上岡敏之指揮読響
〇2023年5月31日(水)19:00〜21:05
〇サントリーホール
〇2階C10列21番(2階10列目ほぼ中央)
〇シベリウス「エン・サガ」Op9
(16-14-12-10-8)
 シューマン「ピアノ協奏曲イ短調」Op54(P=ヴィルサラーゼ)(約30分)
(12-10-8-6-4)
 ニールセン「交響曲第5番」Op50(約36分)
(16-14-12-10-8)(コンマス=長原)

繊細で重厚なシューマン

 新型コロナが5類感染症に移行してから初めての演奏会へ。席数制限もなく、マスクを外した聴衆も目立つ。場内アナウンスも「ブラヴォーはマスクをして」と、コロナ前の状況にほぼ戻りつつある。8割程度の入り。

 上岡はドイツでの演奏活動が長いが、2016年からはコペンハーゲン・フィルの首席指揮者も務めている。この日のプログラム3曲のうち2曲は北欧ものだ。
「エン・サガ」はスウェーデン語で「ある伝説」という意味だそうだ。新婚旅行中に書き上げた交響詩。弦楽器をパート分けして弾かせるアルペジオの上に重なる木管などの民謡風メロディを丁寧に響かせる。後半には最晩年の「タピオラ」を連想させるような弦のトレモロによるメロディも登場し、シベリウス独自の音楽表現の片鱗を随所に聴くことができる。幻想的な雰囲気に満ちた演奏。
 2度目のカーテンコールでソロで活躍したクラリネットとヴィオラの首席を立たせて演奏を称えるが、それでも拍手が鳴りやまず、指揮者がもう1度出てきて再び2人を立たせる。

 ヴィルサラーゼはコロナ禍の間もたびたび来日してくれたのだが、なかなか日程が合わず、久しぶりに聴く。読響とは2018年以来2度目の共演だそうだ。シューマンは最も得意なレパートリー。いつもの黒を基調とした衣裳だが、ハンカチまで黒なのには少々びっくり。
 第1楽章、少し速めのテンポ。冒頭のフレーズは派手さこそないがバランスの取れた響き。12小節目以降の第1主題をたっぷり情感を込めて奏でる。しかし驚いたのはそれに続く19以降、他の奏者なら1Vと重なって埋もれてしまう左手のフレーズがきちんと聴こえてくる。その後もピアノとオケとのバランスが絶妙。どちらも主張するがどちらかが引っ込むことはない。
 変イ長調に転じる156以降もテンポを落とさず、一歩引いた形でアルペジオを奏でる。その上で木管が心地良さそうに歌う。そのままの流れで185以降の激情ほとばしる部分へ突入するが、イ短調に戻る205以降は波が次第に引いていくように第1主題へ戻る。曲の表情は変化するが、音楽の流れに淀みがない。
 圧巻は402以降のカデンツァ。淡々と弾いているようで、左手の低音が終始重厚に響き、右手は感情を外に発散させるのでなく、内に向かって燃え上がらせる。
 第2楽章、束の間の夢のようなピアノのフレーズから始まり、そのお膳立てに乗って木管やVcが表情豊かに歌う。
 あっという間に第3楽章へ。ここでは和音をしっかり響かせつつも必要以上に重くせず、音楽の流れを決して止めない。40以降の息長いフレーズが何とも心地良い。オケの全奏に応える222〜223の和音もアクセントは付けない。
 その後もピアノとオケのバランスが抜群。ピアノが弾いているときにはオケが対等に向き合い、ピアノが休みのときはここぞとばかりに分厚いハーモニーを響かせる。
 そして終盤の663以降、もう一段緊張を高めて一息で吹き切るロングトーンのように最後まで弾き切る。何だか長距離走の最後の1周を彼女と一緒に走り切ったような気分。いやはや、爽快。
 シューマンの繊細さとロシアン・ピアニズムの風格を兼ね備えた名演。それにしても、打鍵でさほど力を入れているように見えないのに、低音がしっかり響いて安定感のある和音が鳴るのはなぜだろう?

