東京二期会「蝶々夫人」(4回公演の初日)
○2019年10月3日(木)18:30〜21:25
○2階L3列19番(2階下手側バルコニー席3列目中央寄り)
○蝶々夫人=森谷真理、ピンカートン=樋口達哉、シャープレス=黒田博、スズキ=藤井麻美、ゴロー=萩原潤、ヤマドリ=小林由樹、ボンゾ=志村文彦、ケイト=成田伊美ほか
○アンドレア・バッティストーニ指揮東フィル(12-10-8-6-4)、二期会合唱団
○宮本亜門演出


許されたピンカートン

 東京二期会今シーズン最初の演目は、二期会の十八番とも言うべき「蝶々夫人」。これを宮本亜門の演出で、ゼンバーオパー・ドレスデン、デンマーク王立歌劇場、サンフランシスコ歌劇場との共同制作で、東京文化会館とよこすか芸術劇場で上演。8割程度の入り。

 幕が開くと病室。ベッドに寝ているのはピンカートン。医師と看護婦の他、洋装の夫人と和装の女性が見守っている。ケイトとスズキ。そこへ青年が飛び込んでくる。蝶々さんとピンカートンの息子という設定。ピンカートンは息子に手紙を渡す。そこには息子の出生に関する秘密を明かす父からのメッセージが書かれており、手紙の文面が舞台前面のスクリーンに映し出される。

 といったあたりでようやく前奏が始まる。舞台両端に日本語で、上方に英語で字幕が表示される。ピンカートンの息子は舞台に残ってその後の展開をずっと見守っている。

 第1幕、ピンカートンは仲間の兵士たちと談笑する合間にゴローから家の図面を見せられて説明を受ける。
 場面転換はカーテンの動きで行われ、下手奥から上手手前に下ろされた2枚のカーテンの間を通ってシャープレス登場。スズキと料理人、下男が挨拶するとピンカートンは金を渡すが、スズキだけはどうしても受け取ろうとしない。
 下手手前にテーブルとソファが2脚。そこに座ってシャープレスとピンカートンのやりとり。ピンカートンの考えを何度も「安易だ」と非難するシャープレスだが、アメリカの妻との「本当の結婚」をするというピンカートンが手を差し出すと、握手する。ケイトのことも知っているだけに祝福せざるを得ないということか。
 蝶々さんたちの到着が知らされると、奥のカーテンが開き、蝶々さんを中心に和服の女性たちが横1列に並んで登場。それまで暗かった舞台がパッと明るくなる。このあたりの演出はさすがに巧み。
 女性たちが舞台前面まで進んでくると、我慢しきれずピンカートンは蝶々さんに抱きつく。一旦離れた後「もっと気の利いた挨拶もできますわよ」と言われ、再び近付こうとするのをシャープレスに止められ「後でいい」と歌う。奥のスクリーンは満開の桜が映し出される。
 親戚の男たちや蝶々さんの母親も現れ、女性たちとともに上手にかたまる。母親はピンカートンに反物を広げて渡そうとするが、どうしても受け取ってもらえない。蝶々さんは1人で奥へ下がり、キューブ状の木製の家に乗って再登場。正面は両開きの折戸、その反対側は大きな丸い窓が開いていて西洋風。残る2面は障子風の引き戸で和風。
 親戚たちがキューブの奥にたむろしている間、蝶々さんはキューブの中からピンカートンに持ち物を見せる。そして改宗の話をする。
 キューブが下手後方に移動し、その前で役人たちが並んで2人の結婚を承認。シャープレスや役人たちが下手から退場すると、ピンカートンは一升瓶から男たちに升で酒を振る舞う。
 そこへボンゾの声がし、山伏風のボンゾと金剛杖を持った手下たちが上手奥から登場。手下たちは杖でピンカートンを打ち据える。一同、上手奥から退場。
 キューブ状の家が舞台中央前面に。丸窓が正面を向いている。着替えるために中へ入る蝶々さんをピンカートンは追うが、スズキに閉め出される。窓にスクリーンを下ろして中はシルエットしか見えなくなる。
 高田賢三デザインの蝶々さんの花嫁衣装は上着は和風だが、下は肩出しの洋風。上着を脱いだ蝶々さんがようやく現れると、ピンカートンはそれも脱がせて、最後は白い下着1枚になる。
 2人の愛の二重唱の間ホリゾントは満天の星空。歌い終わると2人はキューブの中へ。

