昭モーツァルト「フィガロの結婚」〜庭師は見た!〜(2回公演の初日)
○2020年10月30日(金)18:30〜22:05
○東京芸術劇場コンサートホール
○3階I列53番(3階後から3列目上手寄り)
○フィガ郎(フィガロ)=大山大輔(Br)、スザ女(スザンナ)=小林沙羅(S)、アルマヴィーヴァ伯爵=ヴィタリ・ユシュマノフ(Br)、伯爵夫人=ドルニオク綾乃(S)、ケルビーノ=村松稔之(CT)、マルチェ里奈(マルチェリーナ)=森山京子(MS)、バルト郎(バルトロ)=三戸大久(B)、走り男(バジリオ)=黒田大介(T)、狂っちゃ男(クルツィオ)=三浦大喜(T)、バルバ里奈(バルバリーナ)=コロンえりか(S)、庭師アントニ男(アントニオ)=廣川三憲
〇井上道義指揮ザ・オペラ・バンド
(8-6-4-4-2)、ザ・オペラ・クワイア(6-6、他に4-4の声楽アンサンブル)、8人の演劇アンサンブル
〇野田秀樹演出

真の意味の「再演」

 5年前に井上道義総監督・指揮、野田秀樹演出のコンビで上演された「フィガロの結婚」は、全国10カ所で14公演行われ、その斬新なプロダクションが話題となった。残念ながらそのとき観逃がした者としては、再演に駆け付けないわけにはいかない。
 いつもの検温、消毒はあるが来場者カードの記入はなく、コロナ以来初めて全席を使っての公演。両隣にお客さんがいるという当たり前の光景がなぜか緊張感を生む。8割程度の入り。

 ステージは全て舞台として使われ、客席前方を仕切ってオケ・ピットに。
 舞台前方の下手の4畳半くらいとそこから1m幅くらいの上手へ続く通路が1段低くなっている。その通路中央に天井まで伸びる棒が4本、下が狭く上が広がるX字型に組まれ、庭木という設定。開演前からアントニ男が刈り込み作業。奥には縦長の直方体の筒が3つ、下手から竹、梅、椿が描かれ、天井は空いている。中央の筒がやや奥へ引っ込んでいる。

 指揮者は舞台袖から登場し、ピットへ降りてくる。まず庭師の口上。黒船が到来したころの長崎という設定。
 序曲が始まると筒の天井から伯爵、夫人、ケルビーノが姿を現す。伯爵は「マグマ大使」のゴア風、夫人はエリザベス女王風の花びらのような襟が頭の後ろ高くそびえている。ケルビーノは黄色の蜂のような衣裳。
 演劇アンサンブルの役者たちが舞台上で船のような形になり、海に揺られている。
 到着すると3人は舞台に降りてきて、日本人の下男、下女たちに迎えられる。その中のスザンナに伯爵は近付いて早くも迫るが、そのときの夫人は特に反応しない。

