読響「第九」特別演奏会
○2020年12月16日(水)19:00〜20:55
○東京芸術劇場
○3階H列44番(3階最後列から4列目ほぼ中央)
○ベートーヴェン「笛時計のための5つの小品」より「スケルツォ」「アレグロ」
 バッハ「トッカータとフーガニ短調」BWV565
(以上O=三原麻里)
 ベートーヴェン「交響曲第9番ニ短調」Op125(約68分、第2楽章2回目の主部以外繰り返し実施)
○S=森谷真理、MS=ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー、T=AJ・グルッカート、B=大沼徹
○セバスティアン・ヴァイグレ指揮読響
(10-8-6-5-4、下手から1V-2V-Vc-Va、CbはVaの後方)(コンマス=長原)、新国合唱団(24-16)

特別な年の特別な「第九」

 先週の定期演奏会に続き、年末恒例の「第九」も、2週間の隔離を経た常任指揮者ヴァイグレが7回全て振ることとなった。ありがたいことである。7割程度の入り。

 この日だけ前座としてオルガン演奏がある。クラシック・デザインでバロック調律によるもの。まずはベートーヴェンが演奏機械付の時計のために作曲した珍しい作品。いずれも明るく軽快だが、オルガンで演奏するにはかなり忙しい。
 2曲目はお馴染みのトッカータとフーガ。久々にこのホールでオルガンを聴いたが、ホールの空間いっぱいにオルガンが響くのは、やはりいいものである。もう一息レガートを徹底してくれるとさらによかったのだが。

 休憩後いよいよ「第九」。上手端にHrが2人×2列、その後方にTb3人。下手端、第2Vの後ろにTp2人、その後方にティンパニ3台。第1Vの後方、つまり下手手前端にティンパニ以外の打楽器奏者たち。彼らだけは第2楽章の後合唱、ソリストとともに入場。Obが3人いるのが謎。

 第1楽章、テンポはほぼ標準的。2小節目以降第1Vの32分音符と4分音符のフレーズは文字通りのsotto voceで。31〜32の2つのsfの和音をつなげる。81のFl,ObのフレーズはF−BでなくF−Dで吹かせる。
 271あたりから第3Obが吹いているようなのだが、第2の代わりに吹いているのかよくわからない。301以降延々と続くティンパニの連打だが、327以降何度か登場するsfを少しずつ小さくしながら337〜338のデクレッシェンドにつなげる。
 終盤463以降のVのsfをしっかり強調。以後最後まで安定したアンサンブル。

 第2楽章も標準的なテンポだが、力づくで突進する感じでなく、一歩一歩着実に進む。9以降のフーガを意識し、弦を対抗配置にして各パートの出を几帳面に指示する指揮者も多いのだが、ヴァイグレはそんなことにはお構いなく、あくまでオケ全体を前に進めようとする。
 264以降ティンパニの連打を目立たせるが、272以降は全奏に溶け込ませる。
 主部のコーダ前、387の次に1カッコも演奏するが、いつもながら森に迷ったみたいになってドキドキする。
 コーダはプレストだがここでも速過ぎる感じはない。438以降のHrのパートソロも手堅い。454以降のObソロが終わった後の475以降第3Obが加わる。おそらく首席を休ませて第1の部分を吹かせているのだろう。他の場面では全奏で他の木管とのバランスで加わるくらいだが、おそらくここが第3を加えた最大の理由だろう。

 第3楽章、少し速めだが、落ち着いた雰囲気。アダージョになる83以降もそれほど遅くならない。96のHrソロは本来4番が吹くはずだが首席が見事に演奏。続く99以降、第1VのメロディにHrパートが絡むフレーズを浮き立たせる。

 第4楽章、ほぼ標準的テンポ。30以降それまでの楽章の主題と低弦とのやり取りが対話のようで面白い。第1,2楽章の主題をきっぱり否定するのに対し、第3楽章の主題に答える低弦はためらいがちで、69から加わる木管の響きに引きずられそうになるが、73で思い直して自分を取り戻す。そして77以降木管が歓喜の主題を提示すると、低弦も「そうだよ、そのメロディだよ!」と言わんばかりに力強く呼応する。
 これらのやり取りが収束した91の後、少し間を置いて低弦がppで主題を奏で始める。
 オケ全体で歓喜の主題を演奏している途中で合唱団員がマスクを外して立ち上がる。団員たちは列ごとに立ち位置をずらし、自分の飛沫が前の団員に飛ばないように立っている。
 合唱が"vor Gott"で頂点に達した後も少し間を置く。331以降のAlla Marciaでは大太鼓、トライアングル、シンバルがpppくらいの音量で加わる。
 続くオケだけの間奏部分では454でのCbの入りをしっかり響かせる。
 Adagio ma non troppoの627以降アルトがソプラノを絶妙のバランスで支え、特にppの649以降のハーモニーはこの日の白眉。そのままアルトが二重フーガを先導するところにはホロリときた。
 コーダ直前842のFgのAもたっぷり響かせる。
 918〜920の合唱最後のフレーズでテンポをぐんと上げ、すぐ元に戻してそのまま曲を締める。さすがに数人の拍手フライング。

 小節単位で振る場合が多いのと必要以上に付点などのリズムを強調しないせいか、速いテンポの音楽でもせかせかした感じにならず、どの楽章もまず大きな流れが造り上げられる。その上に次の音楽が乗っかり、さらにスケールが大きくなってゆく。ヴァイグレにしかできない音楽世界である。
 10型の弦にはもう少し厚い響きがほしい部分もあるが、アンサンブルとしてまとまっているので、指揮者の音楽世界を表現するには十分。管楽器、打楽器も安定した響きを聴かせる。
 来日組のバウムガルトナーとグルッカートのみ楽譜を持っての演奏。合唱を含め日本人たちがみな暗譜で歌っている姿は彼らにどう映っただろうか?そのせいだけでもなかろうが、やはり少しぎごちない歌いぶり。森谷が終始レガートを維持した歌唱で素晴らしい。大沼も健闘していたが、低音をもう一息響かせてほしい。
 新国合唱団の40人は、声量だけならもっと出せる団体もあるだろうが、ハーモニーのバランスと緻密さでは他の追随を許さないだろう。

 来年「歓喜の歌」が演奏される頃には、心からの喜びとともに聴ける状況になっていることを願ってやまない。

 

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