 第2幕、息子が手紙の続きを読んでいる。ピンカートンが中国艦隊と戦ったことが示される。原作の元となった実話が日清戦争の頃の話なので、それを意識したのだろう。
 上手手前端にスズキが座り、祈っている。キューブの中にいる蝶々さんがそれに答えるが、下着姿のまま。ピンカートンの帰りを疑うスズキに対し、蝶々さんは梯子を昇り、天井の上で「ある晴れた日に」を歌う。終盤では立ち上がる。その間奥の中空にはピンカートンの姿が見える。
 上手からシャープレス登場。下着のまま外に出て挨拶しようとする蝶々さんの前をスズキが遮って見せまいとする。ようやく家に戻ってワンピースを着て再登場。スズキは重そうに西洋風の椅子を運んでシャープレスに座らせる。
 ヤマドリは通常人の良さそうな金持ちのボンボンに描かれるが、ここでは功成り名を遂げた軍人姿で上手から登場。奥に馬の像が見える。歌いぶりとは対照的に態度は高圧的。
 ヤマドリを追い返した後、シャープレスはピンカートンからの手紙を蝶々さんに渡す。蝶々さんが椅子に座り、その肩越しにシャープレスが読んで聞かせるが、途中で立ってはしゃぎ出すので、最後まで続けられない。彼女の楽観に水を差すかのように、椅子を倒し、「もし帰らなかったら?」と尋ねる。
 シャープレスを追い返そうとしたところで、下手から子供が出てくる。最初は気付かなかったシャープレス、蝶々さんが子供を抱いているのを見て驚く。
 蝶々さんが子供を抱いたまま芸者時代のことを振り返る間、上手奥で再現シーン。若い女性が男たちの前で踊りを見せるが、踊り始めて間もないところで男たちに手込めにされる。
 シャープレス、跪いて蝶々さんに許しを請い、上手奥へ退場。見送っていったスズキが入れ違いに登場したゴローを家の前まで引っ張り出して非難。父の形見の脇差しを抜いて振りかざす蝶々さんに対し、ゴローは馬鹿丁寧にお辞儀して退場。
 号砲が鳴ると、蝶々さんは望遠鏡で港を見る。リンカーン号とわかると、迎えの支度を始める。カーテンが目まぐるしく行き来する中、蝶々さんと子供は走り回り、ホリゾントに花が次々と咲く映像。スズキは花束を抱えて戻ってくる。それを家の中央を仕切る衝立に飾る。
 花嫁衣装を羽織った蝶々さんは、子供とスズキと3人並んで家の中に座ってピンカートンの帰りを待つ。

 第3幕、再び病室。前奏の間いよいよ容態が悪化したピンカートンは夢を見ているのか、ベッドから落ちて舞台中央へ向かおうとする。それを息子が力尽くで止めるが、ピンカートンの目線の先には蝶々さんが見える。
 水夫たちの合唱が聞こえると、中央手前にキューブ。その前に蝶々さんは立って待っている。家の中で寝てしまった子供を抱いて下手へ退場。
 上手奥からシャープレスたち登場。ピンカートンは負傷して松葉杖を付いている。三重唱の後、シャープレスはそんな姿のピンカートンを突き倒して非難する。
「さようなら、愛の家よ」を歌ってピンカートンが退場した後、蝶々さんがスズキを呼ぶ前に、子供が一旦家まで走ってきて、すぐに下手へ走り去る。
 蝶々さんが登場してシャープレスたちとやり取りし、彼らが退場すると、下手手前で倒れる。自決を決意した蝶々さんはスズキを家から閉め出し、なおも家のすぐ外でスズキが留まっていると、外に出てさらに遠くへ追いやる。
 丸窓を正面にして座り、自決の準備をする蝶々さん。目隠しをした子供が下手に登場すると、青年がその子を家の中に入れる。「かわいい坊や」を歌った後再び目隠しさせて外へ出す。
 窓のブラインドを下ろす。中が赤く光る。自決を暗示するとともに、長崎の原爆をイメージさせる。
 舞台は病院に戻り、ベッドからピンカートンが「蝶々さーん!」と歌って事切れる。青年は父の枕元にすがる。その一方で、奥から蝶々さんが現れ、上手からピンカートンが登場。舞台中央で2人は手を取り合って奥=天国へ向かってゆく。

 ピンカートンを一方的に非難するのでなく、蝶々さんと似た、純粋故に道を誤った人間として捉え、この世で結ばれなかった愛はあの世で結ばれるというストーリー。「ピンカートンに甘い!」「ケイトの立場がない!」との批判が聞こえてきそうだし、どこか座り心地が定まらない感じは拭えない。プログラムの中で宮本は、蝶々さんは誇りのために死んだのでなく、ピンカートンと子供の幸せのために死んだと語っているが、その辺が違和感を生む原因かもしれない。子供が自分のルーツを知るために父の回想を追っていく話として仕立てるなら、純粋な愛のために死んだのと、誇りのために死んだのと、どちらが子供として納得できるだろうか?後者を無視することはできないと思うのだが。

 森谷はところどころ力任せになる部分があるが、蝶々さんはスタミナとパワーを要求される役である以上、ある程度致し方ない。気品や宮本の否定した誇りをもう少しどこかで表現できれば言うことなし。樋口は情熱的な声が終始保たれ、安心して聴いていられる。1幕終盤のハイCも見事。黒田も安定した歌いぶり。演技も含め、このオペラの救いとなるべき役割を十二分に果たす。藤井は二期会デビュー。声は明るいが、控え目なスズキの雰囲気をまずまず無難に表現。通常テノールが歌うゴローをバリトンの萩原が担当。高音も問題ないし、彼特有の怪しい色気がこの役のいやらしさによく合っていて、新鮮な印象を与える。絶妙のキャスティング。

 バッティストーニ指揮の東フィルは、しばしば聴く者を驚かせる。1幕でピンカートンが蝶々さんのことをシャープレスに紹介するくだりの生き生きと歌う弦。2幕で蝶々さんがシャープレスに子供を見せる場面では、鋭い低弦のピツィカートで緊張した間を作り、続くファンファーレ風の全奏で場の雰囲気を一変させる。まだまだ指揮が空回りしている部分やもっと神経を使って響かせてほしい部分もあるが、これからもっと他のオペラでも聴いてみたいコンビであるのは間違いない。

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