 第1幕、X字型の棒は外され両端へ。中央に役者たちが床に寝て四角形を作り、その周囲をフィガ郎が定規で寸法を測っている。ついでに女優の足も測る。スザ女の髪飾りなどは役者が投げて渡す。口上はともかく、いきなり2人が日本語で歌い出す。初演を知らない人なら確かにびっくりする。
 その中にいつの間にか伯爵が紛れていて、2曲目の重唱になると登場。歌に合わせてスザンナに近付く。"il resto"=「(話の)後、残り」を「不思議な話」と訳す。鈴と鐘も「リンリン」「ドンドン」でなく「カンカン」「コンコン」。夫人の部屋の鈴が鳴ると、スザ女は椿の筒からマネキンに着せられた夫人の衣裳を引っ張り出して、退場。残るフィガ郎、定規をギターの形にしてレシタティーヴォとカバティーナを歌う。黒船時代だが伯爵は東京へ赴任するらしい。
 フィガ郎と入れ替わりにバルト郎とマルチェ里奈登場。アントニ男の紹介に文句を付けるバルト郎。バルト郎のアリアの間、役者たちが証文を使って盛り上げる。歌い終わるとバルト郎退場。
 棒4本が舞台前方に四角い出口を作る。そこへ向かうマルチェ里奈とスザ女が小突き合う。二重唱の間、役者たちが傘を広げ、二人の相手に対する本音を表す言葉が示される。しかし、「ババア」だけは歌にも歌われ、繰り返すところでは「バ」「バ」「ア」と3本の傘で強調。
 マルチェ里奈退場すると、奥から入れ替わりにケルビーノ登場。マネキンに着せた衣裳の中から濃いピンクのリボンをスザ女が取り出すと、ケルビーノ隙を見て奪う。
 伯爵の声が奥からすると、ケルビーノは椿の筒に隠れる。伯爵登場、ワインレッドのガウンを羽織っている。イタリア語で歌う。走り男の声がすると伯爵、椿の筒の左から入り、右からケルビーノ出てくる。スザ女は虎の毛皮を出してきてケルビーノに渡し、舞台中央で毛皮の下に隠れさせる。
 走り男は茶坊主、茶筅で茶碗をかき回す音をうるさく立てながら、5人で登場。
 伯爵が出てきて動揺する走り男だが、続く三重唱では役者たちがケルビーノに取られたリボンと同じ色の長いリボンでスザンナの顔の前に四角い枠を作り、もう1本のリボンを彼女の口の前に当てて、テレビで取材を受けている風。彼女が逃げてもしつこくそのポーズを作り続ける。
 伯爵がバルバ里奈との一件を話し始めると、バルバ里奈下手から登場して毛皮の前に座り、すぐ上手へ退場。毛皮を取るとケルビーノ現れる。
 村人たちがフィガロに連れられて登場、伯爵を小さな台の上に乗せ、花飾りを持った娘たちが囲んで回っている。舞台下手のさらに下にも集まり、「地元助っ人合唱団」のプラカード。伯爵に式の延期を告げられると、二度目の合唱は一応従順に退場していくが、終わる直前に一瞬舞台に走り戻って不満を表明。
 走り男も退場するので、その後の「万歳」(Evviva)の走り男のパートは伯爵が日本語で。
 フィガ郎の「もう飛ぶまいぞ」、歌いながら羽根のようなケルビーノの肩の襟や飾りを剥ぎ取り、棒を銃に見立てて持たせる。中央に穴が開き、塹壕のようになってそこから上半身を出した役者たちが棒(銃)を構えて四方に撃つ。勢い余ってフィガ郎も誤射。そこへケルビーノも入れられる。伯爵はなおスザ女に迫るが断られるとアリア途中で退場、フィガ郎のからかう先は専らケルビーノで伯爵には向けられない。深読みすれば、ケルビーノをからかうのに夢中で伯爵のスザ女への誘惑には気付いていないということか。歌い終わると3人は梅の筒に入って退場。

