川瀬賢太郎指揮日フィル
〇2023年7月1日(土)17:00〜18:45
〇横浜みなとみらいホール
〇1階C2列8番(1階2列目下手側)
〇モーツァルト「フィガロの結婚」K.492序曲

 同「ピアノ協奏曲第25番ハ長調」K.503(約31分)
(以上10-8-6-4-3)
 +バッハ「ゴールドベルク変奏曲」BWV988より「アリア」(以上P=菊池洋子)
 ストラヴィンスキー「春の祭典」(約37分)
(14-12-10-8-6)(コンマス=田野倉)

遊び心溢れるカデンツァ

 日フィルは横浜で定期演奏会を初めて今年で50年になるそうだ。在京オケの中でずば抜けて地方公演の多い日フィルの原点と言える演奏活動かもしれない。縁あってその横浜定期を初めて覗いてみる。7割程度の入り。

「フィガロの結婚」では短い曲の中にも指揮者のこだわりが垣間見えて面白い。例えば45小節以降のVの刻みに対して両手でピストルを交互に撃ち続けるような仕草をしたり、普通はVa以下のフレーズを前面に出す85以降でHrを強調してみたり。

 ピアノは最初から中央に置かれている。続くピアノ協奏曲、菊池は真っ白で右肩だけ帯の付いた艶やかな衣装で登場。長い黒髪は束ねず、演奏前に左側に寄せる。つまり正面客席側から横顔がよく見えるのだが、その髪を寄せる仕草にまたキュンとくる。おっと、演奏に集中しないと。
 テンポはほぼ標準的。第1楽章、冒頭の全奏が回帰する112以降、fのオケは重心の低い響きを聴かせるが、それに応える120以降のpのピアノは対照的に軽やか。
 ハ長調だがモーツァルト特有の途中で短調を混ぜる悪戯が随所に登場し、一筋縄ではいかない。しかし、菊池はその長調・短調の入れ替わりを楽しむかのように弾いてゆく。例えば提示部が一段落した後の230以降のホ短調とト長調の交代も鮮やかだし、再現部の304以降迷宮のような短調で聴く者を不安にさせた後、364以降ハ長調の第2主題が救いの女神のように現れる。
 さらに面白かったのがカデンツァ。聴き慣れたものかと思いきや、途中でフィガロの「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」やパパゲーノの「おいらは鳥刺し」の一節が挿入され、油断ならない。こういうことがあるからこそ、最初に「フィガロ」の序曲を演奏した意味も深まるというもの。
 第2楽章は穏やかだが緩みのない音楽。ハ長調の第2主題の途中、54以降で若干テンポを落として32音符の息長いフレーズを丁寧に響かせる。
 間髪入れず第3楽章へ。8以降の木管のフレーズ、通常はスラーのかかっていないFとDの間を切るのだが、そのままレガートで弾かせる。菊池のピアノは明るい音で躍動感のあるフレージング。しかし、モーツァルトに必要ない極端なffやppは一切用いず、それでいて各部分の曲想をきっちり弾き分ける。お見事と言うほかない。
 演奏後小声で指揮者が菊池に対して「ブラヴォー!」

 モーツァルトの前半の後にストラヴィンスキー、しかもその中で最も過激な「春の祭典」とは。
 第1部、冒頭のFgがかすれそうな音からソロを奏で始める。久々にステージに近い席から聴くと、普段聴き逃がしているフレーズが次々と耳に飛び込んできて楽しい。練習番号11の2小節目以降にコンマスのソロがあるし、Vc首席のソロもしばしば出てくる。「春の兆しと若い娘たちの踊り」となる13以降の弦のアクセントは少し控え目だが、しだいに音楽はエネルギッシュに展開してゆく。「略奪遊戯」でそれが一つの頂点の達した後、「春のロンド」で一旦落ち着く。50の3小節目以降のVaのアンサンブルが美しい。その後は再び野性的なエネルギーが発散されてゆく。その合間に、下手後方Hr奏者最後方で持ち替えるワーグナーTuと上手後方のTuのやり取りが飛び込んできたりする。
 第2部、序曲でVaパートのアンサンブルが再現され、再び酔う。「若い娘の神秘的な集い」では、嵐の前の静けさのような雰囲気だが、その終盤4分の11拍子のティンパニ連打で雰囲気は一変。野蛮と陶酔の入り混じった音楽が展開されるが、決して乱暴にならず、GP(全休止)を長めに取りながらあくまで丁寧に音楽を創り上げてゆく。
 最後の一撃に至る前のピッコロなどの装飾フレーズもゆっくりめ。演奏終了後しばらく沈黙。聴衆にブラヴォー。

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