川瀬賢太郎指揮都響
○2021年2月11日(木・祝)14:00〜16:05
○サントリーホール
○2階LD2列2番(2階下手後方ブロック2列目壁から2席目)
○ベートーヴェン「ウェリントンの勝利」(戦争交響曲)Op91
 同「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」Op61(V=金川真弓)
(12-10-8-6-4)(約47分)
 同「交響曲第8番ヘ長調」(約26分、繰り返し全て実施)
 (14-12-10-8-6、下手から1V-2V-Vc-Va、CbはVaの後方)(コンマス=四方)

生身のベートーヴェンを再確認

 首都圏の緊急事態宣言が3月7日まで延長され、演奏会場における入場制限が続いている。この日も市松配置でほぼ半分の入り。当日券に並ぶ人や、ホワイエでマスク越しに遠慮がちに会話している人たちを見るだけでも、演奏会がいかに「不要不急」でないかがわかる。

 都響は今年3月までの定期演奏会を全て中止し、「都響スペシャル」と題した別プログラムで演奏会を続けている。この日はオール・ベートーヴェン。
「ウェリントンの勝利」は作品の存在こそよく知られているが、なかなか演奏の機会がない。私も生で聴くのは初めて。RA、LAブロック最上部の通路に小太鼓2人、Tp3人がそれぞれ立ち、バンダとして演奏するとともに、スピーカーからマスケット銃や大砲の音が流される。ここが演奏会で取り上げる際の難点なのだが、じゃあ初演時は本物の大砲や銃を用いたのかというと、そういうことでもないらしい。やはり人工的にそのような音を出す機械が使われたようだ。
 曲は戦争場面と勝利を称える小交響曲から成る。前半では交互に演奏するバンダが戦争の緊迫感を演出。後半は英国国歌の主題が頻繁に登場し、自由に変奏されながら盛り上げてゆく。
 この作品は「駄作」と言われることが多い。確かに三文芝居のような、直接的だが大げさであざとい表現が多いのだが、曲作りに臨む姿勢や意気込みは、「第九」などの名作といささかも変わるところがない。王侯貴族のお抱えでない、史上初の職業作曲家として生きることを決意したベートーヴェンは、国家と直に付き合わねばならなくなった最初の作曲家であるとも言える。今日まで続く、いわゆる国威発揚に貢献する作曲家たちの原点としての側面も彼にはあり、この作品はそれを一種象徴する音楽と位置付けることもできる。「駄作」として忌避するのでなく、たまには演奏して、私たちも聴いて、この作品の意味を考えることには大いに意義のあることだと思う。川瀬のケレン味ない指揮ぶりを見ながら、そんなことを考える。

 さて、次はもう少し純粋に音楽を楽しむとしよう。ヴァイオリン協奏曲は、当初予定のソリスト(ネマニャ・ラドゥロヴィチ)が出演できなくなり、先月の読響でブルッフを弾いた金川が抜擢される(ちなみに指揮者も当初予定のサッシャ・ゲッツェルから川瀬に交代)。淡いピンクのロングドレス姿。
 第1楽章、やや遅めのテンポ。ニ短調に転じる28小節目以降、1回目の全休止の前の29は8分音符で2回目の31は4分音符。指揮者はその区別を付けようとするが、今ひとつしっくりこない。同じフレーズがその後も何度か出てくるが、そのたび試行錯誤を重ね、カデンツァ直前の498と500でようやく決まる。
 ソロが入る前に頂点に達する77以降、1Vのメロディが埋もれがち。
 このようにオケの響きにやや不安定さが残る中、89から始まるソロは、ゆったりとしたフレージングで、オケや聴衆を落ち着かせる。ブルッフのときにも感じたが、既に巨匠の風格を漂わせる。細かいパッセージにもせわしない感じが全くない。
 展開部から第1主題に戻る長い道のりの中、355〜356でだんだん遅くし、357から少しずつ元のテンポに戻す。
 カデンツァは、ベートーヴェン自身が編曲したピアノ協奏曲版に基づき、往年の巨匠ヴォルフガング・シュナイダーハンが編曲したもの。重音によるニ短調の上昇音型に始まり、途中でティンパニとの二重奏になるというユニークなもの。指揮の合図が必要な個所もあり、譜面台が指揮者の右側にもう1台用意され、カデンツァ部分のスコアが置かれていたようだ。

 第2楽章、ほぼ標準的テンポ。オケの出だしは注意深く慎重に歩む雰囲気。しかし、11以降ソロが入ると、オケを引っ張ってゆく。特に17以降1拍ごとに揺り籠を揺らすようなリズム感で弾いてゆくと、そのフレージングがオケにも見事に伝播してゆく。
 そんな夢心地の時間は88の弦楽合奏で打ち破られる。第3楽章に入る前にも短いカデンツァ。
 第3楽章もほぼ標準的テンポ。最初の主題が戻ってくる直前の92でも短い装飾的フレーズを挿入。明るく晴れやかな演奏。
 金川のソロは終始伸びやかで上品な響きが保たれ、速いパッセージにも無理がなく、ゆとりをもって音楽が進んでゆく。その一方でレンガを1個ずつ積み上げていくような、この曲の構成感もしっかり保っている。聴き進めるうちに幸せな気分に。

 後半は交響曲の中でも地味な存在の8番。ベートーヴェンには珍しく軽妙さや受け狙いの表現が随所に見られ、成功しているかどうかは別にして、ある意味これも意欲作と言ってよい。
 第1楽章、ほぼ標準的テンポ。fだがまだ全開させず、抑え気味で進めてゆく。30〜31では、1拍目でふわっとジャンプして3拍目で着地させるが、1回目は着地がやや乱れる。2回目はばっちり決まる。90以降の頂点へ向かう道のりだが、92のsfで一段階大きくしてしまうので、96以降のffがあまり効かない。
 展開部ではしつこいくらい登場するsfをしっかり強調。191のfffで頂点に達するが、低弦とFgの第1主題がやや不明確。
 終盤164,166の管の3連打はテヌート気味。
 第2楽章、指示通りスケルツォ風。調子よく進んでいくので気分も明るくなる。最後の切り方が少し大雑把な感じ。

 第3楽章、メヌエット主部ではsfをきちんと強調。トリオで終始動き回るVcは控え目に、67以降頻繁に登場するCbのsfはしっかり響かせる。
 第4楽章、やや遅めのテンポ。展開部の120以降しばしば登場するsfをしっかり浮き立たせる。
 レガートよりもsfやアクセントで音楽を推進させてゆく。多少強引で荒削りの部分も残るが、若いのだから今はこれでよい。

 三作三様のベートーヴェンの顔が見られて面白かった。やはりベートーヴェンは「楽聖」ではなく、1人の生身の人間であることを再確認。
 

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