アンドレイ・ガヴリーロフ バッハを弾く
〇2023年4月13日(木)19:00〜20:55
〇Hakuju Hall
〇N列17番(最後列から4列目上手端)
〇バッハ「平均律クラヴィア曲集第1巻」BWV846〜869(第24番繰り返し実施)、「フランス組曲第5番ト長調」BWV816(繰り返し全て実施)
+同「平均律クラヴィア曲集第1巻」より第15番「前奏曲とフーガト長調」BWV860
〇P=アンドレイ・ガヴリーロフ

「解釈」なき音の大伽藍

 ガヴリーロフは1974年に18歳でチャイコフスキー国際コンクールに優勝して以降、90年代前半までロシアン・ピアニズムの正統な後継者として欧米で演奏活動を行うとともに多くの名盤を残した。日本のファンはCDを聴きながら、いつか生で聴いてみたいと夢見ていたわけだが、一時演奏活動から離れた時期もあり、初来日が実現したのは2019年。コロナ禍の2020年を経て、今回がようやく3度目の来日。オール・バッハのプログラムとなった。

 平均律クラヴィア曲集第1巻全24曲の前奏曲とフーガを6曲ずつに分け、第18番嬰ト短調が終わったところで休憩を入れるというユニークな構成。譜面を置き、長い曲は広げて一望できるように編集してある。前奏曲またはフーガを弾き終えるたびに無造作にバシャッと音を立てながらページをめくる。
 第1番ハ長調から目にも止まらないテンポで弾き始めるのにまずびっくり。ただ、最後の小節では、最も低いCの響きをしっかり残した上に右手の和音を重ねる。次のフーガ以降も豪速テンポと軽いタッチでどんどん進んでゆく。聴く者に演奏の記憶を残すのを許さないかのようだ。
 と思っていたら、第4番嬰ハ短調でようやく少し落ち着いたテンポに。フーガも速めのテンポながら重厚で荘重な響き。この曲はしっかり耳に刻んでおけよ、と言わんばかり。
 第5番ニ長調は元の軽いタッチに戻り、第6番ニ短調では再び重厚な響きに。

 一度退場して再登場すると、客席に向かって英語で語り始める。聴き取れた範囲で書くと、まずバッハの偉大さを称え、様々な学問を学んだ後に今回の演奏スタイルに至ったこと、バッハは「解釈」(interpretation)するものではない、この曲集は「バッハの夢」(Bach's dream)である、といったところ。
 第7番変ホ長調では、長調の曲で初めてピアノを豊かに響かせる。フーガを弾き終えると客席に向かってニッコリ。第8番変ホ短調では一転して陰鬱な雰囲気に。2曲の明暗のコントラストをはっきり付ける。第9番ホ長調の前奏曲は軽く、フーガでは冒頭E−Fisの音型の後の16分休符で一瞬息が止まる。第10番ホ短調は再び重くずっしり響かせる。
 第11番ヘ長調と第12番ヘ短調もほぼ同様のコントラストをつける。短調のフーガを弾くときの表情がだんだん苦しくなり、顔をしかめたり歯を食いしばったりするようになる。最後の和音を弾き終わると右手を高く上げ、その勢いて立ち上がる。ガッツポーズをして退場。

 第13番嬰ヘ長調以降の6曲も、基本的に長調の曲は軽く優美に、短調の曲は重く深刻な雰囲気に。第14番嬰へ短調・第18番嬰ト短調のフーガでは、ページをめくりながら弾き始める。

 休憩中多くの聴衆がステージに近付いて写真を撮っている。何かと思って近付くと、譜面台に残された譜面にいろんな色のマジックで元のスコアが見えなくなるくらいのメモやしるしが書き込まれていた。もちろん、私も1枚パシャリ。

 休憩後の第19番イ長調以降もほぼ同様の軽重のコントラストを明確につけながら弾き進む。
 いよいよ最後の第24番ロ短調。ここで初めてほぼ標準的なテンポになったばかりでなく、実に丁寧なタッチに。しかもこの曲にのみ指示のある繰り返しも全て実施。「この曲だけは特別」といった意識が演奏にそのまま現れている。フーガも一つずつ積み上げながら壮大なハーモニーを構築。

 一旦ステージに下がり、戻ってくると、また短いスピーチ。東京で「本物のバッハ」(real Bach)を披露できたことに感無量といった様子。
「フランス組曲第5番ト長調」、「アルマンド」「クーラント」は快速テンポで春の小川のようにサラサラ流れてゆく。「サラバンド」で少し落ち着いた響きになる。「ガヴォット」も終始軽いタッチ、雲の上でふわふわ浮かんでいる感じ。「ブーレ」もあっという間に弾き切るが、「ルール」で物思いに沈む。そして底抜けに賑やかな「ジーグ」で締めくくる。

 拍手に応え、「平均律」の第15番ト長調をアンコールで弾く前に、3度目のかなり長いスピーチ。再び聴き取れた範囲で書くと、なぜこの曲を選んだのかと言えば、ト長調=GDurは神(God)の調であるとバッハが認識していたからである、ヘンデル、ヴィヴァルディ、スカルラッティは子供(kids)のために作曲したが、バッハは神のために作曲した、この曲は天国の一風景(a picture of paradise)である。そう言われて聴いてみると、細かい装飾的なフレーズが、天使たちの舞っている様子を連想させる。
 弾き終わって客席の喝采に再びガッツポーズで応える。

 少々がさつと言ってもいいステージマナーや尋常ならざるテンポは確かに気になるが、重量感あるタッチで音の大伽藍を築き上げていくあたりは正にロシアン・ピアニズムの真骨頂であり、なかなか他のピアニストでは体験できない。次こそはかつて一世を風靡したロシアものをたっぷり聴いてみたいものだ。
 主催者に2つ要望。プログラムは次回から厚手の紙に大きな文字で濃いインクで印刷してほしい。この夜のガヴリーロフのスピーチ全文を英文のままでいいから公開してほしい。

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