アブデル・ラーマン・エル・バシャ ピアノ・リサイタル
〇2025年10月17日(金)19:00〜20:55
〇武蔵野市民文化会館小ホール
〇12列15番(最後方から4列目、中央)
〇ショパン「4つのマズルカ」Op41、同「ポロネーズ第5番嬰ヘ短調」Op44、同「夜想曲第13番ハ短調」Op48の1、同「同第14番嬰ヘ短調」Op48の2、同「バラード第3番変イ長調」Op47
 同「スケルツォ第1番ロ短調」(繰り返し省略)、同「練習曲集」Op10
+エル・バシャ「前奏曲と歌No.6Marie ou la mort d'une enfant(マリーまたはある子供の死)」


貴族の品格を備えたショパン

 アブデル・ラーマン・エル・バシャは1978年エリザベート王妃国際音楽コンクールに優勝して以来、息の長い演奏活動を続けている。そんな彼ももうすぐ67歳になる。この日はオール・ショパン・プログラムで臨む。チケットは完売、ほぼ満席の入り。

 黒のジャケットにズボンというシックな出で立ちで登場。
 まずOp41の4つのマズルカ。第1曲はホ短調だが、冒頭のメロディにはGisが入っているので一瞬長調に聞こえる。しかし3小節目から短調に戻る。たったこれだけの変化で心に影が差す。この変化をさりげなく、しかしお洒落に弾いてゆく。
 第2曲はロ長調、3拍子の2拍目にアクセントを付けるタタターのリズムをしつこく繰り返すことで音楽を躍動させ、8分音符連続の滑らかなメロディへつなげる。
 第3曲は変イ長調、華やかなメロディラインで、ワルツのような高揚感を感じさせる。
 第4曲は嬰ハ短調、冒頭の右手のメロディがまるで詩を朗読しているように聴こえる。徐々に発展して終盤では大きな盛り上がりに。

 座ったままポロネーズ第5番へ。序奏のミステリアスな雰囲気から一気に緊張を高め、最初の主旋律はインテンポだが、24〜25のアクセント付き和音を少し長めに延ばし、特に3つ目でためを作る。35以降主旋律が発展した形で繰り返されると、38の左手3拍目裏拍の8分音符などにもためを入れる。中間部の落ち着いた雰囲気から再び主部へ戻る258以降の上昇音階も力強い。
 この熱演に会場から思わず拍手。止むなく立ち上がって一礼。本当はそのまま次の曲へ行きたかったのだろう。

 夜想曲第13番、左手のトボトボ歩くような和音の上につぶやくような右手のメロディが重なる。25以降ハ長調に転じ、希望を感じさせるような音楽に。それが16分音符の3連符の連続に発展し、そのリズムのまま主部のハ短調に戻る。
 第14番、冒頭右手のメロディがここでも詩の朗読ような語り口。変ニ長調の中間部で癒される。

 そしてバラード第3番。冒頭2小節の右手のメロディ、それに続く左手のメロディが対話しているように聴こえる。52以降、ヘ長調からヘ短調、さらに嬰ハ短調へと移り変わり、終盤の変イ長調へ戻って頂点に達するまでの語り口が見事。
 ここまで聴いてまだ前半。もう腹八分目を超えたくらいの満足感。
 
 後半はまずスケルツォ第1番。冒頭の2つの和音のロングトーン、音量十分だが圧倒するほどではない。9からの主旋律も激しいが、どこか気品が保たれている。69以降もフレーズの鋭さを維持するが強引さはない。ロ長調に転じる305以降も落ち着いた語り口。終盤の盛り上げ方にも隙がない。
 ここでも拍手が入り、止むなく立ち上がる。

 Op10の練習曲集、第1曲ハ長調、右手の細かい動きよりも左手のメロディラインに神経を使っている。第2曲イ短調も同様。第3曲ホ長調「別れの曲」は比較的淡々とした弾きぶり。最後の和音が消えないうちに第4曲嬰ハ短調へ。ここも技巧で圧倒するのでなく、メロディパートを上手く際立たせている。第5曲変ト長調「黒鍵」は終始軽やかな流れだが、最後はきっちり決める。第6曲変ホ短調の右手のメロディを詩の朗読のように。第7曲ハ長調は前の曲の憂鬱な空気を振り払うように、明るく爽やかに。第8曲ヘ長調も同じ流れで軽快に。しかし間を置かず第9曲ヘ短調のやや重苦しい世界へ。第10曲変イ長調では再び明朗で夢見心地の世界へ。第11曲変ホ長調、アルベジオの連続だが一つ一つの響きが実にオシャレ。第12曲ハ短調「革命」は比較的淡々とした弾き方。細かいフレーズは粒立たせ、和音はきっちり響かせるが、あざとさやわざとらしさを一切排した弾きぶり。
 ポリーニなどの技巧を前面に出すスタイルとは対極の、詩情あふれる名演。

 彼の演奏を聴いていると、ショパンが「ピアノの詩人」と言われた意味がよくわかる。メロディに言葉を当てて、詩や短い物語のように仕立てて朗読しているように弾いている場面が目立つ。しかも和音の鳴らし方、リズム感など彼独特のものがありながら、いずれも高い品格を備えている。現代では失われた貴族的な空気を感じさせる演奏。

 アンコールはト短調のゆったりした、どこか寂しげな雰囲気を感じさせる曲。エル・バシャの作品で「前奏曲と歌」というタイトルからしても、彼が詩を音楽にすることに強い関心を示していることがわかる。

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