「繻子の靴―最悪必ずしも定かならず(4日間のスペイン芝居)」全曲上演
○2016年12月10日(土)11:00〜20:20
○京都芸術劇場春秋座
○1階14列10番(14列目やや下手寄り)
☆1日目
 ドニャ・プルエーズ=剣幸、ドン・ロドリッグ=石井英明、ドン・ペラージュ=阿部一徳、ドン・カミーユ=吉見一豊、ドン・バルタザール=小田豊、スペイン国王、ドン・フェルナン=山本善之、イエズス会神父、守護天使、ドン・ルイス=瑞木健太郎、ドニャ・ミュージック=田中紗依、中国人イジドール=茂山宗彦、黒人娘ジョバルバラ=鶴坂奈央他
☆2日目
 ドニャ・プルエーズ=剣幸、ドン・ロドリッグ=石井英明、ドン・ペラージュ=阿部一徳、ドン・カミーユ=吉見一豊、ドニャ・オノリア=鶴坂奈央、船長=小田豊、スペイン国王=山本善之、ナポリの副王=瑞木健太郎、ドニャ・ミュージック=田中紗依、聖ヤコブ=茂山逸平、月=田中紗依
☆3日目
 ドニャ・プルエーズ=剣幸、ドン・ロドリッグ=石井英明、ドン・カミーユ=吉見一豊、アルマグロ=阿部一徳、館長、ドン・レオポルド・オーギュスト=小田豊、守護天使=瑞木健太郎、ドン・フェルナン、ドン・ロディラール=山本善之、ドン・ラミール=片山将磨、ドニャ・イザベル=岩崎小枝子他
☆4日目
 ドン・ロドリッグ=石井英明、スペイン国王、兵士=吉見一豊、ドニャ・セテペ(七剣姫)=岩澤侑生子、女優=千代花奈、日本人絵師大仏、ビダンス教授他=茂山逸平、ドン・マンデス・レアル=片山将磨、レオン神父=阿部一徳、肉屋の娘=岩崎小枝子
、ヒンニュリュス教授他=茂山宗彦他
〇口上役(映像出演)=野村萬斎
〇能管=藤田六郎兵衛
○翻訳・構成・演出=渡邊守章
〇映像・美術=高谷史郎
〇照明=服部基
〇音楽=原摩利彦

執念の日本初演

 20世紀フランスを代表する劇詩人ポール・クローデルは、戦前に駐日フランス大使を務めたほどの一級の外交官という顔も持つ。しかもその間に日本の伝統文化に深い感銘を受けた親日家でもあった。その彼が自身の集大成として日本滞在中に完成させたのが「繻子の靴」である。これは、オペラ・ファンにはワーグナーの「ニーベルングの指環」を想起させる4部作であるとともに、悲劇3部と喜劇の組合せという意味では古代ギリシャの演劇の定形にも通じる。物語の舞台は16世紀後半、絶頂期のスペインだが、男主人公は戦国時代の日本へ行ってその文化に影響を受ける。いろんな意味で日本と縁の深い作品である。
 しかし、この大作を日本で上演できるのはただ1人しかいない。クローデルが亡くなった1955年にこの作品についての卒業論文を書き、さらにその22年後に博士論文をまとめ、その後もフランス演劇の研究だけでなく自身で多くの劇作を演出してきた渡邊守章先生である。先生にとって「繻子の靴」を上演することは運命であると言っても決して大げさではない。
 もちろん上演時間8時間を超えるこの作品を舞台化するのは困難を極める。2005年に「オラトリオ版」として演者が譜面台を前にテキストを読む形で上演されたが、これに先生が満足されるはずもなく、本格的な舞台上演の機会を探り続けてこられた。先生が演出される作品に出演してきた俳優やスタッフ、先生が勤務する京都造形芸術大学のスタッフや教え子たちなど、80年を超える人生の間に先生が築いてこられた人的ネットワークの全てを注ぎ込んで、ようやく初演の日を迎えることができたのである。

 前置きが長くなって申し訳ない。8割程度の入り。舞台には伝統芸能で使われる定式幕。拍子木の合図で幕が開くと出演者全員が横1列に並び、題名をフルネームで分担しながら客席に告げる。
 内側の黒いカーテンが開くと、舞台の横1面を覆う白い壁が3層に組まれている。この壁に様々な映像が映し出されることで舞台は構成される。
 各日の冒頭には映像で野村萬斎が登場し、観客を芝居の世界へと導いてゆく。「シンゴジラ」と言い、この作品と言い、今年は「ヴァーチャル萬斎」の当たり年なのかもしれない。
 ほぼ各場面で役者たちがこれから第何場かを知らせるとともに、ト書きを読む。