 ニールセンの5番はその昔FMでホーレンシュタイン指揮ニュー・フィルハーモニア管の演奏を聴いて以来一度は生で聴きたいと思っていた。有名な4番「不滅」よりも私にとっては思い入れがある。
 第1楽章前半、Vaの3度下降音型の繰り返しの上をFgが不安げなフレーズを奏でる(そう言えば1曲目のシベリウスも3度下降音型がしばしば出てきたような)。
 105から登場する小太鼓のフレーズ、最初はほとんど聴き取れないくらいのppで始まり、109以降木管のffに応えて突如fで鳴り響く。不安と緊張が一気に高まる。
 268以降の後半に入ると、小太鼓奏者は舞台裏へ退場し、前半でシンバルを担当していた奏者が代わりに小太鼓の前に座る。
 アダージョだが速めのテンポ。弦を中心とする穏やかなメロディが折り重なりながら徐々に盛り上がっていき、いったん落ち着いてから再び山を登り始めると、木管が前半の3度下降音型から発展したフレーズで弦の流れに邪魔を入れ始める。341でティンパニのトレモロが始まると、音楽の主流は金管に移り、木管と弦が妨害のフレーズを交互に重ねる。
 そして351以降に加わる小太鼓は舞台裏から聴こえてくる。楽譜には舞台裏から演奏する指示はないはずだが。やがて小太鼓はアドリブで叩き始めるが、乱れ打ちとまではいかず、少しおとなしめ。舞台上の奏者はオケが頂点に達した後の390以降のフレーズを担当しているようだ。

 第2楽章、ここも速めのテンポで一気に駆け出す。115のG。P.で一瞬止まった後再び駆け出し、142〜144で茶々を入れる管楽器のアクセントも面白い。150以降弦の無窮動的なフレーズの上に管が単純なフレーズを長い音符で重ねてゆくが、216以降のTuや225以降のBTb、さらに両者が一緒に演奏する232以降のメロディはもう少し目立たせてほしい。
 409以降のフーガでは緊張感が保たれ、楽器が加わることでさらに高められる。ときどきそれに耐え切れずクラリネットが緊張を破ろうとカデンツァ風のフレーズを入れるが、フーガが再開されるとまた緊張感が戻ってくる。
 それがようやく鎮まって679以降の2つ目のフーガが始まる。しかし、それも長続きせず、731から冒頭の主題が回帰すると、再び疾走し始める。798以降の減の無窮動的フレーズに金管がオクターブで上下するフレーズが絡み、ロ短調風で開始した音楽が変ホ長調の解決へ向かう。899以降ティンパニの連打でも全くテンポを緩めないまま最後の和音へ突き進む。最後の音に付けられた木管とVの装飾音は全く聴こえない。
 指揮者が振り終えると数秒沈黙。聴衆にブラヴォー。

 調整感が崩れかけた和声とシンコペーションやオスティナートを多用した複雑なスコアだが、その複雑さを解きほぐすのでなく、逆に大きな音楽の流れの中に巻き込んで、緩みのない快速テンポで一気呵成に仕上げる。
 2度目のカーテンコールで指揮者は舞台奥へ行き、管楽器の各パートを立たせて労をねぎらっていく。打楽器の2人を立たせるところで1人足りないことに気づく。そう、小太鼓奏者が第1楽章途中で舞台袖に引っ込んだままだったのだ。慌てて呼び出し、めでたく3人揃って聴衆の喝采を浴びる。

 オケ解散の後、しばらくして長原に促されるようにして上岡が再登場。一般参賀。舞台に登場するときには猫背で自信なさげにゆっくり歩いてくるが、指揮台に立った途端にエネルギッシュな指揮ぶりに。そのギャップも人気の一因かも。

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