スラトキン指揮N響
〇2026年12月26日(金)19:00〜21:00
〇サントリーホール
〇2階RA5列22番(2階上手側バルコニー最後列Pブロック寄り)
〇バッハ「前奏曲とフーガ変ホ長調」BWV552(O=近藤岳)
ベートーヴェン「交響曲第9番ニ短調」Op125(合唱付)(約70分、第2楽章提示部、展開部のみ繰り返し実施)
(16-14-12-10-8、下手より1V-2V-Vc-Va, CbはVcの後方)(コンマス=長原、第2V=大宮、Va=中村、Vc=藤森、Cb=西山、Fl=甲斐、Ob=中村、Cl=松本、Fg=水谷、Hr=石山、Tp=菊本、Tb=新田、Timp=植松)
〇S=砂田愛梨、MS=藤村美穂子、T=福井敬、Br=甲斐栄次郎、新国立劇場合唱団(合唱指揮冨平恭平)(55-44)
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スラトキン風「第九」の決定版
今年のN響の「第九」は、2008年以来17年ぶりにレナード・スラトキンが登場するとあっては、行かないわけにはいかない。N響の「第九」としては初めてサントリーホールへ。NHKホールでの3回公演を含めるとこの日が4回目となる。ほぼ満席の入り。
前半は近藤岳によるオルガン演奏。これも年末らしくていい。バッハの練りに練られた前奏曲とフーガを聴いていると、あの有名な「トッカータとフーガニ短調」を偽作ではないかとする説が出るのも納得できるような気になるから不思議。Pブロックのすぐ隣のブロックだと、足元からオルガンの響きが伝わってくる。
休憩後いよいよ「第九」。合唱団員の入場時から拍手が始まる。スラトキンは黒のシャツ、ズボンに鮮やかな臙脂色のジャケット姿。
第1楽章、ほぼ標準的テンポ。31〜32小節目のBとDの2音をスラーでつなげる。その後もレガート重視で進むが、弦の響きがやや硬く感じられる。山の上から盆地の霧を見ているよう。
展開部のクライマックスとなる301以降、ティンパニのトレモロを4小節ごと、308以降は2小節ごとに区切りながら叩かせる。音量も最初のffと327以降のfや337以降のmfからのディミニエンドも楽譜通りに。
終盤の477以降、弦は抑え気味で木管のフレーズを浮き立たせる。その後の501以降で耳を疑う。1Vが501〜502のA−Gis−G−Fの4音を楽譜より1オクターヴ上げて、空から降りてくるような下降音階を聴かせたのだ!おそらく先行する499〜500の低弦や1Vと同じタイミングで演奏する第1Fl、第1Obの音型に合わせたのだろう。
もう一つ驚いたのは538の弦。弦以外はこの小節の2拍目の裏に32分音符が入るのだが、同じ音符を弦にも加えていたように聴こえた。つまり、冒頭主題の「タター」のリズムをオケ全体で合わせたということになる。最後の音も長めに延ばす。
第2楽章、提示部もほぼ標準的テンポでキビキビと音楽を進める。148〜150など全休止の小節では棒の動きも止める。195以降のティンパニはfだが198以降のアクセントは控え目。268以降のティンパニの強弱も細かく付けている。最初は楽譜通りffだが272以降の3連符はfくらいになり、休符を経て290から再度入るときはffだが292以降ディミニエンド。
展開部の413以降の主題、4小節単位でレガート。すなわち第1Ob、第1Clの417のG−G−Fis−Fisもつなげている。475以降の弦も同様で、Vの478のG−G−Fis−Fisにはアクセントが付いているが、付けつつレガート。
再現部に入るとき、またもサプライズ。提示部序奏に相当する序奏の531〜538をカットしたのだ。
第2楽章が終わったところでソリスト、ピッコロ、ティンパニ以外の打楽器奏者が入場。しかし拍手は起こらず。
第3楽章、指揮棒を持たずに始める。やや遅めのテンポで丁寧に歌わせる。ニ長調に転じる25以降でテンポを上げる。四分音符60から63へのわずかな変化だが、はっきりわかる。ただ、第1変奏となる43以降、テンポ・プリモの指示だが速いままのように聴こえる。
ト長調の経過部が経て変ロ長調に戻る83以降は指示通りテンポ・プリモに。96の第3Hrのソロも美しい。
第2変奏となる99以降は棒を持って振る。変ホ長調のファンファーレとなる120以降、121の四分音符をスタッカッティシモで16分音符に近い長さで演奏させる。132も同様。最後の音は長めに延ばす。
アタッカで第4楽章へ。第1楽章序奏の回帰に応える38以降の低弦、雄弁にまくしたてるが44以降のディミニエンドとリタルランドで落ち着いた口調に。第2楽章の回帰に応える56以降の低弦、決然と語り始めるがだんだん頼りなくなり、自分の言ったことにも疑問を持ち始めるような雰囲気。63〜64の第3楽章の回帰に対し、65以降の低弦は否定するどころか、まるでそれを受け入れるかのようなフレーズに始まって、やがて何かを見つけたような自信に満ちた語り口となり、歓喜の主題へとつなげてゆく。これまでここの部分は、前の3楽章の主題を低弦が否定する部分だと思っていたが、どうやらそんな単純な音楽ではないようだ。
92以降、オケのみの歓喜の歌の部分、一歩ずつ着実に音楽を組み上げていくのだが、何かもう一つ盛り上がりが足りないような雰囲気。するとオケ自身が208以降冒頭主題に戻って、それまで自分たちで築き上げた音楽をぶち壊してしまう。
それを受けて歌う甲斐の"O Freunde, nicht diese Toene!"(友よ、この調べではない!)が、この日ほど説得力を持って聴こえたことはない。ここまでオケが延々と演奏してきたことを、バリトンが一声でまとめてしまったのだ!
あとはオケとソリスト、合唱のアンサンブルに身を委ねるのみ。甲斐の声、歌いぶりは風格を備えた堂々たるもの、藤村の芯のしっかりした中低音の響きの上に、中村恵理の代役、砂田愛梨が輝きと強さを兼ね備えた声で応える。さすが今年の日本音楽コンクール声楽部門第1位だけのことはある。福井が少し力が入り過ぎているのが気になるが、大勢に影響はない。
新国合唱団は、いつもながら安定したハーモニー、歌としての力強さも十分。
彼ら声楽側の歌いぶりに刺激を受けたのか、テノールと男声が加わった行進曲が終わった431以降、オケの響きも俄然豊かになり、ようやくホール全体を満たすようになる。
終盤841〜842のバリトンのHからAへの移行も明確。2008年の公演で印象に残った932以降のティンパニは今回目立たせず。
オケを解散させた後も合唱団が全員退場するまで拍手は続き、その後スラトキンの一般参賀。
全体的に2008年のときより音楽の流れが滑らかに進んでいたのが印象に残った一方で、近年新ベーレンライター版による演奏など変革期を迎えている中、ところどころ登場した独特の解釈がどうしても気になる。終演後本人に聞いてみた。"Is
this your vesion?"(これって、スラトキン版ですか?)彼の答えは「ワインガルトナーやマーラーなどが残した解釈を参考にしたよ」とのこと。以前2004年2月スラトキンがワシントンでナショナル交響楽団を振ってマーラー校訂版の「第九」を演奏したことがあったが、それ以外にも過去の指揮者たちの解釈から取捨選択して今回の演奏に活かしたようだ。音楽学者が行う校訂とは異なり、指揮者だからこそできる解釈をふんだんに盛り込んだ、正に彼にしかできない「第九」の決定版と言えるだろう。
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