アレクサンダー・コブリン ピアノ・リサイタル
〇2024年10月28日(月)14:00〜15:15
〇武蔵野市民文化会館小ホール
〇12列16番(12列目中央)
〇ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第30番ホ長調」Op109、同「同第31番変イ長調」Op110、同「同第32番ハ短調」Op111
(以上通しで約68分、繰り返し全て実施)
楽器と技術の相性が生み出す説得力
コンサート会場の入口前でビニール袋に入ったチラシの束を受け取る。今後の演奏会などの予定を知らせる厚手の紙にカラフルな印刷のチラシをチェックしていくと、異彩を放つペーパーに出くわす。白の上質紙にモノクロ印刷でほぼ字しかない(写真があってもモノクロ)その異形のチラシは、却って見る者を惹き付けて離さない。武蔵野市民文化会館のコンサートのチラシである。目立つのは紙や印刷や宣伝文句だけでなく、演奏家の選択もなかなか凝っている。名の知れた演奏家であれば都心の会場より安いチケット料金を用意するし、主催者である武蔵野文化生涯学習事業団の目利きが掘り出し物や売り出し中の演奏家を見つけて独自の演奏会を企画・実施する。そんなやり方が武蔵野市民やクラシック・オタクの熱い支持を得てきた。
私事だがこの4月に職場が武蔵野市になり、市民文化会館にも近くなったので早速ここでの演奏会へ行こうと思ったら、甘かった。特に小ホールの主催公演のチケットを取るのは至難の業で、発売当日午前10時すぐに手を打たないと、全く取れない。何度か試してようやくチケット入手。平日午後なのにもちろん完売、ほぼ満席の入り。
アレクサンダー・コブリンは1980年モスクワ生まれ、2000年のショパン国際コンクールで第3位、2003年の浜松国際ピアノコンクールで1位なしの第2位、2005年のヴァン・クライバーン国際コンクールで優勝。2010年に米国に移住して以降、そこを拠点に活動。
第30番第1楽章、ささやくような弱音で弾き始める。12〜13小節目のアルペジオはfの部分も軽めに響かせるが、後半の61〜62にかけては同じfでもしっかり鳴らし、ffでさらに豊かに響かせる。展開部16以降徐々にクレッシェンドしながら48の冒頭主題が回帰するまでの緊張感の高め方も見事。
第2楽章、第1楽章最後の和音の静寂を突き破るかのように激しく始まる。55以降の左手の動きが力強い。
第3楽章、5や13の右手の装飾音を何とも軽やかに響かせる。第2変奏までは夢見心地の穏やかな音楽の流れだが、第3変奏で快活に走り始める。そこから第4変奏へ続けていくくだりが何ともエレガント。106以降の盛り上がりも心地良い。第5変奏では一転して対位法的な音の建築が組み上がっていくが、それが徐々に収まっていつの間にか第6変奏へ。ゆっくり動き始めた歯車が高速回転していく周囲をアルペジオ風の細かいパッセージが縦横にかけめぐる。
一呼吸置いて第31番へ。第1楽章、第30番第3楽章の主題との共通性を念押しするかのように、丁寧に弾き始める。12以降の右手の32分音符のフレーズも繊細なタッチで弾き進める。その一方で25以降の左手のトリルが下降しながらfまで盛り上げていく流れが極めて明確。
第2楽章、1〜4のpと5〜8のfのコントラストが鮮やか。変ニ長調に転じる41以降は右手の無窮動的フレーズよりもその上下を行き来する左手の音を浮き立たせて面白い。
第3楽章、一段と集中力を上げて細心の注意を払いながら和音を響かせる。その雰囲気を保ったまま第4楽章のフーガが始まる。背中がぞくぞくしてくる。堅実に積み上げて音の伽藍を110で一旦完成させた後、忘れていた過去を振り返るようにト短調の中間部へ。このあたりの語り口も滑らか。さらにそこからト長調に転じてフーガ主題へ戻ってゆく132以降も強引なところが全くなく、自然な流れ。変イ長調に戻る174以降の左手のオクターブが、再び伽藍の柱を地面に立てていくように重々しく響く。
第31番最後の壮麗な和音に酔う私たちに一発ビンタを張るように、第32番第1楽章左手のオクターブが始まる。途端に現実の苦難を直視するよう引き戻される。徐々に緊迫感が高まっていくが、48〜49の右手の交差で一旦落ち着く。53〜55までたっぷりリタルランドをかけてから、一気に坂を駆け下りて提示部の終わりまで突き進む。
第1楽章の激情は150以降ようやく収まり、その静けさを引き継いで第2楽章のアリエッタの主題へ。右手の8分音符+16分音符の「タータ」のリズムが主題では時折出てくるだけだが、第1変奏ではそのリズムを繰り返しながら歌っていく。第2変奏ではそのリズムが16分音符+32分音符に分割されてより細かな動きに発展するが、まだ穏やかな雰囲気が残っている。それが第3変奏になると、さらに32分音符+64分音符に分けられて一気に喜びが弾ける音楽へ。細胞分裂しながら成長し、活発さを増していく生物の躍動感が伝わってくる。終盤からその熱も一旦収まって第4変奏に入るが、左手のトリル風パッセージに躍動感は受け継がれている。次のエネルギーをためるかのように繊細な音楽が続き、100以降息の長いクレッシェンドへ。それも収まりハ短調の部分を経て第5変奏へ。トリルの上を主題が伸びやかに歌い、天へ昇ってゆく。昇り切ったのを見届けた後は、ふとため息をつくように、最後の音にはあまり余韻を持たせずあっさり終える。
3つのソナタを一つの物語のように弾いてゆく語り口は彼独自のもの。ピアノは「シゲルカワイ」で、なぜあえて使うのか不思議だったが、彼がこの楽器の骨太の音質を理解した上で、その可能性を最大限に引き出せるようにロシアン・ピアニズムの技術を活用しているのがよくわかる。奏者と楽器の相性が合うとこんな説得力ある演奏になるのか、と納得。