「ミカド」(2回公演の初日)
○2017年8月26日(土)16:00〜18:50
○新国立劇場中劇場
○2階3列40番(2階最後列ほぼ中央)
○ナンキプー=二塚直紀、ヤムヤム=飯嶋幸子、ココ=迎肇聡、ミカド=松森治、カティーシャ=船越亜弥、プーバー=竹内直紀、ピシュタッシュ=五島真澄、ピッティシング=藤村江李奈、ピープボー=山際きみ佳他
○園田隆一郎指揮日本センチュリー響
(6-5-4-3-2)、
びわ湖ホール声楽アンサンブル・ソロ登録メンバー(6-6)
○中村敬一演出・訳詞


もっと笑わせて

  ウィリアム・ギルバートの台本、アーサー・サリヴァン作曲のコンビは、19世紀末のイギリスで次々とコミカルなオペラの名作を生み出した。これらの作品は上演された劇場の名前を取って「サヴォイ・オペラ」と呼ばれる。「ミカド」はその中で最も有名な作品であり、英米で盛んに上演されてきた。私がニューヨークに滞在していた1990〜92年の間でもニューヨーク・シティ・オペラから大学生によるアマチュア・カンパニーまで、様々な団体が盛んに上演していたのものである。
 その一方で、日本では戦後間もなく上演された記録はあるものの、日本が明確に舞台となっている「蝶々夫人」に比べれば、はるかに上演される機会は少ない。少なくとも私は日本で観たことがない。中には「街宣車が妨害するから」というまことしやかな理由を教えてくれる人もいたが、果たして本当にそうなのか?びわ湖ホールのプロダクションを「地域招聘オペラ公演」の形で新国でもようやく観ることができるようになったのは、何はともあれ喜ばしい。幸い劇場の周りで街宣車は見かけなかった。9割以上の入り。

「こうもり」にも立派な序曲があるように、「ミカド」にも3つの部分から成る序曲がある。まずは園田指揮の日本センチュリー響がきちんと演奏してくれて、素晴らしい。
 幕が開くとプロセニウムが奥に向かって2枚重ねられている。手前のプロセニウムの両側には浮世絵の人物が描かれている。ホリゾントに様々な映像が映し出される。
 第1幕、ホリゾントには外国人向け日本の観光案内のホームページ風の映像。裃にネクタイを締め、縞模様のバルーン・スカートに山高帽の男6人が電車に揺られている。スマホを持ち、「自分たちは日本のエリート」と得意げに歌う。
 そこへハーレー風の自転車に乗ったナンキ・プーが登場。エレキギターを抱え、写真家の荒木経惟みたいなサングラスをかけ、ロックスター風。演歌からオペラ・アリアまで何でも作ると豪語。
 そこに下手からピシュタッシュ登場。中国の学者風の衣裳、書物を風呂敷に包んで持ってくる。ミカドが定めた厳しい法律について伝える。
 続いて上手から小型車に乗ったプーバー登場。「外務大臣、財務大臣、文部科学大臣…」と自分の担当を延々と紹介。ナンキ・プーが愛するヤムヤムは既にココと婚約していること、ココがティティプの最高指導者に任命されたことを知らせる。
 ホリゾントが一旦黒い緞帳で閉じられた後、改めて開かれる。奥にココ、国技館の釣り天井が降りてくる。ココは武将風の衣裳、長い柄の付いた首切り用の鎌を背中に差している。自分の権勢を誇示し、処刑者リストを手に厳格な法の執行を宣言するが、後ろに並ぶ役人たちに簡単にリストを取られては取り返すといったことを繰り返す。

 中央後方からバスに乗った9人の娘たちが大騒ぎしながら手前に。姦(かしま)しいの3乗といったところ。最前列にヤムヤムとピーポーとピッティシング。全員セーラー服に両腕だけ着物の袖を垂らし、ピンクや緑など派手な色のかつらを被り、スマホを持っている。ホリゾントは中央線吉祥寺駅の標識、天上から高速道路の行先表示や交通標識が吊るされ、「愛嬌橋」「夢見が丘」などと書かれたバス停が置かれている。 
 ナンキ・プーがヤムヤムと2人きりになると、男女の接触を禁じる法律に怯えながら、バス停を使って慎重に近付き、ついに抱き合う。その様子を奥で役人たちも目撃。
 入れ替わりにココとプーバーが登場。結婚式の打合せをしているところへピシュタッシュが現れ、ミカドからの勅令を伝える。ホリゾントは寺と石庭。
 困ったココは1人に。ホリゾントは竹林。上手から首吊り縄を持ったナンキ・プーが登場。密約成立。
 ヤムヤムとナンキ・プーが結婚することになり、みんなで祝福。ホリゾントは浅草寺入口の大提灯。音楽が盛り上がると提灯も膨らむ。
 一同最高潮に盛り上がったところで奥に人力車に乗ったカティーシャ登場。王朝風衣裳。一同「オニ・ビックリ・シャックリ」の合唱の中、ヤムヤムは何とかカティーシャを邪魔しようとするが、衣裳の裾を踏んでもひっくり返され、全く歯が立たない。浅草寺の提灯は般若の面に取って代わられる。大混乱の中、カティーシャはナンキ・プーを追いかける。 
 
