セバスティアン・ヴァイグレ指揮読響
〇2023年7月27日(木)19:00〜20:50
〇サントリーホール
〇2階RA6列11番(2階上手ブロック最後列Pブロック寄り)
〇モーツァルト「フリーメイソンのための葬送音楽ハ短調」K.477
(8-6-5-4-3)、細川俊夫「ヴァイオリン協奏曲「祈る人」」(日本初演)(12-10-8-6-4)+イザイ「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第4番」より「サラバンド」(V=樫本大進)
 モーツァルト「交響曲第31番ニ長調」K.297(パリ)
(12-10-8-6-4)、フランツ・シュレーカー「あるドラマへの前奏曲」(16-14-12-10-8)(コンマス=長原)

指揮者のこだわりが前面に

 読響の常任指揮者、セバスティアン・ヴァイグレが2月以来久々の登場。今シーズンはフランクフルト歌劇場の音楽総監督として最後のシーズンとなるため、そちらの仕事に専念していたらしい。ルディ・シュテファン「最初の人類」を最後の公演として振り終わっての来日となる。
 久しぶりの読響との演奏会で選んだ曲目は、モーツァルトと現代音楽の組合せを2セットというユニークなもの。7割程度の入り。

「フリーメイソンの葬送音楽」は当初男声合唱と管弦楽のための作品だったらしい。その後合唱が削除され(涙)、管楽器が増強されたとのこと。いつも木管楽器が座るエリアには前列下手からClとOb2人、後列にHr2人、バセットHr3人、Fgという珍しい配置。冒頭の管による和音が悲しく響き、弦が加わると低弦が重々しく響き、そこにバセットHrとFgが重なってさらに沈痛な雰囲気に。次の曲を意識した、祈りの思いに満ちた演奏。

 細川俊夫のヴァイオリン協奏曲「祈る人」はベルリン・フィル、ルツェルン響、読響の共同委嘱作品。ウクライナ戦争など混迷を深める世界情勢に作曲者の母親の死や自身の病気などに触発された曲で、作曲者自身の解説によると、日本の各地にある無名の彫刻家による仏像の祈りのような音楽を目指したということらしい。ヴァイオリン独奏をシャーマン、オケをシャーマンの内と外に広がる宇宙、自然と捉えたとも書いている。
 ほとんど聞こえない最弱の高音からソロは始まり、徐々に明確な持続音になってくる。オケも持続的な不協和音の連続でソロに応える。両者のやり取りがひと段落すると、今度は低弦から徐々に湧き上がるような音楽が展開される。不協和だが比較的平穏なハーモニー。時折打楽器が、句読点のような短く鋭いフレーズをはさむ。
 中盤になると、平穏に反抗するかのようにヴァイオリン・ソロが激しく動き始める。重音のトレモロが繰り返されると、オケも分厚い響きで対抗する。
 やがて音楽はだんだん静まってゆき、最後はヴァイオリン・ソロが高音・最弱の持続音から飛び立って消えてゆくようなフレーズで天に昇ってゆく。
 この作品はこの日のソリスト、樫本に捧げられた。作曲者によると彼の演奏する姿は「祈る人」に見えるそうだ。彼独特の芯のはっきりした音や技巧的な部分を堂々と弾きこなす姿は、作曲家にとって正にシャーマンに見えるのだろう。
 カーテンコールでは作曲者も客席からステージに上がる。
 アンコールのイザイもピツィカートに始まり、終わる曲で、祈りの要素が込められているように聴こえる。

「パリ」交響曲は、モーツァルトの交響曲の中でも珍しい2管編成。
 第1楽章、速めのテンポだが、重心の安定したハーモニー。74小節目以降、通常は目立つVの16分音符のトレモロをあまり目立たせないので、管楽器とVa以下の上昇音階の掛け合いがより明確になる。
 第2楽章、テンポは標準的だが、冒頭の「かっこう」のテーマで低弦を少し厚めに響かせる。弦とFgのユニゾンになる23〜24なども同様。最後の音では、かっこうを空に羽ばたかせるかのように、握った手を前に広げながら押し出すような仕草を見せる。
 第3楽章はアレグロの指示だが、プレストかと思わせるほど速い。提示部終盤の95以降に半音階で加わる低弦が心地良い。その後も息つく暇を与えず一気に駆け抜ける。

 フランツ・シュレーカーは20世紀初頭から1920年代にかけて活躍したが、ナチスから「退廃音楽」のレッテルを貼られて失意のうちに亡くなった。「あるドラマのための前奏曲」はヴァイグレが総監督を務めたフランクフルトで1918年に初演され大成功を収めたオペラ「烙印を押された人々」の音楽を元にしている。
 弦がどこか不安な雰囲気のフレーズを提示し、徐々に盛り上がってゆく。ひと段落すると行進曲風の音楽に。続いてBClが不吉なテーマを奏でると、音楽は大きなうねりを伴って再び盛り上がる。時折プッチーニ「マノン・レスコー」間奏曲を思わせる雰囲気になるなど、ロマンティックな響きが目立つが、メロディは短いフレーズを継ぎ足していくように示されるので、酔えそうで酔えない感じ。そのあたりがナチスに嫌われたのかも。
 EHrやコンマス、VaとVc首席のソロも挿入されながらしだいに音楽はしだいにたそがれてゆき、やがて静かな雰囲気に落ち着きそうになったところで、再びBClの不吉なソロが顔を出す。ヴァイグレの作曲家に対する思い入れがひしひしと伝わる演奏。

 凝ったプログラムにもかかわらず、私を含む一部聴衆は、待ち兼ねたとばかりにヴァイグレを一般参賀に引っ張り出し、満足。
 

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