 第2幕、梅の筒から夫人登場。白いレオタード姿の女優3人、中央に立つ夫人の横に花のように立つ。夫人が歌い始めると花はだんだん萎れ、枯れて床の上に折り重なるように倒れる。その上に夫人は伯爵からもらった手紙を落としていくが、最後の1通だけは捨てられず胸に抱く。その様子を奥から覗き見るスザ女。
 夫人とスザ女の二重唱に続き、フィガ郎が入ってきて、ドジョウ掬いなどしながらふざけている。伯爵を懲らしめるためのシナリオを歌舞伎調に紹介。伯爵やケルビーノも出てきて、それぞれの後ろに2人の役者が棒を持って立ち、人形芝居のように動かす。アントニ男が棒2本をつけのように打ち鳴らす。フィガ郎後方へ退場。
 入れ違いにケルビーノ、梅の筒から登場。夫人から「伴奏して」と言われるが、ケルビーノのアリエッタの間スザ女は竹の筒の壁にもたれて立っているのみ。
 ケルビーノの変装の場面では、女優たちが様々な色の布を持ってきて、彼の体に合わせ、夫人に見てもらっている。やがて彼女たちが布でケルビーノの下半身から目を覆って隠し、見事な女装が完成。スザ女は椿の筒へ退場。ケルビーノがもらった辞令は赤い紙で蛇腹状のかなり横に長いもの。
 伯爵が梅の筒の奥から扉を叩くと、ケルビーノは竹の筒に隠れる。伯爵は銃を床に突き刺す。三重唱の間、スザ女は椿の筒から顔だけ出して歌う。
 伯爵夫妻が梅の筒から退場すると、スザ女、続いてケルビーノ出てくる。ケルビーノは椿の扉に飛び込み、破って逃げる。アントニ男、4畳半のスペースで花壇が荒らされたのにショック。スザ女、竹の筒に隠れる。
 伯爵夫妻は梅の筒から戻ってくる。伯爵は電動のこぎりのモーターを唸らせながら開けようとする。二重唱の間、筒の上にテレビの取材陣がカメラや集音マイクなどを持ってあちこちをうかがう。伯爵、竹の筒を中央へ移動させ、剣を右の壁に突き刺すと、左の壁から先が出てくる。もう1本突き刺し、もう1本出てくる。さらに1本突き刺すとなぜか3本出てくる。
 スザ女、そんな筒の中から登場。剣を外へ突き出した役者たちも丸見え、字幕で「マジック」と出てくるが、正にマジックの種明かし。許しを乞う伯爵、拒否する夫人、取り成すスザ女が梅の筒の周りをぐるぐる回る。
 そこへフィガ郎たちが、高い竿の上で皿回ししながら登場。竿を横にすると先に皿がくっ付いているのがわかる。竹の筒も元の位置に戻される。
 奥からアントニ男登場。酒臭いはずだが特に周囲の人物たちの反応はない。足をくじいたふりのフィガ郎は下手に座るが、そのためにアントニ男が取り出した辞令を取りに行くのが遅れる。
 バルト郎達が登場すると、長い竿につながれた3人の役者たちが舞台三方を仕切り、上手側にバルト郎たち、下手側にフィガ郎たち、奥に伯爵と狂っちゃ男と分かれる。狂っちゃ男が持つ行司の団扇の動きに合わせて役者たちも揺れる。

 第3幕、アントニ男の口上に合わせて舞台では人形芝居、音楽は伯爵とスザ女の二重唱から始まる。2人の周囲が赤い長い棒で四角く囲まれ、スザ女はその外に出て、伯爵は中から歌う。やがて2人は結ばれ、棒は鳥居の形に組まれて梅の筒の前に立てられる。筒が開くと中に神社の鐘。その前で2人はお参りするが、伯爵は拍手を3回してしまう。
 伯爵はその後椿の筒の前に立つ。左の扉が開き、そこから顔を出したフィガ郎とスザ女のやり取りを盗み聞きし、怒りのアリアへ。舞台は暗転となり、手前で歌う伯爵の奥に立つ2人の横にオレンジの灯り。歌う途中でスザ女は奥へ追放され、フィガ郎は4畳半のスペースへ倒れ込む。
 続いて第2幕最後の場面が再現され、判決が出される。フィガ郎がバルト郎たちの子だったとわかると、彼らを隔てていた竿は奥へ移動。結末に不満の伯爵と狂っちゃ男は筒の上から空しく歌う。スザ女が登場し六重唱となるが、みなが「母?」「父?」と日本語で歌う中、伯爵のみ"Sua madre""Suo Padre"と歌う。伯爵たち退場後、バルト郎はためらうことなくフィガ郎に祝儀を与える。
 ケルビーノとバルバ里奈のやり取りは省略。
 梅の筒が開き、中に夫人。スキットルのウイスキーをがぶ飲みし、アル中状態。手前まで進んでレシタティーヴォとアリアを歌う間、縦2m横1mくらいのスクリーンを持った役者たちがその後方をゆっくり行き来する。伯爵と夫人が池でボートに乗っているモノクロ画像が映されては消える。
 スザ女が奥から登場して夫人に耳打ちすることでようやく落ち着く。上手手前に硯と紙が置かれ、スザ女筆で横書きの手紙を書く。"il resto capira"(あとはわかるでしょう)と歌いながら、夫人は銃を撃つ仕草。
 バルバ里奈と花娘たちは上手から登場し、1段下がった通路に集まる。女装したケルビーノのことを問われてバルバ里奈がしどろもどろになっても他の娘たちは特に反応なし。
 上手からアントニ男、大きな虫取り網を持って現れ、娘たちの最後列に隠れていたケルビーノに被せる。伯爵、ゴア姿で登場。
 結婚行進曲が鳴ると、3つの筒が上手後方に斜めに並べられ、その手前に置かれた床几に伯爵夫妻座る。村人たち、地元助っ人合唱団も登場。スザ女、伯爵からヴェールを被せられる場面ではまだ手紙を渡さない。
 ファンダンゴが始まると演舞が始まり、男女が相手を入れ替えながら踊る。最初中央手前で伯爵夫妻が踊り、2人後に伯爵がスザ女と合ったところで手紙を渡す。夫人は踊りの輪から離れ、上手手前に集まった村人たちとともに飲んだくれている。
 幕切れの合唱が終わり、筒も元の位置に戻され、一同退場するが、伯爵はバルバ里奈を呼び止め、梅の筒の中へ引き込む。扉から2人の手だけが飛び出し、中で何が起こっているかを示唆。その一部始終を夫人は椿の筒のあたりから見ている。

