エフゲニー・キーシン ピアノ・リサイタル(6回公演の3回目)
〇2024年12月2日(月)19:00〜21:15
〇サントリーホール
〇2階RA6列2番(2階ステージ上手側バルコニー最後列)
〇ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第27番ホ短調」Op90、ショパン「ノクターン第14番嬰ヘ短調」Op48の2、同「幻想曲ヘ短調」Op49
 ブラームス「4つのバラード」Op10、プロコフィエフ「ピアノ・ソナタ第2番ニ短調」Op14
+ショパン「マズルカイ短調」Op67の4、プロコフィエフ「3つのオレンジへの恋」より「行進曲」、ブラームス「ワルツ変イ長調」Op39の15

他者の追随を許さない音楽世界

 「神童」と呼ばれていたキーシンも、いつの間にか今年で53歳に。何度も来日しているので聴いているつもりでいたが、改めて確認したら、私自身生で聴くのは何と2006年以来だった。
 開演前には「花束などを直接演奏者へ渡しに行かないように」とのアナウンス。いまどきそんなピアニストいるのか?とも思うが、客層を見渡して納得。ほぼ満席の入り。
 しばらく見ないうちにキーシンにも壮年の風格が漂う。正面だけでなくステージ後方のPブロックの客にも丁寧にお辞儀。ステージマナーのぎこちなさもすっかりなくなっている。

 ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第27番」第1楽章冒頭から衝撃を受ける。淡々と弾き始める演奏が多い中、やや遅めのテンポで冒頭の和音からたっぷり目に響かせ、弾むようなリズム感。いつもなら今の季節のような晩秋の枯野が思い浮かぶのだが、同じ枯野でもそこを馬に乗って颯爽と駆けてゆく感じ。しかし、続く8小節目以降のフレーズは丁寧に歌い、まだ枝に残る紅葉を愛でる。24以降のppと28以降のfとのコントラストも見事。
 第2楽章に入ってさらに衝撃。ホ長調の癒しの主題を優美にレガートで弾いてくれるだろうと期待していたら、2小節目2拍目以降のFis−Gis−A−Cis−H−Fis−Gを1音ずつ区切りながら弾く!2小節目のFisとGisにはメゾ・スタッカート(=ノン・レガート)が付いているが、3〜4にはスラーが付いている。同じようなフレーズの6〜8にかけては、6のFisとGisにメゾ・スタッカート、7のA−Cis−Hにはスラー、Disと8のEにはスタッカートが付いている。そこも先と同じ弾き方をする。ただ8以降はレガート。最初は違和感しか感じなかったが、何回も繰り返されるうちにだんだん馴染んできたのか、そんな弾き方もありなのかな、と思い始める。とにかく有無を言わさぬ説得力である。

 ショパンのノクターンは一転して丁寧に、息長く歌ってゆく。変ニ長調の中間部では和音をしっかり響かせ、朗らかな雰囲気に。
「幻想曲」ではオーソドックスに静かに始まり、ヘ長調に転じる21以降少し穏やかに。43以降遠くから嵐が近付いてきて、音楽に緊張と激しさが増してくる場面では聴く者の息も付かせずバリバリ弾き進んでゆく。199以降のロ長調の部分で一息付くが、ヘ短調に戻る223以降再び嵐に巻き込まれる。それがようやく収まる294以降の行進曲に入ると、何とも言えない安堵感が心に広がる。

 休憩時間が25分と長めなのも客層を見れば理解できる。

 ブラームスの「4つのバラード」、第1曲は冒頭のニ短調の静と27以降のニ短調の動のコントラストを明確に付ける。第2曲はイ長調の夢見るようなメロディを丁寧に歌い紡ぐ一方、ロ短調になる24以降では不満と怒りを爆発させる。「間奏曲」と題された第3曲では、イライラをあちこちに当たり散らすが、一向に解決されない。嬰ヘ長調に転じる43以降は癒しの音楽に。最初の音楽に戻るも長続きせず再び癒しが訪れる。ロ長調の第4曲、下降の分散和音が延々と続く中で浮き上がるメロディラインが、憧れの歌を息長く歌う。嬰ヘ長調に転じる47以降、遅いテンポに変わりはないがより内省的な雰囲気に。
 4つの曲を4楽章のソナタのように、ほぼ切れ目なく弾いてゆく。ブラームスと言うよりシューマンに近い音楽観で捉えているのかも。

 プロコフィエフの2番のソナタは21歳のときの作品。
 第1楽章、「クライスレリアーナ」冒頭に少し似た上昇メロディに機械的な和音連打が続く。プロコフィエフ特有の乾いた音楽。
 第2楽章、ぎこちなく回る歯車のような音楽。左手が右手を何度も飛び越えながらメロディを提示。スムーズな流れに戻そうとするのを邪魔するように16で強烈な8分音符の連打が入る。
 第3楽章、嬰ト短調の陰鬱な音楽が徐々に緊張を高めながら盛り上がってゆく。頂点に達すると脆くはかなく崩れてゆく。
 第4楽章、無窮動的な音楽が一気に突っ走る。
 古典的な様式感を比較的残した上で彼特有の機械的なリズムがふんだんに盛り込まれているが、それらを場面に応じて様々なタッチで弾き分ける。極限まで鋭く弾き切るときもあれば、少し緩めて音楽にゆとりを持たせたり、故障したような感じに聴かせたり。彼以外にこんなプロコフィエフを弾ける人がいるだろうか?

 アンコールでは本編で取り上げたショパン、プロコフィエフ、ブラームスから1曲ずつ。マズルカでは15〜16で少しテンポを上げて民族色を出し、プロコフィエフでは滑稽な行進、そして聴衆の興奮を優しく鎮めるブラームスのワルツ。どれも素晴らしい。聴衆の多くがスタンディング・オベーション。

 選曲の多彩さもさることながら、どの曲にもロシアン・ピアニズム特有の圧倒的なスケール感の上に、聴く者の心を揺さぶる歌心と彼独自の解釈に基づく語り口を盛り込む。もはや彼の音楽世界は他者の追随を許さない。しかも、まだ53歳なのだ!

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