長島剛子・梅本実リートデュオ・リサイタル
○2022年10月27日(木)19:00〜20:50
○東京文化会館小ホール
○O列33番(後方から9列目中央)
○R.シュトラウス「見つけたもの」Op56の1、トゥルンク「ズライカ」Op40の5、ツェムリンスキー「妖精の歌」Op22の4、「旅人の夜の歌」Op27の12、ウェーベルン「花の挨拶」、アイスラー「ゲーテ断章」、デッサウ「愛の歌」、ウェーベルン「似たもの同士」Op12の4
ヴォルフ「ゲーテ歌曲集」より「ミニョンの4つの歌」(「語らずともよいと言ってください」「ただ憧れを知る人だけが」「もうしばらくこのままの姿に」「君よ知るや南の国」
マルクス「ノクターン」「妖精」「風車」「ピエロ・ダンディ」
クシェネク「フランツ・カフカの言葉による5つの歌曲」Op82
ロイター「ヘルダーリンの詩による3つの歌」Op67(「沈む太陽」「夜」「人生行路」)
+ヴェルナー&シューベルト「野ばら」、本居長世「七つの子」、信長貴富「しあわせよカタツムリにのって」、アイヴズ?「旅人の夜の歌」?、ブラームス「子守歌」Op49の4

ヴォルフの頂点からドイツ・リートを見渡す

 一昨年から復活した長島剛子、梅本実によるリードデュオ・リサイタル、今回は「ロマン派から20世紀へ」PartIVとして「H.ヴォルフとその後」と題したプログラム。7割程度の入り。

 前半は全てゲーテの詩による歌曲。年代的にはヴォルフのみ19世紀であとはみな20世紀の作品だが、作風的にはヴォルフを頂点としてそこに至る道筋を示すようなプログラム構成になっている。長島は黒のドレス。
 シュトラウス「見つけたもの」はあまり演奏機会がないが、ヘ長調の明るい響きに彼にしては素朴なメロディ。森の中で見つけた花を摘もうとしたら花に咎められたので、根元から掘り起こして家まで持ち帰り、今もずっと咲き続けているという内容で有名な「野ばら」の物語のアンチテーゼみたいな作品。
 トゥルンクは合唱曲の指揮者、作曲者として有名らしい。"Orient""Bagdad"といった言葉が出てくるせいか、アラビア風のエキゾチックなフレーズが印象的。
 ツェムリンスキー「妖精の歌」は、ピアノの細かいフレーズが宙を舞う妖精を連想させる。「旅人の夜の歌」は通常「さすらい人の夜の歌」と訳されることが多いはず。冒頭ピアノの2つの和音だけでホールに夜のとばりが下りる。曲想も一転して暗く重苦しい雰囲気に。
 この後ウェーベルンを調性音楽と12音技法の2曲を取り上げるが、それらを敢えて分け、アイスラーとデッサウを間に挟む。実に練られた選曲。
「花の挨拶」はハ長調の愛らしくて素朴な歌。アイスラー「ゲーテ断章」は「西東詩集(ズライカの書)」の「余韻」の一部を採っている。ハ長調風だがFisやGisが挿入されることで不安な響きになる。デッサウ「愛の歌」は短いフレーズによる問答形式の歌。「似たもの同士」は花とミツバチの関係を12音技法で表現するが、ゲーテが聴いたらどう思うだろう?
 ここまで短いが濃密な内容の曲を一気に続けて歌い切る。
 
 さていよいよヴォルフの4曲。「語らずともよいと言ってください」冒頭のfの和音を決然と鳴らす。7〜9小節目にかけてのクレッシェンドでわずかにテンポを上げ、pに戻るとテンポも落ち着く。
「ただ憧れを知る人だけが」の前奏8小節でミニョンの心情が聴く者に伝わってくる。こんなお膳立てをされたらさぞ歌いやすいことだろう。淡々と音楽が流れていくようで、だんだんこちらもじりじりした気持になってくる。
「もうしばらくこのままの姿に」は、同じ詩にシューベルト、シューマンも作曲しているがいずれも長調。ヴォルフは誕生パーティのお祝いの歌を敢えてイ短調で書いた。ミニョンのささやかな願いが左手のシンコペーションの連続と相まって、痛々しく響く。頂点のGの音程がもう一息届かず。
「君よ知るや南の国」は以前にもこのシリーズで取り上げられている。南の国の様子を静かに語る前半と、"Dahin!"(そこへ!)を頂点に理想の国を求める気持を高ぶらせる後半。両者のコントラストが絶妙で、何度聴いてもジーンと来る。

 後半は一転して真っ赤なドレスに透明な黒のショールを肩にかけて登場。
 マルクスは20世紀に主に教育者として活躍したが、多くの歌曲も残している。「ノクターン」はドビュッシーを思わせるアルペジオが、夜の幻想的な雰囲気を醸し出す。「妖精」は軽やかな曲風。いずれもツェムリンスキーの2曲と同様のテーマで違った表現がなされている。「風車」は変ホ長調の分散和音の連続が、聴く者に情景を思い浮かべさせるが、だんだん不安が募ってくる。「ピエロ・ダンディ」は月光の下で身支度するピエロの様子を、空騒ぎのような明るい音楽で表現。歌い終わるとピエロ風に一礼。いずれの曲も長い間奏または後奏が付いており、ピアノ音楽としてもたっぷり楽しめる。
 クシェネクはカフカの3つの作品からの抜粋に12音技法で作曲。5曲とも人生の不条理をときにつぶやくように、ときに吐き捨てるように歌う。シュプレヒゲザング風の部分も。
 ロイターも今やこのシリーズではお馴染みの作曲家。シュヴァルツコップやフィッシャー・ディースカウの伴奏者として活躍したほか、フーゴー・ヴォルフ協会の創始者となるなど、ヴォルフとの関係は深い。
「沈む太陽」はニ長調を基調とする平明な歌。「夜」は前半の落ち着いた曲想が後半になると天に昇ってゆくような不思議な雰囲気に。「人生行路」はニ短調の機械的な連打が歯車のように人間を追い詰めてゆく。
 ヴォルフの頂点からマルクスは印象主義の要素を取り入れ、クシェネクは12音技法を選び、ロイターは新古典派風の味付けを試みたというところか。

 長島の貫通力のある声はいつも通りだが、繊細な表現にも磨きがかかってきた。それを梅本のピアノがときに先導し、ときに後ろに控える絶妙なサポート。

 2人とも演奏の出来に手応えを感じたか、何と5曲もアンコール。
 1曲目は「野ばら」の1番をヴェルナーとシューベルトで続けて演奏。最初のシュトラウスの曲はこの曲への伏線だったかも?ヴェルナーを日本の合唱にありがちな「わーらべーーはー」みたいは平板な歌い方でなく、速めのテンポで抑揚をしっかり付けていたのはさすが。もう一段テンポを上げてもいいくらい。
 2曲目は「七つの子」。1番を歌い、「かわい、かわいと」の部分をピアノのみで繰り返し、「丸い目をした」の部分を繰り返し歌うのだが、ピアノの間奏のちょっとした抑揚でこの歌の愛らしさが一層際立つ。
 3曲目は合唱でも人気のある「しあわせよカタツムリにのって」で、これも心洗われる。
 4曲目は長島の説明によると「ゲーテが31歳のときに書いた詩で82歳のときに読み返して涙した」ものにアイヴズが作曲したものだと言う。聞き違えていたらごめんなさい。
 最後にブラームスの子守歌で一同安らかな眠りにつく。

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