ヴァイグレ指揮読響
○2021年1月14日(木)19:00〜21:00
○サントリーホール
○2階RA5列12番(2階上手サイド後方から2列目)
○ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番二短調」Op30(V=藤田真央)(約43分)
 チャイコフスキー「交響曲第4番へ短調」Op36(約40分、繰り返し全て実施)
 (14-12-10-8-6、下手から1V-2V-Vc-Va、CbはVaの後方)(コンマス=長原)

盛り上げるが煽らないチャイコフスキー

 この日の読響の演奏会(第638回名曲シリーズ)は、藤田真央効果でチケット完売だったのだが、緊急事態宣言の影響で自粛した人も多かったのか、実際には7割程度の入り。

 藤田は襟なしの黒の長袖シャツに黒ズボン姿。まだステージ上の仕草にどこか幼さが残る。しかし、ピアノに向かうと別人のように集中力がみなぎる。
 第1楽章、ソロ冒頭から流れるようなレガート。Piu mossoに入ってからも、個々の音を立てるよりメロディの流れを重視した弾き方。
 冒頭の主題に戻ってピアノのメロディが1小節空いたところに絡むHrの弱音をそれとなく際立たせるのがヴァイグレらしい。そこから息長いクレッシェンドで昇って行った先の強打の連続(ブライトコップ&ヘルツェル版練習番号14から6小節目以降、以下同じ)では、3つの8分音符の2つ目にアクセントを付ける分3つ目が聴こえにくい。
 カデンツァの後、19の2小節目から入るFlソロ、4小節目から音量を落とす。最後の6小節にはpoco accelerandoと指示されているが、あまり速くしないで終わる。

 第2楽章、冒頭からオケが不安を掻き立てていき、ソロの出だしもそれに影響された混沌を描き出すが、変ニ長調に転じた最初のDesのオクターブをやや長めに響かせる。その瞬間不安は一挙に消え去り、平安が訪れる。このあたりの音楽の創り方が巧い。
 その後変ロ短調に転じても、ロマンティックな雰囲気が保たれている。オケとの掛け合いが心地良い。
 32から5小節目以降、嬰ヘ短調に転じる部分の細かいパッセージにもレガートが維持される。
 いつまでも夢見ていたい雰囲気だが、39から4小節前、L'istesso tempo冒頭のフレーズで、その夢は断ち切られる。

 第3楽章、ここでもアクセントやスタッカートよりも全体的なレガートを重視。41からもmfを守って、しゃかりきに弾く感じはない。43の8小節前から始まるPiu mossoの第2主題も、pを守って控え目な弾き方。
 変ホ長調のスケルツァンドに入ると、初めて32分音符の細かいフレーズを際立たせる。50以降はObやFgの方に視線を送りながら合わせてゆく。52の2小節目以降のMeno mossoでゆったり昇ってゆき、53で元のテンポに戻すなど、細かいテンポの変化も明確。
 終盤74からの鐘のテーマではテンポを変えない。弾き終わるとさすがに数人から拍手フライング。

 終始しなやかな音楽の流れが保たれ、若さと瑞々しさにあふれた演奏。ヴァイグレもいつもより細かい振りと各パートへの頻繁な指示で、抜かりのないサポート。

 チャイ4第1楽章、冒頭のHrのファンファーレはどこかのどかな感じで始まるが、6小節目のさいごの3つの3つの音(As−G−F)まで吹き切らせる。27以降の第1主題、フレーズの始まりと終わりをはっきり示す。例えば35から始まる木管の主題は、39のDes−Cで一旦収まって次のH−Dから再び始まる、といった抑揚が伝わってくる。
 テンポは冒頭はほぼ標準的だったが、展開部に入る201あたりから少し遅めに。
 終盤402の弦のfffのトレモロはイン・テンポで特に強調しない。

 第2楽章、嵐が去ったもののまだ不安が残っている。ヘ長調に転じる126以降もその雰囲気は残っていたが、ffの全奏に至る直前、165のCbのDes−Cのフレーズを強調することで、一気にアンサンブルが引き締まる。

 第3楽章、ピツィカートだけのアンサンブルでもフレーズの抑揚は保たれている。例えば、17以降のVとVaのメロディが25以降は低弦に受け渡され、33以降は第1Vに受け継がれる、といったあたりが明確に示される。
 この土台がしっかりしているから、主部に戻って終盤に管楽器が加わっていくと、さらに豊かな音の饗宴となる。

 アタッカで第4楽章へ。冒頭Fの次のE−Dの付点のリズムをきっちり弾かせることで、慌ててなだれ込む感じでなく、地に足を付けて突進する感じに。提示部が終わって変ロ短調に転じる59と60の間で間を入れない。148と149の間も同様。
 187以降、第1楽章のファンファーレが回帰するまでの長い道のりも着実に昇っていき、無理矢理引っ張り上げる感じはない。
 ファンファーレが一段落して第4楽章の主題が再現される223以降も一歩ずつ盛り上げていくが、テンポは最後まで変えない。

 チャイコフスキーの演奏でありがちな、極端なテンポの変化や聴く者を追い詰めていくような煽りは一切なく、交響曲としての構造をしっかり守った解釈。それで曲の魅力は十二分に表現できるという、ヴァイグレの自信に満ちた指揮ぶりにこちらも納得。
 この日も団員解散後も拍手が止まず、ヴァイグレ1人呼び出される。
 

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