 第2幕、再びホリゾントに観光案内ホームページ風画面。その中の扇の映像がクローズアップ。
 中央に鏡台、上手奥にマネキンにかかった花嫁衣裳(なぜか右手を上げている)。ヤムヤムの婚礼支度中。全員和服風。髪飾りがさらに派手に。みな興奮してさらに姦しくなっている。
 好きな人と結婚できるが1か月後に彼が首を切られると思うと涙が出てしまうヤムヤム。そこへこちらも婚礼衣装に着替えたナンキ・プーとピシュタッシュが下手から登場。ヤムヤムを元気づける。
 続いてココが登場。処刑された者の配偶者は生き埋めにされるとの法律を知らされ、動揺するヤムヤムとナンキ・プー。ホリゾントは伏見稲荷の千本鳥居。ココは一計を案じ、2人を逃がす。

 いよいよミカドが登場。金色の平安風衣裳をまとったミカドがカティーシャを引き連れ、下手奥から登場。役人たちと少女たちがひれ伏す中威厳を示そうとするが、カティーシャに横槍を入れられ、戸惑う。
 下手からココ、プーバー、ピッティシング、ピープ・ボーが登場、処刑の報告をする。ミカドとカティーシャは床几に座って聞く。彼らが息子を処刑してしまったことを知ったミカドは、4人の処刑を命じる。
 舞台に残ったココ、プーバー、ピッティシング、ピープ・ボーは解決策を練る。そこへ下手からハネムーンへ行こうとするナンキ・プーとヤムヤム登場。ホリゾントは清水の舞台。ココがカティーシャに求婚することととなり、一同退場。
 入れ替わりに下手奥からカティーシャ登場。ホリゾントの清水の舞台は雪景色。ココが現れて求婚の歌を歌うと、ホリゾントは桜満開に。
 ミカドが下手奥から再登場。上手からココらが打ちひしがれて登場。しかし、彼らに付き添うカティーシャが助命を求める。そこへ下手からナンキ・プーとヤムヤムが登場。息子に生きて再会したミカドは感激して抱きかかえ、一件落着。
 フィナーレは役人たちがタキシード姿、娘たちは全身銀色でラメ入りのダンサー風衣裳で登場。ホリゾントは通天閣前の商店街、他の登場人物も洋装になり、ピッティシングとピープ・ボーはタイガースファン風とたこ焼き柄の衣裳。そして、ミカドがグリコのランナー風になって登場。大団円となる。

 二塚は張りのあるテノールでナンキ・プーにぴったり。飯嶋も愛らしいヤムヤムを聴かせる。迎のココ、竹内のプーバー、五島のピシュタッシュも手堅いが、もっとふざけてもいいくらい。松森は日本人には珍しいアクの強いバスで、演技とのギャップが笑える。船越もしっかり歌っていたが、カティーシャにしては上品な声。
 合唱は少数精鋭という感じで、人数以上の存在感を発揮。園田指揮の日本センチュリー響もきびきびとしたフレージングの弦と安定した管の響きでコミカルな雰囲気を盛り上げる。繰り返しを一部省略。

 この公演の最大の課題は訳詞であろう。第1に、原作の内容をできるだけ忠実に伝えることが求められる。しかし、例えばココにとって一番の聴かせどころのカティーシャへの求婚歌で、小鳥の鳴き声 "Willow, tit-willow"を「やなぎ、やなぎ」というのは、いかがなものか。もう少し何か別の言葉は考えられなかっただろうか?また、この作品を特徴づける早口ソングにしても、訳すことでスピード感が失われてしまった。オケはフレーズをせわしなく刻み、英語の字幕には目一杯歌詞が並んでいるのに、両脇の日本語字幕はそれほどでもない。だから歌う側のテンポが間が抜けて聴こえてしまう。
 第2に、現代の日本人に受けるギャグを盛り込むこととが求められるが、セリフで「一線は越えてません」などのギャグがあるにはあったが、もっと世相を反映させたネタを盛り込めるはずである。
 第3に、東京での公演特有の課題として、関西弁をどこまで盛り込むかである。第2幕冒頭の少女たちのおしゃべりの中で「めっちゃええやん」など関西弁が漏れてくる場面はあったが、セリフはほとんど標準語だった。ホリゾントの観光名所は関西ばかりだったので、特にギャグについては関西弁をもっと活用しても良かったのではないか。

 近年英米では白人が扮する東洋人の姿が人種差別的だとして「ミカド」の上演が中止に追い込まれることがしばしばあるそうだ。
 しかし、このオペラの本質は風刺劇であり、日本がイメージされる設定だとすれば、日本人が正面から取り上げて「こうあるべき」という公演スタイルを示すことが求められる。
 とにかく音楽が掛け値なしに楽しいのだ。ニューヨークで初めて観て以来、代表的なナンバーが25年以上経った今でも時折思い出してはしばらく頭の中でぐるぐる回る。歌謡曲並みの親しみやすさと忘れ難さを兼ね備えた名曲のオンパレードなのである。
 この作品の魅力を日本の聴衆に再認識させたという点では、本公演の意義は誠に大きいものがあったと言える。

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