista(幻影をみせる奇術師)」、シューベルト「楽興の時第2番変イ長調」D780の2、ショパン「華麗なる大円舞曲変ホ長調」Op18、同「マズルカイ短調」Op17の4

フランス紳士の極上エンタテイメント

 1985年ジャン・マルク・ルイサダがショパンコンクールで第5位に入賞したことは、私を始め相当なクラシック・オタクでもおそらく忘れていることだろう。なぜなら、この年の第1位があのブームを巻き起こしたブーニン、2位のラフォレもその影響で多少注目され、第3位のヤブウォンスキはポーランド出身なので玄人筋にはずっと評価され続け、第4位は小山実稚恵だったからだ。いつの間にかブーニンとラフォレは忘れられ(ブーニンは最近復活して一時的に脚光を浴びたが)、ヤブウォンスキと小山は地道に演奏活動を続けている。
 そんな中、今やピアニストとして現在最も評価が高いのがルイサダであろう。その最大の理由は、コンクールの結果など気にせずひたすら我が道を進んでいったからであるが、日本に限って言えば2005年教育テレビで「NHKスーパーピアノレッスン」に登場したことも大きいに違いない。
 平日午後にもかかわらずほぼ満席の入り。

 ルイサダは紺のスーツにネクタイ姿で登場、譜めくりストがスコアをもって登場。客席三方に向かって丁寧にお辞儀するだけでなく、譜めくりストにも一礼するので思わずみな笑顔に。早くも和やかな雰囲気。

 まずハイドンのト長調のソナタ、と思って身構えたら、聞き慣れないイ短調の曲が始まる。ひょっとして、2021年のバレンボイムの来日公演のときみたいに、別の日のプログラムと間違えて弾き出したのか?とあれこれ詮索するうちに弾き終え、紙1枚のスコアを脇へのけてハイドンを弾き始める。休憩時に掲示板で「サプライズ演奏」とのタイトルの下、チマローザのソナタだったことがわかる。周囲も全く予測しておらず、舞台に出る直前に自分でスコアを取り出して譜めくりストに渡したそうだ。

 さてハイドンのソナタ第13番第1楽章、16分音符や32分音符のフレーズが随所に織り込まれたメロディを軽やかに弾いてゆく。10小節目以降、左手の3度の和音を16分音符で連打するところ、左手を鍵盤に向かって引っかくような弾き方をするのびっくり。おそらくドイツ・オーストリア系のピアニストなら絶対こんなことはしない。
 第2楽章メヌエット、ト長調の主部とト短調のトリオでガラリと雰囲気を変える。
 第3楽章もト短調。アダージョだが16分音符を多用しているので、聴いていても落ち着かない。
 第4楽章、ト長調に戻って冒頭の明るく活発な雰囲気が戻ってくる。
 テンポを細かく揺らしたり、レガートを維持しつつも大胆なフレージングを展開したり。ハイドンってこんな軽やかで自由な曲だったかなあ?

「アンダンテと変奏曲」はパトロンであったウィーンの貴婦人の死をきっかけに書かれたと言われている。主題がヘ短調の前半と変イ長調からヘ短調に戻る後半に分かれている。前半は死を悼む歌、雄弁だが湿っぽさはない。後半は故人との楽しい交遊を思い出すが長くは続かず、元の悲しみに戻る。
 続いてヘ長調のトリオが入る。主題より構造は簡素化されているが、多用されるアルペジオが印象的。
 第1変奏、裏拍から始まるメロディやシンコペーションが耳に残る。
 第2変奏、無窮動的な32分音符のメロディを右手と左手が交互に提示。
 フィナーレは冒頭のテーマが回帰し、感情の爆発のような和音やアルペジオの連続を挟みながら盛り上がっていくが、次第に力を失い、最後は静かな祈りの音楽で終わる。
 ここでも自由なフレージングは健在だが、テンポはほとんど揺らさず、より様式感を感じさせる弾きぶり。