 第4幕、バラの花が数輪中央に立って咲いている。上手奥には長い棒の林ができている。バルバ里奈、梅の筒から出てきて、バラの花を乱しながら探す。「失くしてしまった」ものはもちろんピンだけではない。伯爵も出てきて、彼女の後ろに立つが、フィガ郎の声がすると退場。
 なぜか懐からピンを出したフィガ郎がバルバ里奈に渡すとようやくいつもの表情に戻り、奥へ退場。
 マルチェリーナとフィガロのやり取りからバジリオのアリアまで省略。
 フィガ郎のアリアの間、キツネの面を被った役者がゆっくり舞台を移動。何回も繰り返される"Il resto nol dico"(言うまでもない、このほかは言わぬ)もなじみのない新訳。
 竹の箱から松の枝が伸び、下手から変装した夫人とスザ女が炬燵を運んで竹の前の前に置く。扉が開いて簾になっている。スザ女のアリアは、彼女の後ろに夫人が立ち、同じ仕草をしながら歌われる。筍の間から覗くフィガロには、スザ女姿の夫人が見えるが、声はスザ女が聞こえるというからくり。途中で筍の間に首を挟んで抜くのに苦労する。スザ女下手へ退場。
 夫人、炬燵で待っていると、鍋を持ったケルビーノが奥から登場、夫人を見つけて近寄り、鍋を炬燵の上に置く。フィガ郎と伯爵が様子を見ながら徐々に近付き、ついに伯爵が炬燵のところまで来ると、お玉を持って鍋から一杯すくってケルビーノめがけてかける。ケルビーノはよけるがその後ろにいたフィガ郎にかかる。
 ケルビーノを追い出した伯爵、炬燵を手前中央へ移動させ、一緒にスザ女姿の夫人も連れてくる。フィガ郎は炬燵布団を被ってその様子を盗み見ようとする。彼が2人を驚かせると、2人とも後方へ退場。
 上手から夫人姿のスザ女登場、フィガ郎に声をかける。スザ女と気付いたフィガ郎が恋心を伝えると、スザ女はお玉で彼を叩き、鍋の中身をすくって当て、いよいよ鍋ごとぶちまけようとしたところでフィガ郎と仲直り。
 奥から戻ってきた伯爵が2人を見つけ、咎めるとスザ女は椿の筒へ。伯爵が扉を開くと、バルバ里奈、ケルビーノ、スザ女と出てくる。後方から元の姿に戻った夫人がゆっくり現れる。彼女の歌に気付いた伯爵、夫人の姿を見て驚く。
 伯爵の謝罪を夫人も許し、一同最後のアンサンブルとなるが、全員後方へ移動しようとすると伯爵はバルバリーナを連れて行こうとする。そこで夫人は床に突き立てられていた銃で伯爵を撃つ。撃たれてのけぞった姿の伯爵は上手端へ。アントニ男が銃を取り上げ、夫人の前に棒4本が開幕前のX型で、牢獄のように組まれる。

