大野和士指揮都響
○2018年1月10日(水)19:00〜20:55
○サントリーホール
○2階RA5列17番(2階ステージ上手側ブロック5列目)
○R.シュトラウス 組曲「町人貴族」Op60(6-4-4-2)
 ツェムリンスキー 交響詩「人魚姫」
(16-14-12-10-8、下手から1V-2V-Vc-Va、CbはVcとVaの間の後方)

願いの叶わぬ者たちの喜劇と悲劇

 都響の1月の定期は、大野和士音楽監督の出番が続く。まずは、リヒャルト・シュトラウスとツェムリンスキーという凝った組合せ。

 シュトラウス「町人貴族」は、モリエールのコメディ・バレエに付けた音楽。舞台下手に弦、上手に管・打楽器が並び、両者を分けるように中央にピアノとハープ。編成は小さいが楽器の種類は多い。
 Vは第1,第2に分けずに6人。しかし、最初から全員が弾くわけではない。第1,2曲はVの3列目とVa,Vcの2列目の奏者はお休み。
 第3曲はTpが急速に上昇するフレーズを外す。同じフレーズをピアノが続けて演奏するので、なかなか辛いところ。
 第4曲ではVのソロ(コンマスの矢部)があるが、後ろの4人は伴奏を弾いているのに、なぜかソロの隣りの奏者はお休み。Va,Vcにもソロがあるが、やはり隣りはお休み。
 第5曲ではVの2列目のみお休み。第6曲のVは1列目2人と2列目の客席側奏者の3人のみで演奏。
 第7曲は静かに始まるが、後半は打楽器が加わって賑やかな雰囲気に。第8曲はFl,Ob,Clなどが二重奏を次々と受け渡していって、楽しい。
 最後の第9曲でようやく弦全員が演奏に参加。
 途中までは弦の奏者たちの担当がころころ変わるので、そちらの方が気になってしまったが、元々リュリが作曲したものにシュトラウスのアレンジが入っている第5,7曲からは面白い響きが聴ける。その一方でシュトラウス・オリジナルの曲は、彼らしい官能的な和音や強引な転調が惜しみなく使われている。どの奏者もメロディを濃厚に歌わせていて、舞台のシーンと役者たちの動きが見えてくる。

 ツェムリンスキー「人魚姫」はアンデルセンの童話を元にした曲。長らく埋もれていたが、1980年に再発見され、1984年に蘇演されて以降、しばしば取り上げられる。前半は譜面を見ていた大野も、この曲は暗譜で臨む。得意なレパートリーの中に入っているのだろう。
 第1楽章、海底をイメージさせる低弦の響きの上に、木管などがさざ波や波に反射する光を重ねてゆく。大海原をイメージする全奏が一段落すると、コンマスが人魚のテーマを奏でる。嵐に巻き込まれる船やそれに敢然と立ち向かう王子のさまは緊迫感のあるアンサンブルから伝わってくる。1Vが提示するハ長調のフレーズに到ると、ホッとする。
 第2楽章、冒頭のトリルから速めのテンポで進む。人魚たちの踊りの場面、どこか能天気でキャピキャピした響き。中間部のミステリアスな場面、人魚が人間に変身する場面を経て最初の踊りのテーマに回帰すると、今度はどこか冷めた雰囲気に。
 第3楽章、不穏な響きから始まる。Vが高音から小刻みに降りてくるフレーズが繰り返される場面、人魚の身が少しずつ泡へ溶けてゆくように聞こえる。ついに人魚が身投げする場面で弦が一気に下降、吉松隆の大河ドラマ「平清盛」を連想させる。第1楽章冒頭の海底の響きに戻り、そのまま終わるのかと思いきや、一転して浄化された響きに包まれる。人魚の願いは叶わなかったが、魂は救われるということか。

 終始一貫隙のないアンサンブル、引き締まった響きがすばらしい。矢部のソロは、気品と強い意志を備えた人魚を見事に表現。これまでツェムリンスキーの代表作と言われてきた「叙情交響曲」よりわかりやすく、今後さらに演奏機会が増えるかも。

 ただ、残念なのは客の入り。当日券は70枚ほどだったようだが、最終的に埋まった客席は6割程度か。日本人のR.シュトラウス嫌いだけでなく、地味な作品が並んだプログラムということで、定期会員でパスする人も多かったのか?せっかくオケが自信を持って演奏しているのに、もったいない。
 大野自身も特設サイトで曲の魅力を語っているが、聴衆をホールへと足を向けさせるためのさらなる工夫が必要なのかもしれない。

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