井上道義指揮都響
〇2024年5月30日(木)19:00〜21:00
〇東京文化会館
〇4階3列25番(4階正面最後列上手寄り)
〇ベートーヴェン「交響曲第6番ヘ長調」Op68(田園)(約44分、繰り返し全て実施)(8-6-4-3-2、下手から1V-Va-Vc-2V、CbはVcの後方)
ショスタコーヴィチ「交響曲第6番ロ短調」Op54(約33分)(16-14-12-10-8、下手から1V-2V-Vc-Va、CbはVcの後方)
(コンマス=水谷、山本)
ミッキー・マジックを堪能
都響は現在「定期演奏会1000回記念シリーズ」と称し、第1000回前後の8回の定期に内外の実力派指揮者を招いている。この日もそのシリーズの一環だが、それに加えて引退前井上の最後の都響客演という意味合いもある。チケットは完売、ほぼ満席の入り。
ロビーに張り紙がしてあった。「指揮者の希望により前半の演奏中は、客席内が通常の公演時よりも暗くなります。」(下線原文)とある。はて、何が起こるのか?
「田園」の編成は弦が23人と極端に少ない。団員たちはステージ中央にこじんまりと収まっている。あれ、木管の上手に置かれたティンパニに奏者がいないし、金管もいない。
張り紙のとおり、団員が座ったステージ中央のスペースにだけ照明が当たり、その周囲は暗い。
第1楽章、テンポはほぼ標準的。16小節目以降、2V以下の8分音符をスタッカート気味に弾かせる。67以降Vc→1V→低弦へとメロディの受け渡しをそれとなく強調。115以降のVのフレーズ切れ目の4分音符のスタッカートとその後の8分休符をしっかり聴かせる。何となく続けて弾いているのに慣れていた耳には実に新鮮に聴こえる。井上から「ちゃんと楽譜見てる?」と問われているみたい。
展開部の150以降、隣同士のVaとVcがオケを先導して盛り上げていくのがよくわかる。その一方でそれに重なるVと木管のフレーズだが、1V8人、2V6人くらいだと、木管との音量バランスが絶妙。どちらかが大き過ぎることなく交じり合って聴こえる。これも井上マジックか。187以降などの1VとFgも同様。
終盤440以降の全奏は豊かな音楽だが、インテンポであおるような表現はない。
第2楽章、2V、Va、Vcが8分音符(5以降は16分音符)を連ねるフレーズが、文字通り小川のせせらぎのように流れ、心地良い。
32以降のFgのメロディに34以降VaとVcも重なる。41以降はFlと1Vが重なる。これらがまたバランス良く響く。
58以降転調が続くが、そのたびに森の情景が変わってゆくのが目に浮かぶ。
129以降木管が鳥の鳴き声を表現するところでは、井上が上を見上げて鳥を探す仕草。
第2楽章が終わってもティンパニ、金管奏者は登場しない。
そのまま第3楽章へ。淡々と進み、165以降の全奏に入ったところで、上手からようやく奏者たち入場。2V後方のストゥールが並べられたスペースに並ぶ。181から出番のあるTp2人は立ったまま演奏し、休符になったところで座るという慌ただしさ。オペラ公演で出番のない奏者たちが一時退場して出番が近づくと戻ってくることがあるが、それをイメージした「演出」だろうか。
第4楽章に入ると、後から加わった奏者たちが大活躍。ティンパニはもちろんだが、82以降、上手端最前のPicc.(ピッコロ)が吹き始める。そう、Picc.も途中入場組だったのだ。立って演奏し、終わったらストゥールに座るなんて、オケ奏者として初めての経験ではなかろうか?
そんな井上演出に見とれるうちに第5楽章へ。Picc.の出番こそないが、オケ全員で演奏することの楽しさや感謝の気持のような雰囲気が伝わってくる。
終盤2度のクライマックスはもう少し響きの厚さを求めたくなるが、その後の237以降テンポを落とし、丁寧に、大事に最後の部分を演奏。
弦の人数を室内オケ並みに絞り、指揮台もなく指揮者と奏者の距離が近い。演奏自体は室内楽と言っていいくらい奏者間の親密なアンサンブルが印象に残る。
カーテンコールで指揮者が管楽器の首席などを立たせて称えるのは珍しくないが、まだ前半なのに団員たちが指揮者を称える場面も。
後半は一転して16型の弦、しかも2VとVaの配置も入れ替える。管打楽器の編成も大きくなり、いつもの明るいステージに。指揮台も置いてある。
第1楽章、かなり遅いテンポで重々しく始める。人数の増えた弦を思う存分響かせる。3度とオクターブを組み合わせたテーマを繰り返しながら、重い足取りで徐々に盛り上げてゆく。それが一段落した後EHr(イングリッシュ・ホルン)のソロがあてどなくさまよう。それを受けて弱音器を付けたTpが葬送行進曲風テーマを提示。Clなどに受け継がれてゆく。いつもの第2Flの隣に収まったPicc.やBCl(バス・クラリネット)のソロも耳に残る。
音楽は徐々に弱々しくなり、終盤にVが冒頭主題と葬送行進曲のテーマを再現させ、消え入るように終わる。
第2楽章、スケルツォ風。テンポは標準的。PiccCl(ピッコロ・クラリネット)が沈鬱な空気を切り裂くかのように走り出し、それを他のパートも追いかけてゆき、あっという間にお祭り騒ぎに。ただ、それも長続きせず、中間部を経てスケルツォ風主題が回帰しても元の勢いは取り戻せないまま、尻すぼみ加減に終わる。大玉の後に線香花火を見ているような気分。
第3楽章、軽快なリズムの主題が1Vから各パートへ受け継がれ、再び音楽に熱がこもってくる。ロ短調だがなぜか明るく響く。
いったん熱狂が鎮まった後をコンマスが引き継ぎ、冒頭主題に戻る。ロ長調に転じて金管が主導する陽気な音楽が繰り返され、そのエネルギーを保ったままフィナーレへ突入。
井上ダンスはこの日も健在、各パートへの指示がそのままダンスになっている。特に第2楽章はただ踊っているだけに見えるような場面も。第3楽章終盤では顔だけ客席の方を向き、そのまま振り終える。
ショスタコーヴィチは井上が近年特に重点的に取り上げており、2月にはN響定期で13番を振っている。大曲には意欲満々で臨んできた一方、交響曲としては小振りな6番ではどうかと思ったが、杞憂に終わる。明暗がはっきり分かれていてショスタコらしいリズミカルでノリのいい音楽も含まれているだけに、井上にとっては振りやすい曲と言えるだろう。井上のノリが都響の団員たちにも伝わり、緻密さを保ちながらその対極とも言えるハチャメチャさも兼ね備えた稀有な演奏に。
カーテンコールではまずコンマスと抱擁。その後各パートの近くまで行って立たせ、称える。開いた傘をひっくり返したような形の大きな花束を第2V首席から渡されると、彼女を花束ごと抱擁。団員解散後の一般参賀では水谷・山本のダブルコンマスも引き連れ、2人への感謝も見せる。
これで井上指揮の都響も最後かと思うと、急に寂しさがこみ上げる。