 このプロダクションが様々な意味で革命的であることはよくわかる。時代設定だけでなく、伯爵夫妻とケルビーノを外国人、他の登場人物を日本人とすることで、歌も前者はイタリア語、後者は日本語で歌い、重唱で同じ歌詞を2言語で歌うのも気にしない。ただし、伯爵たちに仕えるフィガ郎とスザ女は「バイリンガル」でないと務まらないから、場面によって使い分ける。レシタティーヴォも一部日本語に置き換え、オペレッタの要素も取り入れている。聴き慣れたレシタティーヴォが聴けないのはもったいないし、同じ曲の途中で言語が変わるのは聴く側には結構ストレスになるが、そんなことも意に介さない。
 ステージ後方の字幕スクリーンは横一杯に広がり、3行まで表示可能。日本語で歌う部分も表示し、重唱の歌詞も同時に多くの分量を映し出せる。
 そして、最も出番の少ない役の一つであるアントニオを狂言回しとして頻繁に登場させ、初めて観る人にも理解しやすいよう、劇中人物と聴衆との間の橋渡し役を務めさせる。
 まだまだオペラは敷居が高いと思っている人たちに対するアプローチとしてはかなりの進化系であることは認めるが、これまでの国内外の様々な演出に比べると、演技面ではまだ改善の余地がある。特に、第1幕「もう飛ぶまいぞ」のアリアにおけるフィガロの演技はこれでよいのか?第2幕ケルビーノのアリアの間のスザ女には何かさせるべきではないか?など、詰め切れていない部分がまだ残っている。

 歌手陣は新型コロナウイルスの影響で3人が当初発表から変更となった。ユシュマノフは明るく気品のある声で伯爵にはぴったりだが、もう一息低音の響きがほしい。ドルニオクは前半音程が不安定、後半は持ち直したが高音がこもりがち。スザ女との二重唱では格の違いが露わに。立居振舞は夫人によく合っているだけに、惜しい。村松は終始安定した素晴らしい歌唱。カウンターテナーがケルビーノを演じるのは、今までありそうでなかったことだが、こんなに役に合うとは。夫人やスザ女とのやり取りが、ズボン役と全く違った種類の艶めかしさを醸し出す。この日最大の収穫。
 このほか、小林のスザ女は申し分ない声と歌いぶりで、終始舞台に輝きと明るさを振りまく。大山も良く響く声で小林としっかり渡り合う。森山、三戸、黒田もそれぞれ存在感を発揮。コロンも可憐な歌声が魅力的。廣川はセリフだけでなく歌の場面もしっかり声が出ていて、オペラ専門の歌手たちとのやり取りも自然。

 ザ・オペラ・バンドは2005年に結成、首都圏のプロオケの演奏家からなる混成部隊。木管の首席にはN響の首席が並ぶなど豪華メンバーで、充実したハーモニー。これに対しHrがやや不安定。井上の指揮は緩急自在だが、歌手と合わなくなりかける危ない場面も。

 今回も会場は少ないながらも川崎、北九州を経て今回の公演につながっている。何より驚いたのは、他の劇場、団体が感染予防に細心の注意を払いながら上演しているのに対し、井上は登場するやコンマスと普通に握手するし、舞台上の歌手、俳優たちはフェイスシールドも何も付けていないし、演技による身体の接触はコロナ前と変わらない。
 プログラムで井上は「紗幕を付けたり、歌手間を空けたりする、異常な演出」「真夏の練習中から今までキャストもスタッフも誰一人鼻風邪さえ引いていない。」、野田は「生の肉体を、肉声を、人々の前に届けてこそ、「舞台を生業とする者」と言える。それが私たちの「当たり前」なのである。」と書いている。文字通り今回のプロダクションは真の意味での「再演」である。その志は大いに買うが、これが「匹夫の勇」でないこと、そして公演終了後の出演者、スタッフ全員の無事健康を祈ってやまない。

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