長島剛子・梅本実リートデュオ・リサイタル
○2017年10月16日(月)19:00〜20:40
○王子ホール
○L列14番(12列目上手側)
○シェーンベルク「ガラテーア」「分をわきまえた愛人」「ギガルレッテ」、R.シュトラウス「6つの歌曲」Op67より「オフィーリアの3つの歌」(「どうしたら私は本当の恋人を」「お早う、今日はヴァレンタインのお祭り」「むき出しのまま、棺台にのせられ」)、ヴォルフ「ゲーテ歌曲集」より「ミニョンの4つの歌」(「語らずともよいと言ってください」「ただ憧れを知る人だけが」「もうしばらくこのままの姿に」「君よ知るや南の国」)
シューマン「女の愛と生涯」Op42
+シューベルト「シルヴィアに」D.891、ヴォルフ「妖精の歌」、本居長世「七つの子」、ブラームス「子守歌」

様々な女の愛と生涯

 ソプラノの長島剛子さんとピアノの梅本実さんは、これまで「世紀末から20世紀へ」と題して15回にわたるリサイタルを続けてきた。マーラーやR.シュトラウスなどの有名な作曲家の作品はもちろん、シェーンベルクなど新ウィーン楽派の若い時の作品や「退廃音楽」のシリーズなど、毎回意欲的なプログラムが組まれ、日本であまり知られていないドイツ・リートに光を当て続けて来られた。
 今回からは、新しいシリーズとして「ロマン派から20世紀へ」と題し、リートの真髄と言われるロマン派にも取り組むことに。第1回は「様々な女性の姿」というタイトルで、文字通り様々な女性を題材にしたリートを集める。ほぼ満席の入り。

 前半の長島さんは黒地に花柄の衣裳。まずはシェーンベルクのキャバレー・ソング。「世紀末から20世紀へ」シリーズでも本プログラムやアンコールでしばしば取り上げている。どの曲も陽気で楽しく、ステージにミラーボールが回り始める。いずれも男を虜にする女性たちが描かれる。
 続いてオフィーリアの歌。長島さんはさっきとは打って変わって能面のような表情に。いずれも狂乱の場を題材にしているが、第1曲はヴォルフを思わせる不気味なハーモニーが特徴。第2曲は一転して躁状態を思わせる速いテンポの曲。歌とピアノが同時に演奏を始めるが、隙のないアンサンブル。第3曲は重苦しい部分とエキセントリックな部分が目まぐるしく入れ替わる。シュトラウスらしい官能的な響きは影を潜め、最後の和音はオフィーリアの死を連想させる。
 続いてミニョンの歌。ヴィルヘルム・マイスターに対する秘めた思いが、第1曲では固い決意で封印されるが、ピアノは将来を予感する不吉な雰囲気の和音が続く。その思いは第2曲から徐々に抑え難くなり、第3曲では永遠の若さを求める叫びとなり、有名な第4曲で情熱の奔流となって、繰り返し聴く者に襲いかかる。しかしその思いはかなわず、最後は力尽きる。
 前半だけでも5人の女性を演じ分ける。驚異的な集中力。

 後半は鮮やかな緑一色の衣裳。
 シューマン「女の愛と生涯」は、シュトラウスやヴォルフを聴いた後では、拍子抜けするくらい単純なハーモニーに聴こえてしまうが、女声歌手にとって一度は歌ってみたい名曲かつ難曲であることに変わりはない。
 第1曲は愛の芽生えが控え目に。第2曲で愛はすくすく育つ。ピアノの最後の音を意外とあっさり切ったのが印象的。第3曲で愛は成就するがまだ実感できない。第4曲で指輪を手にしてようやく幸せを実感。第5曲で愛の喜びがホール全体にあふれる。第6曲でその喜びはだんだん女性の魂の中へ浸透し、第7曲で子供を授かり、再び幸せの頂点へ。そして第8曲で夫の死により一気に不幸の淵へ。最後は第1曲のメロディをピアノが長い後奏として再現。女性の中に生きる夫が、女性の悲しみを癒すように響く。

 長島さんの声には終始安定感があり、それぞれの女性の表情の演じ分けも見事。シェーンベルクでは持ち前の輝かしい響きを前面に出し、華やかだが儚い恋の世界を見せてくれる。シュトラウスとヴォルフでは中低音で歌う場面が多く、こちらも豊かな響きでオフィーリアの分裂した感情、ミニョンの抑え難い思いがひしひしと伝わってくる。シューマンでは和声が比較的単純になる分、よりストレートに女性の気持を歌に乗せる。
 これを支える梅本さんのピアノも相変わらず素晴らしい。シェーンベルクは華やかに、オシャレに、しかしさっぱりと。シュトラウスとヴォルフでは、最初の和音で曲の雰囲気が伝わってくる。しかも硬軟の使い分けが絶妙。優しく寄り添う時もあれば、ヴォルフの第4曲ではミニョンを執拗に煽りたてる。シューマンでは終始一歩下がって歌を支えていたが、最後の後奏はいつまでも聴いていたかった。

 新しいシリーズ、まずは上々の滑り出しと言えるだろう。次回以降どんなテーマでどんな曲を取り上げるのか?ぜひまた埋もれた名曲にめぐり会いたい。

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