コメディ・トゥナイト!「ローマで起こったおかしな出来事」江戸版
○2017年3月26日(日)11:30〜14:25
○新橋演舞場
○3階1列34番(3階1列目中央やや上手寄り)
○布袋屋楽右衛門=高橋ジョージ、お高=松田美由紀、丁吉=片岡愛之助、比呂=内博貴、金吉=ルー大柴、澤野屋=ダイヤモンドユカイ、お美津=平野綾、川端平吉=徳井優、荒尾正蔵=鈴木壮麻他
〇音楽監督・編曲=甲斐正人
○演出・上演台本・訳詞=宮本亜門

ソンドハイムを食い荒らすな 

 プログラムに掲載された宮本亜門の挨拶によると、2004年にブロードウェイで「太平洋序曲」が上演されたとき、ソンドハイムから自身の出世作である"A Funny Thing Happened on the Way to the Forum"の江戸版を創ってほしい、と言われたそうだ。そこから13年かけてついに日の目を見たのが「コメディ・トゥナイト ローマで起こったおかしな出来事 江戸版」である。そのような事情もあって、宮本はいつもの演出だけでなく、上演台本・訳詞まで担当している。ほぼ満席の入り。
 オリジナル台本と今回の台本では、登場人物の呼び名が以下のように改変されている。

オリジナル版(古代ギリシャ)

