新国立劇場「アルマゲドンの夢」(4回公演の2回目)
○2020年11月18日(水)19:00〜20:50
○オペラパレス
○4階2列33番(4階2列目ほぼ中央)
○クーパー=ピーター・タンジッツ(T)、ベラ=ジェシカ・アゾーティ(S)、フォートナム、ジョンソンセス・カリコ(Br)、インスペクター=加納悦子(MS)、歌手、冷笑者=望月哲也(T)ほか
〇大野和士指揮東フィル
(10-8-6-5-4)、新国合唱団(24-24)
〇リディア・シュタイアー演出

C=Circle or Corona?

  ブリテン「夏の夜の夢」で始まった今シーズンの新国オペラだが、次も夢つながりの新作となった。H.G.ウェルズの小説「世界最終戦争の夢」を題材にハリー・ロスが台本を書き、国内外で引っ張りだこの人気作曲家、藤倉大の作曲とあっては、行かないわけにはいかない。1階最前の3列以外はほぼ全ての席を販売し、8割程度の入り。

 休憩なしの1幕物だがプレリュードと9つのシーンに分かれている。
 プレリュードはアカペラの合唱で始まる。そもそもプレリュードはオケが演奏するものという固定観念がいきなりぶっ壊される。
 舞台には奥が頂点の三角形状に並んだ兵士たち。全身白ずくめ、大理石像の子供の頭のような面を被り、客席に向かって銃を構える。胸には"Circle"の頭文字Cのマーク。バラバラに歌っているように聞こえるが、「アルマゲドン」(=世界最終戦争)だけは同じメロディになる。つまりアルマゲドンを熱望するという一点で彼らは結束している。
 兵士たちを囲むように舞台両端には巨大な鏡状の壁がハの字型に配置されている。
 ようやくオケが加わると、兵士たちのいる舞台は後退し、奈落から英国の地下鉄の車両がせり上がってくる。

 シーン1、両端の壁や紗幕には車窓の風景。どうやら雨らしい。紳士服姿の男数人、みな座って新聞や本を読んでいるが、中央扉を挟んで下手側にいるクーパーだけは落ち着きなく車内を動き回る。扉の反対側に座るフォートナムの本に夢のことが書かれているのに気付いたクーパーは、「夢に殺される」という自身の悩みを語り、アドバイスを求めるが有益な答えは得られない。その間に車内販売のワゴンを押す少年が通り過ぎる。
 音楽はだんだん強圧的になり、頂点に達したところで扉が開く。クーパー奥へ飛び出す。
 シーン2。彼の夢の中。中央にもう1枚鏡状の壁。ほぼ中央に八角形のベッド。ピンクの枕。クーパーと夢の女性ベラとの新婚生活。壁には庭の草木の画像。土曜日朝の他愛ないやり取りだが、どこかかみ合っていない。ビブラフォンなどが活躍する官能的なハーモニーが印象的。しかし、両端の壁や紗幕に世界各地の騒乱を伝えるニュース映像が流れると、再び音楽は強圧的に膨張していく。ベッドは奥へ消えてゆく。
 シーン3、再び地下鉄の車内。クーパーはフォートナムと語り合った末、彼から本を借り、2人は一緒に電車から降りる。
 シーン4、奥から八角形の浴槽が奥から近付いてくる。ベラと泡のかけっこをして戯れるクーパー。その様子を見ながらフォートナムは上手へ退場。

 シーン5、奥から白と黒のメイド衣裳を着た女たちが台車を押してきて、乗せていた丸テーブルや丸椅子を並べる。原色系の華やかな衣裳を着た男女たちが奥から入ってくる。ダンスホールという設定。
 ピンク系のロングドレスに金髪の歌手(望月の女装)が歌い、みな踊っている。音楽はワルツのようだが、よく聴くと3拍子と4拍子が交互に現れて7拍子になっている。クーパーと赤いワンピース姿のベラは上手手前端で楽しんでいる。しかし、奥の隙間から白い兵士たちが行進しているのが見える。
 突然客の1人が天使の羽根を背中に付け、人々を扇動し始める。全身白の衣裳のインスペクター。下手奥から白スーツ姿のジョンソンが登場、演説を始める。専属カメラマンが彼の顔を大写しにし、両端の壁にその映像が流れる。ベラはどうやらジョンソンとインスペクターの子供で、幼いときにサークルへ洗脳されかけたが、逃げ出したようだ。
 ジョンソンの演説を聞くうちに人々は踊りを止め、次々に銃を手にし始める。ジョンソンとインスペクターが退場すると、彼らも後を追って退場。

