大野和士指揮東京都交響楽団
○7月12日(日)14:00〜15:05
○サントリーホール
○2階RC1列1番(2階舞台上手側、最前列)
○コープランド「市民のためのファンファーレ」
 ベートーヴェン「交響曲第1番ハ長調」Op21(約28分、繰り返し全て実施)
 デュカス「ラ・ペリ」より「ファンファーレ」
 プロコフィエフ「交響曲第1番ニ長調」Op25(古典)
(12-10-8-6-4、下手から1V-2V-Vc-Va、CbはVcの後方)

音楽再開のファンファーレ

 東京都交響楽団は、「コロナ後」の再開コンサートを、定期会員、サポーター限定で申込を受け付け、抽選で当たった客向けの演奏会という形で開催。確かに日ごろから都響を支援している人々向けにまずは演奏を披露するというのは、一つの考え方であろう。恥ずかしながら私は申込対象外なのだが、知り合いのおこぼれにあずかって幸運にも聴くことができた。

 都響はこの日の演奏会に先立ち、専門家の協力を得て先月試演を行い、演奏者同士の間隔をどの程度取るか、楽器からの飛沫がどれだけ拡散されるか、といったデータを採った上で、演奏会再開への行程表と指針を公表している。

https://www.tmso.or.jp/j/wp/wp-content/uploads/2020/06/Guidelines.pdf

 今回は行程表の「ステージ1」による初めての演奏会ということになる。

 奏者たちが入場すると自然に拍手が起こる。
 記念すべき再開コンサートの最初の曲にコープランドの「市民のためのファンファーレ」を選んだということに、まず私は大野監督と都響の並々ならぬ決意を感じ取った。米国では大統領就任式始め様々な場で演奏され、米国民にとって馴染み深い曲であるが、我が国で聴かれることはめったにない。しかし、その理由で選んだわけではない。金管楽器と打楽器の出番を作る意味もあるが、それだけで選んだのでもない。コロナウイルスの感染者、死亡者が最も多い米国において昨今起こっている出来事を思い浮かべると、このタイミングでこの曲を演奏する意味が、容赦なく聴く者の心に迫ってくるのである。
 ステージの最後列にほぼ1列に並んだ奏者たちの朗々たる響きに浸りながら、そんなことを考えずにはいられない。

 続いて弦と木管の奏者たちが入場。さらに大きな拍手で客は歓迎し、全員が揃うと客席に向かって一礼。第1ヴァイオリン最前列は矢部、四方両ソロ・コンサートマスターの揃い踏み。
 ベト1第1楽章、冒頭から緊張感に満ちた響き。テンポはほぼ標準的。12型とは思えないほど弦が厚く響く。57〜58小節の木管のシンコペーションのフレーズを滑らかに歌わせる。94のffを強調。
 第2楽章はやや速めだが、せわしい感じはない。54以降、1Vが刻むメロディに木管と弦が1拍ずつずれながら応えていく。何ということのないアンサンブルが、実に楽しそうに聴こえる。
 第3楽章はほぼ標準的テンポ。軽快に進む。トリオでは、のんびり響かせる木管に弦がヒソヒソ声で茶々を入れる。
 第4楽章もほぼ標準的テンポ。5の冒頭のEの音を少し長めに伸ばす。いつもの大野らしい、生気にあふれた音楽。

 一旦団員たちは退場し、再び最後列に金管11人が横1列に並ぶ。コープランドの曲の30年前に作曲された、デュカスのファンファーレ。しかし、曲風はより近代的な感じで、上品なハーモニーと流麗なメロディが印象的。

 再度弦と木管、ティンパニが一部金管奏者と入れ替わって登場。プロコの1番は、「古典交響曲」と呼ばれているが、作曲家が意図した古典と現代の交わりをありのままに聴かせてくれる。ひょっとして大野はこの曲を「新しい日常」の象徴的な音楽として取り上げたのかもしれない、と言ったらうがち過ぎか?しかし、一見古典派の音楽のようで、メロディラインや和声の変化で古典のルールが次々と破られていく、この曲の在り様は、「コロナ後」の私たちの生きるべき方向性を示唆しているのかもしれない。いつもの細部まで神経の行き届いたフレージングに、いつも以上に安定感のあるハーモニーが加わると、余計にそう思ってしまう。

 この日の演奏会は、都響が上記行程表と指針に沿っていかに綿密な準備を経てきたかがよく理解できた。Pブロック、LA,RAブロック、1階最前4列には客を入れず、ステージから客席への飛沫拡散を最大限防止。管楽器奏者の足元には白い布が敷かれ、楽器にたまった唾液はその上に落とす。指揮台の前にアクリル板が置かれ、指揮者からの汗などが団員たちへ飛ばないようにし、指揮者とコンマスたちとは肘タッチ。そして、プロコの「古典」では、第1フルートの手前と右、第2フルートの右にもアクリル板が置かれた。試演で飛沫の放出が確認された回数が多く、速いフレーズが何度も出てくることから、追加措置を講じたのだろう。
 その一方で、弦楽器奏者たちの間隔はいつもより心持広い程度だったし、譜面台は2人に1台だし、マスクは誰もしていない。必要なところに注意を払い、それ以外のところはあまり神経質にならない、絶妙のバランスが図られている。

 都響は今後段階的に編成を大きくし、最終的には合唱も入れた演奏会の再開を目指す。最終ステージが果たして12月の「第9」に間に合うかどうかも気になるが、音楽を続けていくために必死に努力を重ねている彼らを、今後も応援していきたい。

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