東京シティ・バレエ団創立50周年記念公演「白鳥の湖」(3回公演の最終日)
○2018年3月6日(火)18:30〜21:20
○東京文化会館
○4階L2列10番(4階下手サイド2列目舞台寄り)
○オデット/オディール=ヤーナ・サレンコ、王子=ディヌ・タマズラカル、ロートバルト=李悦、道化=玉浦誠他
〇大野和士指揮東京都交響楽団
(14-12-10-8-6)(コンマス=四方恭子)
〇原振付:マリウス・プティパ、レフ・イワノフ、演出・振付=石田種生、美術:藤田嗣治


記念公演を普段の公演に

 諸般の事情で何年もバレエから遠ざかっていた私だが、東京シティ・バレエ団創立50周年記念というだけなく、大野和士が自ら芸術監督を務める都響を振るということと、藤田嗣治の舞台美術が復活すること、この二つに押されて足を運ぶこととなった。ほぼ満席の入り。
 ちなみに、大野はシティ・バレエ芸術監督安達悦子と小学校の同級生という縁、藤田の舞台美術は戦後1946年「白鳥の湖」全幕日本初演の際に使われたものの復活である。今年は藤田の没後50年という節目の年でもある。

 第1幕、森の中の開けた広場という空間だが、中央にアーチ型の門、上手奥に城らしき建物、下手奥には石の階段。建物の脇に木々が立っていると言うより、森の木々が今にも石の建物を覆い尽くさんばかりに深く茂っている。藤田特有の乳白色はほとんど見られず、緑の濃淡で森の奥深さを表現。
 人々は上手奥の通路から入退場。終盤で王子は下手の階段を駆け上がって退場。

 第2幕、やはり鬱蒼とした森の奥に湖が見えるが、湖面は木の幹や枝に隠されているところも。ホリゾント上方も木々で覆われている。湖上に突き出た岩からは小さな木の枝が真横に伸びている。
「情景」の間にホリゾントの上手側が透けてロートバルトの羽ばたく姿が見える。
 下手で王子が弓を構えると上手奥からオデット登場。2人は寄り添って踊るが、後方からロートバルトが忍び寄ってきて、ついには2人の間に割って入る。

 第3幕、広間の壁や柱は濃い赤を基調としたデザイン。上手手前に王妃と王子の席。ロートバルトがオディールを王子に引き合わせて踊らせると、上手奥の壁が透けてオデットの姿。しかし、ロートバルトはそれを遮って王子に見せまいとする。
 王子がオディールとの結婚を決め、赤いバラの花束を彼女に渡す。再び上手奥の壁にオデットが見えると、ロートバルトとオディールは中央奥へ。追う王子に対し、オディールは花束をバラしてぶちまける。王子は絶望のあまり王妃に抱きつくが、気を取り直して湖へ向かうべく、下手奥から退場。卒倒する王妃。

 幕が下りて舞台転換の途中から、第4幕の音楽が始まるが、ト短調の木管合奏から始まる聴き慣れない曲。

 第4幕、幕が開くと紗幕がかかっている。上手奥と下手手前に数羽ずつ白鳥がしゃがみ込んでいる。
 王子はオデットと再会すると、中央奥でポーズを取り、ロートバルトを寄せ付けない。音楽が長調に転じてから王子とロートバルトは戦い始め、右羽根をちぎり取る。魔法が解けて、オデットを含め白鳥は人間の娘に戻る。ホリゾントが明るくなり、これまで暗かった湖と森の表情が一変。緑の中に仕込まれていた白が輝く。藤田はこの効果を狙っていたのか、と思う。

 全体的に藤田の舞台美術にはそれだけで一見の価値がある。油絵特有の色の濃淡が遠くの席からでも感じ取れる。色彩が舞台全体に重厚感を与えている。しかも、フランスで一世を風靡した乳白色でもなく、戦争画時代の茶色でもなく、彼がそれ以外の色で新しい世界を切り拓こうとした、創作意欲も伝わってくる。もっと早く知っていれば、もっとホリゾントがよく見える席を取ったのに。

 何と言っても、大野指揮の都響がチャイコフスキー本来の音楽の魅力を冒頭から十二分に引き出してくれる。聴いているだけで満足。しかし、途中で挿入されている踊りのナンバーでは、最後にダンサーたちがポーズを決めやすいようにテンポを合わせることも忘れない。
 主役2人はいずれもベルリン国立バレエ団のプリンシパル。サレンコはウクライナ出身、悲劇のヒロインと鼻っ柱の強い悪女を見事に踊り分ける。タマズラカルはモルドバ出身、すらりとした長身で気品に満ちているだけでなく、強い意志も感じさせる。
 この2人は細かい振りに到るまで、音楽とぴたり合っている。当たり前と言ってしまえばそれまでだが、他の踊りのナンバーを観ていると必ずしもそうではないので、余計2人の踊りが際立つ。ダンサー個人の技量は高いのだが、それが2人、4人、8人といった小グループになり、群舞になると、わずかなずれや乱れでも目に付いてしまう。

 しかし、それ以上に重要なことは、今回のような記念公演が、本来日本の主要バレエ団にとって普段の公演であってほしいということである。現代作品ももちろん大事だが、毎シーズン1回はこのような古典作品を、一流のオケと指揮者で、できれば一流のデザイナーによる舞台美術とともに上演する。これこそ次の50年に向けて取り組んでほしいことである。

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