2024年度全国共同制作オペラ「ラ・ボエーム」(2回公演の初日)
○2024年9月21日(土)14:00〜17:10
○東京芸術劇場コンサートホール
○3階C列52番(3階3列目ほぼ中央)
○ミミ=ルザン・マンタシャン(S)、ロドルフォ=工藤和真(T)、マルチェッロ=池内響(Br)、ムゼッタ=イローナ・レヴォルスカヤ(S)、コッリーネ=スタニスラフ・ヴォロビョフ(B)、ショナール=高橋洋介(B)他
〇井上道義指揮読響(7-8-8-6-6)
、ザ・オペラ・クワイア、世田谷ジュニア合唱団、バンダ・ベル・ラ・ボエーム
〇森山開次演出

歌手とオケが手を取り合って

 今年いっぱいでの引退を表明している井上道義が最後のオペラとして選んだのは、全国共同制作オペラ。7都市を回る8公演は、正に「引退興行」と呼ぶにふさわしい。演目として選ばれた「ラ・ボエーム」も人生の喜怒哀楽が集約された作品で、いかにも彼らしい選択。チケットはもちろん完売、ほぼ満席の入り。

 1階前方の客席を5,6列ほど撤去してオケピットを設置。
 第1幕、ホリゾントに大きな窓、その手前に背の高い机。ステージ両端にはエッフェル塔などを連想させる様々な形のイーゼルが5脚ずつ並ぶ。パリの街並みをイメージしたものか。下手に横長の大きな絵、周囲の床には絵の具のシミが広がる。中央にテーブル、上手にストーブ。部屋に扉はなく、舞台手前の3段ほどの階段が部屋の内外を分け、下手側の階段付近が部屋のドアという設定。だから次の場面に登場する人物たちが、客席には早めに見えることになる。
 ロドルフォはオーソドックスな詩人風の外見だが、マルチェッロはよく見ると坊ちゃん頭に黒縁の丸眼鏡をかけている。藤田嗣治そっくりの姿で思わず笑ってしまう。
 ボヘミアンたち4人には、彼らの分身に見立てた黒子風衣裳のダンサーたちが、歌に合わせて周りで踊っている。例えば、ロドルフォが自作を書いた紙をストーブ用に燃やす場面では、炎を表現。
 ショナールが食べ物や等身大の巨大なワインの瓶を抱えて帰ってくる。
 ベノアが入ってくると、4人は中央手前に椅子を置いて、そこへ座らせる。ベノアが浮気相手の女のことを話す間、窓に彼のシルエットが映る。
 ミミやロドルフォの持つろうそくの火はダンサーが消す。鍵探しからロドルフォがミミの手を握るあたりの動きはほぼオーソドックスな流れ。ロドルフォはミミをストーブのそばに座られて「冷たい手を」を歌う。
 終盤の二重唱、ミミとロドルフォは身体を寄せ合いながら下手へゆっくり歩きながら退場。

 入れ替わりに下手から道化姿のパルピニョール登場。舞台転換の間にダンサー2人とパントマイム。しばらくすると下手からカフェ・モミュスの主人(ベノア役の歌手)と店員たちが登場。おでこから鼻の頭にかけて逆L字型の黒い線が塗られている。"Cafe Momus"と描かれた看板を中央奥の窓の下手側に掲げ、窓が店の入口、背の高い机はバーカウンターになる。手前にテーブルと椅子が並べられる。ステージ脇の客席にはもともと照明器具が置かれているが、その間にもイーゼルが置かれる。

 第2幕、階段手前のステージ前方に所狭しと物売りや人々が行き交う。人々は窓枠のような骨だけのキャンバスを持っていて、それをイーゼルに立てかける。
 ショナールたちは上手のテーブルに席を取る。マルチェッロだけはテーブル手前にしゃがみこんでふさいだ表情。料理の絵が運ばれてくる。
 下手からムゼッタが毛皮のコートを羽織って登場。続くアルチンドロはうずたかく積まれた買物の山を抱えながら入ってくる。ムゼッタは下手のテーブルに客がいるのを無理やりどかせて座る。ワルツの前奏のピツィカートに合わせて、婦人たちの衣裳に付けられた電飾が点灯。ムゼッタはコートを脱ぐと両肩を出した真っ赤な衣裳。
 マルチェッロは店内にいる娘たちを2人ほど見繕って仲の良い仕草をして見せるがムゼッタには効かない。逆に彼女は悲鳴を上げて赤い靴を脱ぎ、アルチンドロの前で椅子の上に足(ただ脱いだ方でなく靴を履いている方の足)を乗せ、再びワルツを歌うと、ついにマルチェッロは降参、彼女を抱いて回ってみせる。
 下手から軍楽隊が入場し、上手へかけて行進、その姿をフランス国旗を持って見送る人々。軍楽隊が退場すると、人々は一斉にそちらを向き、ようやく靴を買って戻ってきたアルチンドロは店の主人から請求を見せられ、椅子に座り込む。音楽が終わって人々が退場した後も2人だけ残り、アルチンドロはサインして2人は両脇へ分かれて退場。一旦止んだ拍手が再び起こる。