江戸版

セネクス

布袋屋楽右衛門

ドミーナ

お高

ヒーロー

比呂

スードラス

丁吉

ヒステリウム

金吉

ライカス

澤野屋

フィリア

お美津

エロニアス

川端平吉

マイルス・グロリオサス

荒尾正蔵

 舞台は幕が開いた状態。両脇に木組みの櫓が組まれ、2階奥にオケ、1階にプロンプター。当然プロンプターも和装である。そして、各ナンバーの題名を見せるめくりが上手端に置かれる。プロセニアム上部には板張りの江戸の家々の屋根らしきものと、赤い丸提灯が並ぶ。下手の櫓の1階では合唱要員用のスペース。
 第1幕、片岡愛之助が登場、黄色地に緑の紋が入った明るい衣裳、鉢巻き姿。「招福座」という芝居小屋の主人という設定。今日はコメディを上演すると宣言するとともに、様々な端役を演じる3人組が紹介される。一旦舞台手前に青、黄緑、オレンジの地に様々な紋が描かれた定式幕が引かれる。この幕は中央に切れ目があって、出入できるようになっている。
「コメディ・トゥナイト」が始まると、幕が開けられ、登場人物たちが目まぐるしく舞台を行き交い、下手に澤野屋、上手に川端正吉の家、中央奥から布袋屋が出てくる。澤野屋は赤い壁の2階建て、観音開きの扉の両脇に女性のシルエットが描かれた巨大な赤提灯が下げられている。川端の家は質素だがやはり2階建て、布袋屋は入口に下げられた暖簾に○に「薬」の字、屋根裏も入れると3階建て。途中で忠臣蔵の松の廊下の場や浅野切腹の場面などが混入するが、「忠臣蔵は明日!」と叫ぶ座長に止められる。
 布袋屋の2階の窓から比呂が澤野屋の2階の窓から顔を出すお美津を見つめている。お美津も満更ではない様子。
 布袋屋の入口からは楽右衛門とお高が登場、楽右衛門は胡麻塩頭、杖を付いている。お高は天まで届きそうな巻き上げ髪。3人の丁稚に荷物を持たせ、楽右衛門はお高の顔の巨大な彫像を持っている。丁稚頭の金吉に後を託し、お高の母の見舞いへ向かうべく、上手へ退場。なぜかお高だけが籠に乗る。
 両親を見送った後1人舞台に残った比呂が「恋の目覚め」を歌う。
 上手から3人組とともに丁吉登場。主人の比呂からいかさま賭博で稼いだ金を返すよう言われるが、落語の「時そば」まがいの数え方でなかなか素直に返さない。
「自由は素敵」では、オリジナル台本だとスードラスをその気にさせようとヒーローが甘い声でスードラスに"Free!"とささやくのだが、ここでは丁吉1人舞い上がっていて、比呂は丁吉に頼まれて仕方なく「自由」と言う。最後は大きなうちわを持った4人組が後方に並び「自由万歳」と客席に見せる。
比呂が恋する娘を探すべく、丁吉は澤野屋の主人に女を見せるよう依頼。主人は赤い長髪、赤い衣裳。マツコ・デラックス風の立派な体格の助手もいる。
「ようこそ澤野屋へ」。主人が合図すると、布袋屋と川端の家が後方に下がり、折りたたまれた澤野屋の家が開いて舞台一面に広がる。世界各地から集められた美女たちが紹介され、その中の長身の女を嫌がる丁吉に澤野屋が「じゃあ家ではどうしてんだよ?」と尋ね、場内大爆笑。
 丁吉は最後の花魁がお気に入りのようだが、いずれにしても比呂が探している娘はいない。越後から来たのだが、既に荒尾と言う武将に見受けされることが決まっていることを知り、絶望する比呂。丁吉はその娘は伝染病にかかっていると言いくるめて、連れて来させる。初めて人前で2人っきりになる比呂とお美津。
 「私の魅力」で比呂は読み書きも算数もできないが、かわいさだけが魅力と歌う。
 丁吉は「お船に乗って」で駆け落ちの指南を2人に。3人組の助手たちが船の枠を舞台下から出したり、無人島の描かれた幕を2人の後ろに掲げるなど大忙し。
 布袋屋に預けられたお美津は、「3回手を鳴らす音」が武将到着の合図と言われる。オリジナルでは、ドアを3回ノック。
 鼻の折れたお高の彫像を抱えて上手から楽右衛門が戻ってくる。そこに蚊が飛んできて、楽右衛門が潰そうと手を3回打つと、2階の窓からお美津が顔を出してしまう。
 戻ってきた丁吉はあの娘は新しい女中だと言う。続いて「女中に夢中」。最初は丁吉、楽右衛門の2人。2回目は金吉、3回目は澤野屋が加わる。
 しかし、金吉は若い娘を布袋屋に入れたことでお高に咎められないかと心配で仕方がない。プロンプターが歌のタイトル「私は情緒不安定」を告げると、金吉は「違う!」と叫ぶ。
 花道から川端が杖を付きながら戻ってくる。金吉を女と間違えている。前髪が顔に垂れると海原はるか風に頭を振り上げる。丁吉にうまく言いくるめられて江戸城の周りを7周するよう言われ、花道から退場するが、お守りを落としていく。
 川端の家風呂に入って出てきた楽右衛門と港へ駆け落ちの算段を付けてきた比呂が布袋屋の前で出会う。2階の窓からお美津が顔を出して2人に手を振る。疑心暗鬼の親子が「親が親なら子も子」を歌う。
 西洋風のファンファーレが鳴り、刀を抜いた武士が花道から舞台へ走り込んできて、間もなく荒尾が到着することを知らせる。
 荒尾は石田三成風に金色の角が2本生えた兜姿で登場。澤野屋夫人に扮した丁吉は、用意した眠り薬をお美津が飲まないと聞き(おばあさんの遺言で「酒に飲むと悪い人になる」と言われたから)、とっさに「お美津は逃げた」と告げる。激怒した荒尾が丁吉の首をはねようとする。一つだけ願いを、と丁吉は頼み、許されると「これより35分の休憩でございます。」