 次に変奏曲と同じヘ短調のショパンの「幻想曲」。恐る恐る歩き始める行進曲。ヘ長調に転じる21以降も静かだがどこか不自由な雰囲気。43以降のアルペジオから徐々にその不自由さがほぐれ、開放感あふれる音楽に。99以降徐々に盛り上がっていくところも圧倒的なスケール感。127以降はスコア通りpで確固としつつも控え目な行進。これに対して終盤294以降はfで自信に満ちた足取りに。
 この曲に込められた本質を十二分に表現しているのだが、先に自由奔放なハイドンを聴いてしまうと、この曲の方が様式を守ってきっちり弾いているように聴こえてしまうのが不思議。

 後半はショパンとフォーレの同じ調性の夜想曲を組み合わせるという、知的好奇心をそそるプログラム。
 まずショパンのロ長調の夜想曲、薄雲がかかった日差しを浴びているような心地良さ。変イ長調の中間部のメロディもよく歌う。
 フォーレのロ長調の夜想曲も、多少両手の絡みが複雑になっているが、雰囲気はショパンに似ている。しかし、ロ短調の中間部、16分音符の6連符をつなぎ合わせたフレーズの激しさは尋常ではない。主部の幸福な雰囲気にあらがうように、やりきれない思いをぶちまける。
 ショパンの変ニ長調の夜想曲、ロマンティックなメロディが聴く者を夢見心地にさせる。10以降の変ロ短調の部分も優美。この雰囲気が終始保たれる。
 フォーレの変ニ長調の夜想曲、こちらはショパンより単純なメロディながら、どこか何者も寄せ付けない孤高の雰囲気がある。嬰ハ短調の中間部でさらにその雰囲気が強まる。主部と中間部がもう一度ずつ出てくることで、ハーモニーは複雑になるのに、なぜかどんどん無駄なものをそぎ落としていくような凄みが伝わってくる。
 この4曲、前の曲の最後の音が終わらないうちに次を弾き始めるといった具合に、まるで一つの作品のように演奏。

 ここでルイサダは一旦退場し、譜めくりストが台の上のスコアをまとめて片付けようとしたら、うっかり鍵盤の上に落とし、低音域のBと近くの2,3音が鳴ってしまった。
 スケルツォのスコアを持って再登場したルイサダは、袖でそれを見ていたのか、座ってスコアを台に置いた途端に、譜めくりストの方を向きながら「あなた、さっきこの音弾いただろ?」と言わんばかりに、左手でそのBの音を2度ほど鳴らして茶化す。その様子を聴衆も笑いながら見る。と思う間もなくスケルツォを弾き始める。たまたま変ロ短調だったからかもしれないが、譜めくりストが誤って鳴らした音がまるで曲の一部のように取り込まれてしまった。これも「サプライズ演奏」か?
 肝心のスケルツォだが、冒頭(sotto voce)のフレーズと5以降のffの和音のコントラストが見事。46左手のsfのオクターヴも鋭い。49以降のffとpやppとの対比も明瞭で、65以降は左手の8分音符の滑らかな連続の上を右手のメロディが息長く紡ぎながら、広大で深遠な音世界を創り上げる。
 イ長調に転じる265以降、過去の甘い思い出を振り返る。徐々に感情が高ぶり、抑え難くなっていく。変ロ短調の戻ってもまだ盛り上がっていくが、だんだん力を失っていき、冒頭主題に戻るところまでの語り口にも味がある。

 アンコールは自分が観て印象の残った映画に使われた音楽を披露。ニーノ・ロータに始まり、ルイ・マル監督「さよなら子供たち」で使われたシューベルトの「楽興の時」、グレタ・ガルボ主演「椿姫」で使われた「華麗な大円舞曲」、そしてイングマール・ベルイマン監督「叫びとささやき」で使われたイ短調のマズルカ。ルイサダはこの映画を見てこのマズルカの存在を知ったとのこと。

 全曲スコア、しかも紙のスコアを見ながらの演奏ながら、最初から最後まで機知に富み、様式感と自由な表現とを見事に融合させただけでなく、さらに即興性も加味した、最高にお洒落なエンタテイメント。演奏中も含めスーツの前ボタンを締めたままという姿も立派。巨匠と呼ぶよりピアノ界の紳士と呼ぶに相応しい。

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