ヴァイグレ指揮読響
○2021年6月29日(火)19:00〜20:50
○サントリーホール
○2階RA5列26番(2階舞台上手側5列目Pブロック寄り)
○グルック/ワーグナー「オーリードのイフィジェニー」序曲
 フランツ・シュミット「ノートル・ダム」より「間奏曲と謝肉祭の音楽」

 同「交響曲第4番ハ長調」(約46分)
 (14-12-10-8-6、下手から1V-2V-Vc-Va、CbはVaの後方)(コンマス=長原)

フランツ・シュミットをありのままに

 ヴァイグレ指揮の3プログラム目は、当初予定していたソリストが来日できなくなったため、結果的にフランツ・シュミット特集に。6割程度の入り。

 この日は3曲とも指揮棒を持つ。また細かい話だが、これまで第2Vの配置が前から2-4-3-3だったのが、この日は2-4-2-4に。すぐ後ろにHp2台が置かれる関係なのか、よくわからない。

「オーリードのイフィジェニー」は、グルックがもともとパリで発表したフランス語版のオペラ。その後忘れられていたが、ワーグナーがドイツ語版を創ったことでドイツ各地で上演されるようになる。しかし、現在では序曲がたまに演奏される程度。
「オルフェオとエウリディーチェ」の冒頭に少し似た静かな弦の序奏に始まり、勇壮なテーマがユニゾンで提示される。メロディは古典派そのものだが、木管が2本ずつ(Fgは3本)、Hr4、Tp3と揃うと、当たり前だが響きは重厚に。いや、必要以上に重厚に、と言うべきかもしれない。そんなアンバランスをそのまま演奏させていて、面白い。

 フランツ・シュミットは、シェーンベルクと同じ年の生まれ。ウィーン宮廷歌劇場のチェロ奏者として活躍する一方作曲も手掛け、さらに母校のウィーン学友協会音楽院(現ウィーン国立音楽大学)の楽長まで務め、多くの演奏家を育てる。
 しかし、彼の作品は残念ながらあまり演奏されない。最も有名と思われるのが歌劇「ノートル・ダム」の間奏曲。プログラムの曲名を見ると先に間奏曲が演奏されると思うのだが、実はそうではない。「管弦楽伴奏によるピアノのための幻想曲」を元に作曲され、歌劇に着手する前に初演されたそうだ。
 この曲の構成だが、有名な間奏曲を謝肉祭の音楽がサンドイッチした感じになっている。賑やかな祭りの音楽の後、エキゾチックな雰囲気に満ちた間奏曲となり、再び祭りに戻って、3拍子の心がうきうきするような音楽が盛り上がってゆく。母がハンガリー系だったせいか、ロマの音楽を思わせるところが随所に出てくる。祭りの喧騒と哀愁に満ちた響きのコントラストを見事に表現。

 交響曲第4番は、シュミットの交響曲の中ではもっともよく演奏される。出産後間もなく命を落とした娘エンマへのレクイエムとして作曲。古典的な交響曲の様式を思わせる4つの部分から成るが、切れ目なく演奏される。

 第1部、冒頭のTpソロは落ち着いた音色だが、調性を乱すような臨時記号が不安を掻き立てる。エンマの短い生涯を象徴するテーマか。練習番号1(ユニヴァーサル・エディション版のスコアの表記による、以下同じ)からVcがDesを4分音符で刻み、Cbがその1オクターブ上を持続させる上を、VとVaがTpのテーマを変化させながら徐々に昇ってゆく。管楽器も加わって次第に盛り上がってゆき、6の2小節前で明るいハ長調の和音で一区切り付ける。
 再びVcが刻む上を木管の下降音型、それを反転させた上昇音型が小さな山を作り、それも一段落すると、9から1Vがさまようようなメロディを提示。そこに絡むHpの分散和音がさらに幻想的な雰囲気を創り上げる。徐々に他の楽器も加わって16で頂点に達する。
 17から7小節目以降、EHrが冒頭のテーマを朗々と奏でる。それを再び弦が引き継いで徐々に発展させるが、25の手前で断ち切られる。25の2小節目以降コンマスのソロが昇ってゆく。
 29の2小節目以降Vaが再びさまよいのテーマを提示し、それが発展しながら再び盛り上がるが、32の5小節目以降ティンパニの連打とトレモロの連続が加わると徐々に勢いを失ってゆく。

 34の2小節目からVcソロがさまよいのテーマを提示し、そのまま第2部へ。変ロ長調。幸せな昔を懐かしむようなメロディ。1Vが受け継いで発展させてゆく。
 この流れが落ち着いたところで、40の2小節手前からティンパニを皮切りに32分音符の4連打と8分音符の組合せが各パートで繰り返され、ト短調の悲痛な音楽に。
 47から再びVcソロで最初の雰囲気に戻り、4小節目以降木管がVcソロのテーマを奏でる。50から再びコンマスのソロがこのテーマを引き継ぎ、音楽は穏やかに収まってゆく。

 50の6小節目からティンパニが再び付点8分音符と32分音符の4連打のフレーズを提示し、それを変形させながら第3部へ。変ロ短調。8分の6拍子に乗って、軽快だがどこか怪しげなメロディをVaが提示し、2V,1V,Vcも加わって発展してゆく。その上を木管が冒頭のTpのテーマを変形させた、空を漂うようなテーマをかぶせてゆく。
 その後も弦のテーマと木管のテーマが、楽器を入れ替えながら絡み合いながら何度も頂点を目指すがなかなか果たせず、ついに達したと思われた89で破局が訪れる。音楽はだんだんエネルギーを失い、ティンパニの弱々しいトレモロだけが残る。

 第4部、第1Hrが冒頭のTpのテーマを奏でる。Hrの他の奏者も加わり、ティンパニの刻みも入って、93の5小節目で一区切りとなる。その後は第1部とほぼ同じ音楽が改装のように展開される。そして、105の2小節目以降息長く盛り上がってゆくが、109から5小節目の頂点ではハ長調で解決せず、まるでエンマが遠くに連れ去られてゆくように、音楽は力を失ってゆく。112でTpが冒頭のテーマを再び奏でる。最後のCはppにしては大きめで、しっかり響かせたままディミニエンドせずに終わる。

 古典的な音楽の展開、解決を何度も期待させながらついに果たせずに終わるのが、聴く方としては何とももどかしい。しかし、ヴァイグレが振ると「この曲は、そういう曲なのだ」と言わんばかりの説得力を感じさせる。ほぼ標準的なテンポで、途中のrit.などはほとんどかけずに粛々と進めることで、4つの部を超えた、大きな音楽の底流のようなものが伝わってくる。
 Tpの辻本、Vcの富岡の両首席奏者が安定した演奏で曲全体を盛り上げる。特に富岡はよく歌っていて、カーテンコールではヴァイグレが2回も立たせる。EHrはゲスト奏者のようだが、こちらも好演。

 この日はCl首席の藤井洋子と第2ヴァイオリンの男性にとって最後の演奏会だったようで、花束贈呈。その後団員が解散してもほとんど拍手は衰えず、ヴァイグレの一般参賀。

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