 シーン6、海辺のシーン。両壁には海岸の映像。下手手前にビーチベッド2台。自由を守るために戦おうとするベラに対し、傍観者のままでいようとするクーパー。
 シーン7、そこに大きなアタッシェケースを持った男が現れる。冷笑者と名付けられいる。彼もベラと関係があったようだ。彼女とクーパーが逃げられるよう船のチケットと変装用の着替えをアタッシェケースから出す。"Willow song"(柳の歌)を歌いながら2人に逃避を進める。着替え終わると、冷笑者はベラが脱いだ衣服を入れたアタッシェを持って退場。この様子をクーパーは文字通り傍観している。

 シーン8、白い兵士たちが舞台を占領。ビーチベッドを破壊して下手へ放り出す。両壁や紗幕には大砲、戦闘機や戦車の映像。台車に乗せられ、天井の棒に両手をつながれ、血まみれになった冷笑者が下手から登場。中央の台にはジョンソンが立ってアジ演説。冷笑者はさらに鞭打たれ、息絶える。上手手前端でその様子を恐る恐る眺めるクーパーとベラ。
 ジョンソンが降りるとベラは舞台前面中央へ移動して自由を訴える。その様子をサークル広報部のカメラが捉え、壁に映像が流れる。これを聞いて仮面を脱ぐ兵士がチラホラ現れる。
 しかし、ジョンソンが反撃。少年兵の1人が台に昇る。ジョンソンはインスペクターから羽根を奪って彼の背中に付ける。再び仮面をかぶる兵士たち。絶望するインスペクターはベラと一瞬抱き合い、しかしジョンソンたちの後を追って退場。
 残ったベラとクーパー。うろたえるクーパーに対して気丈に振る舞うベラだが、ついに彼女も撃たれる。のけぞった状態で静止。紗幕にはおでこに銃弾の跡ができた彼女の顔が大写しに。
 クーパーは地下鉄の車内に戻る。窓は枠ごとなくなっている。客たちはみな死に絶えている。車内販売のワゴンを押す少年を非難するクーパーだが、やがて彼も息絶える。少年は静かにアルマゲドン賛歌を歌い、最後にアーメンと唱える。

 1901年に2つの世界大戦やその後の地域紛争を予言したウェルズの小説は衝撃的であるが、オペラにも登場する”Circle"は20世紀以降の世界にたびたび現実に現れ、今でも存在し続ける普遍的存在である。ナチスドイツやソ連のような独裁国家だけでなく、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教といった一神教を信仰する人々が多数を占める国、民主主義国家でもポピュリストが指導者になった状況、もっと言えば今のコロナ禍のように、感染症が蔓延している社会(ひょっとしたらC=Corona?)にすら重ね合わせることもできる。
 共通するのは自由が奪われ、少数意見が抹殺される社会であるということだ。このような社会に生きる人間の息苦しさと、そこから逃れることがいかに困難かという点はもちろんだが、私たちがこの小説とオペラから学ばねばならないことは、油断しているとこのような社会はいつでもどこでも簡単に現実になるのだ、ということだろう。藤倉はこの教訓を見事にオペラとして結晶化させたと言える。

 TOKYOFM少年合唱団のボーイソプラノを含む歌手たちはいずれも充実した歌いぶり。大野指揮の東フィルは藤倉の音楽の隅々にまで血を通わせ、作曲家の込めたメッセージを余すところなく私たちに伝える。
 ただ、やはりこの日の舞台を終始リードしたのは合唱だろう。複雑なハーモニーを巧みに響かせれば響かせるほど、こちらは背筋が寒くなってくる。
 演出上マウスシールドなどの着用はなく、仮面はかぶっても口の部分は開いているし、演者同士の距離もコロナ前とほとんど変わらない。関係者の努力を多とするとともに、全ての公演が終了するまで何事も起こらないことを祈る。

 欧米では第3派の真っ只中だが、こんなときにこそ彼の地の歌劇場で上演される機会が一日も早く実現することを期待したい。

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