桐朋学園宗次ホール オープニング・コンサート・シリーズ 原田幸一郎 池田菊衛 磯村和英 毛利伯郎 練木繁夫 アンサンブル
○2022年2月20日(日)14:00〜15:30
○桐朋学園宗次ホール
○b列22番(2列目やや上手寄り)
○ラヴェル「弦楽四重奏曲ヘ長調」(約28分)
 フランク「ピアノ五重奏曲ヘ短調」(約37分)
〇V=原田幸一郎、池田菊衛、Va=磯村和英、Vc=毛利伯郎、P=練木繁夫

背広姿の演奏に複雑な思い

 この日は桐朋学園宗次ホールのオープニング・コンサート・シリーズの中でもとりわけ豪華な組合せ。東京カルテットの初期メンバーである第1Vの原田とVaの磯村、2代目第2Vを長らく務めた池田に、読響首席チェリストを長らく務めた毛利、国内外で豊富な演奏経験を持つ練木が加わってのアンサンブル。ほぼ満席の入り。

 前半は下手より原田、池田、磯村、毛利の順に座る。
 ラヴェルの弦楽四重奏曲第1楽章、冒頭の優美な第1主題、第1Vの響きが今一つ伸びない。原田が舞台中央に向かって身体を傾けたり、後ろに沿ったりしながら良く響く位置を探っている感じ。37小節目から急激なクレッシェンドとアッチェランドで緊張を高めていく部分、なかなか爽快。55以降のイ短調の第2主題、第1VとVaがオクターブ隔てて流石の息の合った合奏で聴き惚れる。その後何度も訪れる、緊張の高まりと落ち着きの入れ替わりも心地良い。
 第2楽章、イ短調のピツィカートによる軽快な音楽と、13以降イ長調のアルコ(ボウイング)による官能的なメロディとのコントラストが見事。トリオ(89以降)のVcのメロディが、太陽に雲がかかるように空気を変えてゆく。主部のイ長調の主題が何度も顔を出すのが面白い。最初の主題へ戻ってゆく129以降のVcのフレーズが、空気を元に戻す。
 第3楽章、全員弱音器を付けて弾くが、ここでも第1Vの響きが少し他の3人と異なって聴こえる。第1楽章のイ短調の第2主題が何度も回帰するが、弱音器付きなので夢の中へ誘い込まれるような気分に。しかし、その夢も56以降のVcの激しいメロディに覚まされる。
 第4楽章、5拍子のイライラするようなフレーズの繰り返しが緊迫した雰囲気を創り上げる。3拍子に転じて54以降落ち着いたメロディでこちらも一息つく。再び緊張と落ち着きの間を行ったり来たりした挙句、最後は一気に空高く昇ってゆく。見たことのない景色まで。
 フレーズの入りがわずかに遅れる箇所はあったものの、息の合ったアンサンブルは正に東京カルテットのもの。特に池田と磯村の響きが充実、毛利がしっかり低音を支えているが、原田がもう一息鳴り切らないのが少々もどかしい。

 後半のフランク、ピアノは1月17日のトリオ・リサイタルのときより奥に置かれている。弦は下手より原田、池田、毛利、磯村の順に。磯村は前半かけていた眼鏡を外して登場。
 第1楽章冒頭の弦4人のアンサンブルを聴く限り、どうやら椅子の位置を動かしたようだ。第1Vが格段によく響くようになり、逆に第2Vが少し奥へ引いたように聴こえる。悲壮感漂う弦の合奏をピアノが優しく受け止める。同じやり取りを繰り返した後、26以降5人一体となって感情を高ぶらせ、鎮めてゆく。アレグロとなる45以降、ピアノの細かいパッセージに導かれて弦が情熱的なフレーズを時には4人1体で、時にはポリフォニーで提示。90以降のピアノの「タタターータ」のフレーズがさらに熱情をたぎらせてゆく。同じリズムのフレーズを弦の4人が繰り返す260以降、2回のGP(全休止)で息を呑む。
 第2楽章、ピアノがイ短調の和音を静かに連打する上を、第1Vがつぶやくように歌う。他の弦も加わって徐々に音楽が繋がり、大きな流れができる。それが一段落すると61以降変ニ長調に転じ、ピアノの左手のアルペジオの上に、右手の下降音型、第1VとVcの空中を漂うようなフレーズが折り重なってゆく。
 第3楽章、ラヴェルの弦楽四重奏曲第4楽章を思わせる第2Vのトレモロの連続に始まり、13以降そこにピアノが第1主題の前触れとなる和音を提示。この流れが頂点に達した後、73以降弦4人が第1主題を静かに奏でる。147以降のロ短調とロ長調が交錯する部分、342以降嬰ヘ短調と嬰ヘ長調が交錯する同様の部分を経て、428以降変ニ長調で第1楽章の「タタターータ」のフレーズが3拍子になって回帰。444以降はヘ長調に転じて同様のフレーズが続き、そのまま終結へ。
 4人の弦のまとまりはより緊密に。ピアノは多少危なっかしい部分はあったものの、弦との響きのバランスは絶妙、今日も室内楽の醍醐味を味わう。

 ただ、5人の服装を見ていると別の感情もわいてくる。全員背広姿。確かにかつての室内楽の演奏会、特にマチネの場合背広姿は珍しくなかった。しかし、最近ではめったに見かけないのではないか。「職場」のホールだから、あるいは大学教員の制服としてそうしたのかもしれないが、ピアノの練木以外髪が白くなったり薄くなったり奏者たちを見ていると、1960年代末から世界各地で演奏活動を続けてきた彼らが、日本の企業戦士たちにも見えてくる。5人とも今や70代。ビジネスマンならとっくに引退しているような年代の奏者たちが背広姿で懸命に弾いている姿を観ていると、「もうそんなにあくせく働かなくてもいいのに」など余計なことを感じてしまう。
 いや、彼らはビジネスマンではない。音楽家であれば、年齢を重ねてもさらに「円熟」という世界が控えているし、より良い演奏を目指す営みに終わりはない。そう考えれば、この日のように私たちの前で演奏する機会を今後さらに重ねてくれるよう、願うべきなのかもしれない。

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