ヴァイグレ指揮読響
〇2026年1月20日(火)19:00〜20:50
〇サントリーホール
〇2階C9列30番(2階中央ブロック最後列から5列目上手寄り)
〇プフィッツナー「ドイツ精神について」Op28(日本初演)(約88分)
(14-12-10-8-6、下手から1V-2V-Vc-Va、CbはVcの後方、コンマス=林)
〇S=マグダレーナ・ヒンタードブラー、MS=クラウディア・マーンケ、T=シュテファン・リューガマー、B=クワンチュル・ユン、新国立劇場合唱団
(24-20-17-18)
 

不当に忘れられた大曲の復活

 常任指揮者ヴァイグレによる読響演奏会、2つ目のプログラムはハンス・プフィッツナーが1920〜21年にかけてロマン派詩人アイヒェンドルフの詩を題材に作曲し、翌年初演されたロマンティック・カンタータ「ドイツ精神について」。彼がヴェルサイユ体制に批判的だったことからナチスに好まれたことという事情も影響し、第二次世界大戦後は長らくドイツでも演奏されなかったいわくつきの作品である。9割程度の入り。

 第1部は「人間と自然」と題されている。第1曲「きっと君が考えるようにはならない」は、弦楽四重奏によるニ短調の寂しげな序奏に続いてメゾソプラノのソロ、これを受けてバス→ソプラノ→テノール→メゾと受け継がれてゆく。
 ハ短調に転じて「君はこの地で何をしようというのか」をテノールが歌う。
 一旦鎮まるが再び不穏な雰囲気が高まり、オケのみによる第2曲「郵便御者としての死」。聴く者を巻き込んでいくような、激しい音楽が続く。
 ようやく嵐が収まると第3曲「なぜ君はこの地に」をバスが歌う。イ短調。それをメゾが受け、続いて二重唱となる。ヘ短調に転じ、合唱が同じ詩を歌う。
 オルガンによる和音の連続が闇の中から一筋の光を見つけるかのように響く。
 イ長調に転じ、第4曲「心よ 太陽に輝く日々に」。テノールのソロを皮切りにソリスト4人による歌。 
 Clソロに続き低弦、BCl、Fgなどによる目まぐるしい上昇・下降音階の上をバスが第5曲「家の周りで嵐が吹き荒れる」を歌う。イ短調。他のソリストたちも加わる。
 変ロ短調に転じ、2台のHpが第6曲「夕べ」を主導する。ハ短調に転じ、第7曲「夜」はHr,Tb,Tuによる静かな和音進行。弦とHpがそれを受け継ぐ。
 夜が明けると第8曲「ひばりは朝一番の光に挨拶をする」。イ短調。ソプラノが先導し、他のソリストも加わる。続く第9曲「雄鶏が屋根の上で鳴くと」もソリストによる四重唱。途中から合唱も加わる。
 オケの間奏がさらに雰囲気を変え、ト長調に転じ、第10曲「絶えず快活な波のたわむれよ」はメゾのソロ。"falsch"(不実だ)を高いAで歌わせる。テノールが受け継ぎ、バスとの二重唱となる。さらにソリストによる四重唱へ。
 変ロ短調に転じ「夕べ」を思い出させる弦とHpのアンサンブルが回帰、第11曲「故郷から遠く離れた旅人」へ。バスのソロに始まり、テノールとの二重唱。
 イ短調の短い間奏を経て第12曲「夜の挨拶:今や すべてが静かになり」。変ロ長調、合唱による静謐なハーモニーに始まり、ソリストも加わる。息長く緊張を高めてゆき、"Besteigt die ewgen Zinnen."(永遠の城壁を登るのだ)で頂点に達するが、後奏は静かに終わる。