 第2幕、愛之助が1幕のおさらいをしてから続きを始める。「自分を殺すとお美津の行き先もわからない」と言って荒尾の怒りを収め、布袋屋の中でおもてなしすることにする。中からはしばしば荒尾の「俺を褒めるな!」という声が聞こえる。
 丁吉は荒尾の手下たちに付きまとわれる。一旦は隙を見つけて逃げ出すが、上手から再び尾行されて出てくる。今度は4人を巧く踊らせて逃げ出す。
 上手からお高が登場。「近親憎悪」で、夫の浮気症に怒り、澤野屋の提灯を奪って地面に叩きつける。その一方でそれでも愛している、と歌う。
 死体を借りるのに失敗した丁吉は金吉を澤野屋へ連れ込む。
 風呂も済ませ、若作りの着物に着替えて川端の家から出てきた楽右衛門がお美津を呼ぶと、彼女は屋根裏から顔を出す。その声を聞いて2階の窓から荒尾が顔を出すが、欄干を壊してしまい、慌てて窓を閉める。入れ違いにお美津が1階の入り口から出てきて、港から戻ってきた比呂の前で「裏切」を歌う。
 澤野屋から先に出てきた丁吉は下手から木の長椅子を中央に持ち出してくる。続いてお美津に扮した金吉登場。最初は嫌がっているが、丁吉に「私の魅力」を歌われると、その気になってくる。
 荒尾の部下たちが戻ってきて丁吉に詰め寄ると、お美津は死んだと告げられる。誰が主人に伝えるか、最初に刀を振って乗り込んできた武士が損な役回りを引き受けることになる。
 お美津の死を告げられた荒尾は仰天して出てくる。ショックで後ろに倒れそうになりながら、部下たちに「支えろ!」と命令。葬儀用の大きな丸い花飾りが3台並べられ、女郎たちも黒い衣裳で出てくる。荒尾たちが舞台前方で嘆き悲しんでいる隙に金吉は起き上がったりしている。別れの接吻をしようとする荒尾を止める丁吉だが、金吉の顔に被せた布が外れかけるアクシデント。
 伝染病のことが嘘とばれ、丁吉は荒尾たちに追いかけられることに。お美津風衣裳に扮したお高や、離れに隠れていたはずの比呂とお美津なども加わったドタバタになる。その間には歌舞伎風の殺陣も挿入される。
 ついに捉えられた丁吉は、荒尾の前で自害するとして、金吉に「あの薬」を所望。渡された薬を飲むと、途中までは苦しむが、やがてみんなにキスを求めるようになる。惚れ薬だったのだ。
 江戸城の周りを3周して上手から戻ってきた川端、さすがに疲れて一休みしようとしたところで金吉に出会う。金吉が首から下げていたお守りを見て我が子だと勘違いするが、そのセリフを聞いて荒尾、お美津もお守りを取り出す。親子3人再会を喜ぶ。
 比呂は何度も詰まりながらも両親にお美津との結婚を認めてほしいと訴える。楽右衛門は「過ちを犯すことがあるかもしれないが」などと自虐ネタを飛ばし、会場受ける。
全て丸く収まり、大団円となる。丁吉は晴れて自由の身となり、宙吊りで前方3回転。

 カーテンコールが終わって一同引き上げるのか、と思ったら、楽右衛門、金吉、丁吉、澤野屋の4人が残り、トークを始める。ダイヤモンドユカイが高橋ジョージの自虐ネタに触れると「だって台本に書いてあるんだよ」「でもだんだん長くなるよね」「それより一体あんた誰?」「草間彌生です」などなど、笑いが止まらない。愛之助から歌舞伎役者(名前は聞き取れず)とはるな愛が客席に来ていることが紹介される。ルー大柴は、「ラブ之助」など本編では殆どなかったルー語を連発。最後まで楽しい空気に。

 
何と言っても片岡愛之助の「座長力」が際立つ。期待していなかった歌の方も失礼ながらなかなか安定した歌いぶりで、安心して聴いていられた。その一方で、正調ミュージカル歌唱の内や平野、ロックンロール調のダイヤモンドユカイや高橋ジョージ、そしてそれ以外の出演者たちの個性的な歌いぶりのせいで、アンサンブルが空中分解しかねないところをきちんとまとめたのは、やはり片岡の存在感あってこそである。
 しかし、いや、だからこそ、「片岡愛之助一座の江戸を舞台にした新作ミュージカル」というイメージが強くなり、宮本が当初目指していた「ソンドハイム・ミュージカルの江戸版」というコンセプトは逆に遠く後退してしまった。それは片岡の顔がアップになった公演ポスターにも現れている。地下鉄の駅の壁でこのポスターを見つけたとき、上演作品がソンドハイムであることに気付くまでずいぶん時間がかかったものだ。

 今回宮本は訳詞台本も手掛けているが、「コメディ」に対して「悲劇」という言葉を使うなど、気になるところがいくつもあった。何よりも、原作で古代ギリシャの演劇の神様に対して、「今夜は悲劇でなく喜劇を演じます」と伝える格調の高さを、江戸時代の架空の芝居一座に置き換えるというのは納得がいかない。日本にだって芝居の神様はいるというのに。
 ソンドハイム・ファンとしては、これまで数々の作品を日本上演を手掛けてきた宮本亜門の功績に感謝してもし切れない。しかし、今回のようなプロデュースのされ方をすると、ソンドハイム作品の魅力がどこまで客席に伝わったか、心許ない限りである。そこまでしてソンドハイムを日本で上演しなければならないものか。いや、そもそもこれはソンドハイムの上演と言えるのか?

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