ノット指揮東響
〇2022年10月16日(日)14:00〜16:10
〇ミューザ川崎シンフォニーホール
〇4階4C5列12番(4階最後列から2列目中央やや下手寄り)
〇ラヴェル「鏡」より「道化師の朝の歌」
、ラヴェル「シェエラザード」(S=安川みく)(12-11-8-6-5)
ショスタコーヴィチ「交響曲第4番ハ短調」Op43(約64分)
(16-15-12-10-8、下手から1V-Vc-Va-2V、CbはVcの後方)(コンマス=小林壱成)

5番の裏の顔

 縁あって東京交響楽団が定期的にミューザ川崎で開催している「名曲全集」へ。9割程度の入り。

 この日のプログラムは昨夜サントリーホールでの定期演奏会と同じなのだが、そのときにアクシデントがあったそうだ。ショスタコーヴィチの演奏途中に第2ヴァイオリン奏者が倒れたとのこと。演奏はそのまま続けられたそうだが、ネット上では演奏を止めるべきか否かについての意見や、団員から助けに行けなかったことへの苦悩のコメントなどが上がっていた。結局この日の第2Vは昨日より1人少ないままだった。倒れられた団員の方の1日も早いご回復をお祈りしたい。

 さて、コロナ以降のオーケストラの演奏会では、ステージに団員たちが登場するところから拍手が起きる場合が多くなった。私は、団員たちに感謝を込めるという意味で新たな善き習慣だと思っていて、私自身も必ずやることにしている。このシリーズを聴きに来る聴衆の多くも同じ思いらしく、多くの人たちが熱い拍手を送っていた。そして、ほぼ全員席に付きかけたところでコンマスが登場して一段と大きな拍手に。他のオケや他のホールよりさらに善き習慣が定着しているようだ。

「道化師の朝の歌」、軽快な弦のピツィカートに乗って、スペイン風の舞曲が調子よく進んでゆく。中間部のFgソロ(福井蔵)、サックスを思わせるような色気のある音色が印象的。再び調子のいい舞曲に戻るが、最後の和音にはもう一息切れ味が欲しい。

「シェエラザード」のソプラノ・ソロ、安川みくはオペラの出演経験もあるが、宗教曲を中心に演奏活動をしているようだ。「アジア」では異国への憧れを徐々に情熱を込めながら歌う。「魔法の笛」では、Flソロ(相澤政宏)と心地良い掛け合いを聴かせる。「つれない人」では異国の若者を誘惑するもかなわず、曲もつれなく終わってしまう。透明感のある歌声がしっかり最上階まで届いてくる。もっと大胆に表現の幅を付けられるようになれば、さらに魅力的な歌手に成長するだろう。

 後半は問題のタコ4。第1楽章、冒頭から木管とシロフォンの乾いた序奏が目覚まし時計のように響きわたり、ハ短調の行進曲へ。全奏で盛り上がっても長続きせず、すぐ小編成の頼りなげな音楽へ移行するかと思えば、また突然爆発する。Fgソロの第2主題、今度はヴィブラートを抑え気味にして不安な空気を広げてゆく。その後も木管を中心とする無窮動的なフレーズの重なり、弦によるフーガ風の合奏、そして堂々たる全奏が不連続的に登場し、聴く者の心をかき乱す。終盤では管楽器による7度や9度の下降音型がしつこく繰り返される。最後は弦の弱音の上にEHrのソロが心細く響いて終わる。
 第2楽章、Vaによるぎこちない主題に始まり、発展してゆく。トリオでは1Vが交響曲第5番第1楽章に登場するフレーズを先取り。主部に戻るとフーガ風に展開、2回目のトリオではHrがメロディを響かせる。3回目の主部は打楽器のアンサンブルの中を殆ど埋もれそうになりながらFlが提示した主題がトリルへ溶け込んで終わる。わずか数分の楽章だが、ショスタコーヴィチの作曲技法の集大成を思わせる中身の濃い音楽。
 第3楽章、Fgによるゆったりした葬送行進曲風序奏の後、ハ長調による全奏となるが簡単には解決せず、これまたショスタコーヴィチ特有の急かされるような音楽へ。中盤では「魔笛」を思わせるフレーズやワルツ風、ギャロップ風の軽快な音楽、そしてマーラー「巨人」第2楽章を思わせるCbの刻みなどがコラージュ風に登場する。その脈絡のなさを2台のティンパニが断ち切り、全奏となってTpがファンファーレを繰り返すが、これまた解決には向かわない。力尽きたオケは弦の弱音による葬送風の響きに戻り、チェレスタがハ短調の分散和音による上昇音型を何度か提示した後、最後はそこから外れたDを鳴らして消え入るように終わる。

 木管楽器の配置が通常と異なるのが面白い。ピッコロとFlで6人に対しObとEHrで4人、Cl系が6人に対してFg系が4人という人数のアンバランスを考慮してか、指揮者の真正面は第2Flと第3Flの間くらい、その後方は第2Clが座っている。つまり、通常ステージの中央になるはずのFlとObの間、ClとFgの間が上手へ少しずれているのだ。特に木管の首席奏者たちにとってはいつもと指揮者への視線が異なるので、演奏しづらいのではなかろうか?
 それはともかく、ノットの指揮には終始緊張の糸が張り詰めていて、オケもこれに十二分に応え、ショスタコーヴィチがこの曲に込めた思いを余すところなく表現。大成功を収めた第5番も多面的なところはあるが、4番を聴くと何か5番の裏の顔のような曲に聴こえてくる。

 ノットに対して一般参賀。このホールの聴衆の彼に対する熱い思いを共有。

 なお、この日から終演後のカーテンコールの撮影が解禁に。別途ツイッターで上げましたので、こちらからご覧下さい。
 

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