 チューニングの間にギター奏者入場。

 「生と歌」と題された第2部、第13曲はオケのみによる前奏曲。ハ短調。VとVaが奏でる16分音符3つの「タタッタ」のリズムが音楽を引っ張ってゆく。
 前奏曲が醸し出す心の焦りを受け、第14曲「私たちは もう何百年も歩いている」を合唱が歌う。途中でイ短調に転じる。「タタッタ」のリズムがさらに切迫した音楽を創り、オルガンの長い和音も加わり、一段と緊張が高まる。
 ようやく静かになったのを受けて、第15曲「私の望んだものが粉々になって置いてある」。イ短調、テノールのソロ。"Was ich nicht will"(私が望まぬもの)の"nicht"を高いAsで強調。
 その歌をFlが受け、長いソロに。変ホ長調に転じ、第16曲「恭順」を導いていく。長続きせず半音階を多用したハーモニーとなるが、最後は変ホ長調のFlソロが締めくくる。
 イ短調、行進曲風の音楽となり、第17曲「一人の男が 馬が喘ぐほど疾走する」。合唱による歌。
 行進曲が勢いを失うと、それに取って代わるように弦の激しい上昇音型。金管も警笛風のけたたましいハーモニーで応える。長めの間奏が続く。
 オケの勢いがようやく収まったところで、第18曲「まるで 暗き地に」。バスのソロ。コラール風に希望に満ちた歌。後奏ではHp2台が活躍。

 第3部に相当する最後の6曲は"Der Liederteil"(歌曲部分)と称されている。
 第19曲「古い庭園:オウカンユリも赤いシャクヤクも」は嬰ト短調、ソプラノのソロ。俄然メロディのロマンティックさが濃厚になり、ギターを含め、歌手に応えるオケのフレーズとともに聴く者に切々と迫ってくる。
 第20曲「箴言」でまた雰囲気が一変。短いが重苦しい響きに。
 第21曲「修道女と騎士:世界がすっかり静かになると」はイ短調のメゾのソロに始まり、転調しながらテノールと交互に歌う。テノールが"alles enden!"(全てが終わるのだ!)を歌った後を合唱が弱音のハーモニーで"Geht ein Schiff"(船が行く)以下の一節を歌うと、次の"Falsche Nacht"(偽りの夜よ)以下をメゾが力強い声で続ける。
 第22曲はまずオルガンが加わる間奏。終盤でテンポが上がり、「ただ歌うだけでは」へ。ト長調、合唱によりドイツ民謡「バケツの穴」風の皮肉な詩が歌われる。
 その詩の"Singen"(歌う)と"Leben"(生きる)をソプラノが引き取って合唱に喝を入れ、続けて「君は翼を持っているじゃないか」を決然と歌う。
 EHr,Cl,Fgによる短い間奏を経て第23曲「平和の使者:愛しい人よ 眠りなさい」へ。変ホ長調、バスのソロが諭すように歌い、最後の"Frei!"(自由!)を高らかに響かせる。
 オケもこれを受けて堂々たるハーモニーとなり、第24曲「最後の歌:波が眼下に荒れ狂い」へ。全員が役割分担しながら元の詩を3回ほど繰り返しながら高みを目指していくが、最後の"dich zu wahren"(君を守るよう命じたのだ)は変ホ長調の主音(Es)から1オクターブ下の主音へ降りる。歌い終わった後オケが主和音を輝かしくかつ重厚に響かせて終わる。

 ヒンタードブラーは細めの声だが貫通力が抜群で、典型的なドイツ風ソプラノ。マーンケはふくよかな声質で高音も力強いだけでなく、節回しが絶妙。リューガマーは事前のアナウンスで体調不良と伝えられたが、ほぼ問題なく歌えていた。ユンも安定した響きと円熟の歌いぶりで聴き応え十分。
 新国合唱団はいつもながら安定したハーモニーだが、ドイツ語の発音がやや揃わない場面も。
 読響は終始充実した響き。先週ブラームス「二重協奏曲」を弾いたばかりのコンマスの林を始め、Flの倉田など多くの首席奏者にソロの場面があったが、どれも安心して聴いていられる。

 プフィッツナーが用いたアイヒェンドルフの詩はロマンティックで情緒的なものが多く、「平和の使者」の一部以外政治的なメッセージのようなものはないと言っていい。プフィッツナーの音楽も後期ロマン派の精緻なものだが、シェーンベルクの初期ほどの閉塞感(行き着くところまで行ってしまった)はない。ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」に比べたらよほど複雑・難解なこの作品を、なぜナチスが政治的に利用したのか理解に苦しむし、それがゆえに戦後ユダヤ人側から長らく批判され演奏ができなかったという事情も、不運というか不幸と言うしかない。ヴァイグレがこの曲を取り上げた理由もそんなところだろうか。
 大作なので頻繁にはいかないだろうが、後期ロマン派を代表する作品の一つとして、今後も演奏される機会が作られることを望む。
 
 団員解散後、ヴァイグレ、ソリスト4人と合唱指揮者(冨平恭平)の一般参賀。

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