クン・ウー・パイク ピアノ・リサイタル
〇2024年11月11日(月)19:00〜20:25
〇武蔵野市民文化会館小ホール
〇11列15番(11列目ほぼ中央)
〇モーツァルト「幻想曲ニ短調」K.397(繰り返し実施)、同「ロンドニ長調」K.485(繰り返し実施)、同「ピアノ・ソナタ第12番ヘ長調」K.332(繰り返し省略)
 同「自動オルガンのためのアンダンテヘ長調」K.616、同「アダージョロ短調」K.540(繰り返し省略)、同「ジーグト長調」K.574、同「幻想曲ハ短調」K.396、同「前奏曲とフーガハ長調」K.394

作曲者の秘した思いを掘り起こす

 韓国出身のクン・ウー・パイクは1946年生まれ。1960年代から国際的に活動を重ねてきたが、初来日は2001年と意外に遅い。しかし、それ以降は日本でも高く評価され、熱狂的なファンも多い。この日もチケットはもちろん完売、ほぼ満席の入り。

 場内アナウンスで「演奏者の強い希望により」曲間の拍手を控えるよう求められる。プログラムはオール・モーツァルトで、昨年録音したCDの収録曲が大半を占める。
 ステージのドアが開いてもなかなか出てこなくて少々心配になる。全て譜面を置いての演奏。
「幻想曲ニ短調」冒頭、ペダルを多用して分散和音を一つの和音のように響かせ、文字通り幻想的な雰囲気に。アダージョに転じる12小節目以降、淡々と弾き進める右手のメロディがなぜか心に沁みてくる。落ち葉の舞い散る林の中を一人散策するような気分。
 ト短調に転じる36〜38にかけて、左手のオクターブをガンガン鳴らすわけでもないのに、ずっしりと重い和音が連なる。
 ニ長調に転じる55以降はそれまでの緊張が緩み、穏やかなでほんのり明るい雰囲気に。
 譜めくりストが次の曲をめくり終わる前に「ロンド」が始まる。前の曲の最後と同じ調性で、しかし今度はぱあっと明るく快活な雰囲気に。2の右手のCisをほとんど聴かせない。4のDは普通に弾く。
 60以降の展開部、fとpの差をあまりつけず、全体的な流れを重視。再現部になって103以降転調が繰り返される部分でも、あまり極端に音質を変えずに進めてゆく。
 この日唯一のソナタ、当初2番が予定されていたが、同じヘ長調の12番に変更。第1楽章、冒頭メロディの優美さと12以降のリズミカルな和音進行のコントラストが絶妙。ハ短調に転じてからの60以降、fとpの差を大袈裟に付けてがちゃがちゃ弾く人もいるが、全くそんな雰囲気はなく、スムーズな音楽の流れが失われない。
 第2楽章、アダージョだが優美な雰囲気に変わりはない。それが、第3楽章で一転、急き立てられるような緊張感に支配される。22〜23など、スタッカートを強調したリズミカルなフレーズで変化をつける。最後は勢いよく飛び出した風船のガスが切れるように静かに終息。

 後半も前半と同じアナウンスが流れる。
「自動オルガンのためのアンダンテ」、前半最後のソナタと同じヘ長調の曲。唱歌風の親しみやすいメロディが繰り返され、その間にどこか他の作品に出てきそうなフレーズが挟み込まれている。
 弾き終わると今後は自分で譜めくりして「アダージョロ短調」へ。再びこのリサイタル冒頭の寂しい秋の雰囲気へ逆戻り。11以降の左手の交差で寂しさが増していくが、それを15のfの和音で打ち消す。その後長調に転じて少しだけ慰められるが、展開部を経てまた元の寂しさが襲ってくる。
 それが「ジーグ」になるとまた一転して目まぐるしい動きが前面に。同じ秋の風景でも、日の光に照らされながら落ち葉が小さな竜巻のように舞い上がる感じ。
「アダージョハ短調」は、ピアノ・ソナタ第14番とセットでよく演奏されるもの(K.457)とは別の曲。冒頭の分散和音の上昇が何度も繰り返されるとともに、fとpが交互に現れたり、右手が交差して3度和音の上昇音階を繰り返すなど、K.457より悲劇的な雰囲気の音楽。しかし、61以降にハ長調に転じ、最後は興奮を鎮めるように終わる。
「前奏曲とフーガ」はそのハ長調を受け継ぐような明るい和音で始まるが、その勢いは長続きせず、アンダンテになる9以降は短調が支配する不穏な音楽に。
 それが一段落すると、ハ長調のフーガが恐る恐る始まる。小さな芽として出てきた音楽が徐々に葉を付け、枝を伸ばし、徐々に成長して最後には音楽の大木へ。

 ソナタなどの有名作品の中に埋もれがちなモーツァルトの小品を一つ一つ品定めして、これはと思った曲を集め、各曲の奥にモーツァルトが秘した思いを丁寧に掘り起こして聴く者に伝える。そして、一見バラバラに集めたような数曲のまとまりが、一つの大きな作品であるかのように迫ってくる。「孤高のピアニスト」と呼ばれる所以だろう。
 鳴りやまぬ拍手、ただそこにアンコールを求める下世話な雰囲気はない。拍手に丁寧に応えるパイクも、聴衆に感謝を伝える以上の余計な仕草はない。演奏家と聴衆の関係、かくありたいと思う。

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