 第3幕、イーゼルは撤去され、舞台上はほぼ何もない状態。上手奥でマルチェッロが看板らしきものを描いている。修道士のように白いマントを頭から羽織った人々があちこちに立っている。マルチェッロは一旦上手へ退場。上手奥が居酒屋という設定。
 門番と門を行き交う人々のやり取りは声だけで、舞台上の動きはない。
 ミミは下手から登場、マント姿の1人に道を聞いて上手へ向かって進むと、マルチェッロが出てくる。それに合わせてマントの人々も退場し、舞台はミミとマルチェッロだけになる。ロドルフォが起き出してくるので、ミミは下手後方へ移動。
 上手手前のロドルフォとマルチェッロのやり取りを聴いていたミミは、泣き出すので、ロドルフォは気付く。2人はステージ奥で別れの二重唱。字幕に雪が降る。マルチェッロとムゼッタの痴話喧嘩はステージ手前で。ムゼッタは別れを告げて下手へ退場。

 第4幕、第1幕とほぼ同じだが、階段の両端のイーゼルがたたんで積まれている。下手でマルチェッロが描いているのは第1幕のものよりずっと小さく、イーゼルに立てかけられている。ロドルフォとマルチェッロが恋人を懐かしむ二重唱で、ダンサーの1人がその絵を客席に見せる。ムゼッタの肖像画で、窓の下手側の壁に掲げられる。二人が投げつけた羽根ペンと絵筆をダンサーたちが拾って彼らに戻してやる。
 ショナールとコッリーネが帰ってきて、4人の馬鹿騒ぎが始まるが、それが最高潮に達したところで下手からムゼッタがミミを抱えてやってくるが、ミミは階段を昇り切れない。ムゼッタからの知らせを聞いたロドルフォは慌てて階段のところまで行き、他の3人は木箱をつなげてベッドを作り、ミミを寝かせる。
 コッリーネの外套のアリアはストーブの手前で歌う。2人きりになったミミとロドルフォの二重唱、途中からロドルフォはベッドの奥側でなく手前に移動して一緒に歌う。しかし、ミミの左手がベッドの下へだらりと垂れたのに気づかずベッドから離れ、奥の窓を少し開ける。周囲の雰囲気に気付き、慌ててベッドに駆け寄るも時既に遅し。階段の周辺で4人のダンサーたちもしぼんでゆく。

 マンタシャンはアルメニア出身。可憐な中にも伸びのある声で、ミミにぴったり。工藤も「冷たい手を」のハイCを朗々と伸ばすだけでなく、情熱的な歌いぶりでこちらもロドルフォにぴったり。レヴォルスカヤはロシア出身でロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージック修了。貫通力のある声で、こちらもムゼッタにふさわしい歌いぶり。池内も明るい声質のバリトン、レボルスカヤと対等に渡り合う。ヴォロビヨフはロシア出身でチューリヒ歌劇場所属。品格ある声で落ち着いた歌いぶり。高橋も充実した歌いぶりでもっと出番が欲しいくらいの魅力的な声。他のソリストたちも、少年を含め、それぞれの役割を十二分に果たす。
 ザ・オペラ・クワイアは本公演のための特別編成の合唱団。声量十分、舞台慣れした歌いぶり。世田谷ジュニア合唱団と、やはり本公演のために特別編成されたバンダ・ベル・ラ・ボエームも第2幕を盛り上げる。

 森山の演出は、歌のない部分を中心に、歌の表現の奥底を垣間見せるような形でダンスを活用。全体的には堅実な演出で、安心して観ていられる。
 
 これら歌手やダンサーたちの好演をリードしたのは、もちろん井上の卓抜した指揮にあることは言うまでもない。第1幕でロドルフォのアリアあたりからかなり遅いテンポなのだが、音楽の流れがよどむどころか、まるで歌手とオケの奏者1人1人とを手を取らせて一緒に踊らせているかのような、実に濃密なアンサンブルを聴かせる。オーケストレーションにこだわったプッチーニのオペラの魅力を余すところなく聴かせるところなど、井上にしかできない芸当と言ってよい。
 カーテンコールの井上も終始上機嫌。少年のソリストやバンダのリーダーも他のソリストたちと一緒の列に加え、劇中でソロを弾いたコンマス、Va、Vcの首席奏者も立たせて喝采を送る。

 こんな楽しいオペラを見せてくれる指揮者はもう現れないかもしれない、と思うと改めて井上の引退が惜しまれてならない。

表紙に戻る