 1日目第1場、舞台中央の十字架に縛り付けられた神父(ロドリックの兄)による独白。
 第2場、1階上手にペラージュ、下手にバルタザールで朗読。
 第3場、2回の壁は緑色の生垣風。3階のプルエーズと1階のカミーユとのやり取り。プルエーズの真っ赤な衣裳が実に美しい。
 第4場、黒カーテンが8割方閉まり、開いた狭いスペースの2階にイザベル、1階にルイス。
 第5場、1階下手にプルエーズ、上手にバルタザールで朗読。2階中央の壁に聖母像。終盤では譜面台から離れ、プルエーズは聖母像の前に右足の繻子の靴を捧げて祈る。
 第6場、3階上手にスペイン国王、下手に宰相で朗読。
 第7場、2階で上手にロドリッグ、下手にイシドール。壁一面の草むらが風に揺れている。
 第8場、黒カーテンが8割方閉まった状態。その前後を黒人娘ジョバルバラとナポリのお巡り(旅行者)によるやり取り。なぜかジョバルバラは大阪弁。
 第9場、1階中央にフェルナンとイザベル、その上手側に傷付いて倒れるロドリッグとそれを両手両足を付いて背中で支えるイジドール。
 第10場、2階で上手にプルエーズ、下手にミュジーク、向かい合って座って朗読。
 第11場、黒カーテンが8割方閉まった状態、その前後でジョバルバラとイジドールのやり取り。
 第12場、3階に守護天使、1階にプルエーズ。
 第13場と第14場は1階で朗読。バルタザールと旗手、軍曹が譜面台の前に立ち、他の人物はその周囲で出入りしながら演技。中央にワゴンに乗った御馳走の山が運ばれる。撃たれたバルタザールは「テーブルを両手で抱え、顔を果実の中に埋めて」というト書きを読んだ後で演技。

 2日目、第1場の工房の場面は省略。
 第2場、原作の「抑えがたき男」を口上役が務め、2階上手から早過ぎる登場のオノリアを追い返す。1階下手から白衣姿で息も絶え絶えのプルエールがよろめきながら上手へ。
 第3場、1階上手にオノリア、下手にペラージュで朗読。各階の壁に鉛筆でデッサンされたような室内の装飾の映像が映り、それぞれバラバラにゆっくり左右に動く。
 第4場、1階上手にプルエーズ、下手にペラージュで朗読。壁は前の場面と同様のデッサン風映像だが、違う部屋の装飾。
 第5場の副王の場面は省略。
 第6場、3階に聖ヤコブ。壁の映像は星空。
 第7場、国王とペラージュによる朗読。
 第8場、2階にロドリッグと船長。
 第9場、カミーユとプルエーズによる朗読。
 第10場、2階に副王とミュジーク。映像の効果で2人は海岸の洞窟の中にいるように見える。
 第11場、1階下手にカミーユ、上手にロドリッグで朗読。
 第12場、アメリカの原生林の場面は省略。
 第13場、3階下手からプルエーズ、1階上手からロドリッグ。2階に2人の影が映し出され、しだいに近付いて重なる。
 第14場、3階のプルエーズはゆっくり歩いて上手端のクッションの上に横たわる。1階のロドリッグは上手からゆっくり歩いて下手端のクッションの上に横たわる。2階にギリシャの巫女風衣裳の月が現れ、その独白の間上手端の床から満月が下手端の天井に向かってゆっくり昇り、昇り切ると上手端天井に再び現れ、下手端の床に向かってゆっくり沈んでゆく。

 3日目、第1場の聖人たちとミュジークによるやり取りは省略され、口上役による導入。
 第2場、1階でプルエールからロドリッグ宛の手紙をめぐるフェルナンとレオポルド・オーギュストによるやり取り。
 第3場、1階上手にロドリッグ、下手にアルマグロで朗読。壁にはモノクロのアメリカ大陸の映像が北から南へ、また南から北へと映し出される。
 第4場、歩哨たちによる場面は省略。
 第5場、2階中央に白い分厚い座布団のような胴着姿のレオポルド・オーギュスト。その下手側に旅籠屋の女将が、布団叩きを持って立つ。胴着を叩くとレオポルドが「パフ、パフ」と声を出す。
 第6場、1階でラミールとイザベルのやり取り。
 第7場、黒カーテンが8割方閉まった状態。1階上手のクッションにうずくまるプルエーズ。カーテンの隙間からカミーユ登場、侍女に水晶の珠を渡す。侍女はそれをプルエーズの手に握らせる。
 第8場、プルエーズは立ち上がり、3階の守護天使とやり取り。
 第9場、2階上手にロドリッグ、下手に机に向かう秘書官(ロディラール)、その傍らにイザベル。ロドリッグは秘書官からついに手紙を受け取る。
 第10場、2階の上手にプルエーズ、下手にカミーユ。2人とも白いアラビア風の衣裳。壁に2人を覆う天蓋の布が映し出される。
 第11場、2階でロドリッグ、ラミール、イザベルらとやり取り。
 第12場、2階でロドリッグと船長のやり取り。以下次の場でも白いペンで描かれた帆船の設計図のような映像が壁に映され、波に揺れる。
 第13場、2階上手下手双方に会見台が置かれる。上手側はプルエール、下手側はロドリッグ。その上下に士官たち。プルエールは七剣姫を連れてくる。そして船長に引き渡す。プルエールとロドリッグはついに分かり合えないまま別れる。

 4日目、ここだけは拍子木の前に間隔の開いた太鼓の連打。
 第1場、口上の後2階に電車ごっこ風の紐の船に乗った漁師たちが下手から登場。うち1人はなぜか博多弁。一番後ろの少年は、黄色い腕に紐を付けて海に垂らしている。壁には海の波の映像。
 第2場、1階中央にロドリッグ、下手に大仏、上手にマンデス・レアルで朗読。マンデスは出番が来るまで後ろを向いて立っている。壁には赤外線で映したような屏風の映像が3階下手から1枚ずつ浮き出るように映し出されてゆく。
 第3場、3階上手に七剣姫、下手に肉屋の娘で朗読。
 第4場、黒カーテンが8割方閉まった状態。2階に国王、侍従長や女優は1階から国王とやり取り。
 第5場、2階で綱引き、応援団と教授たちは1階と3階に分かれて登場。
 第6場、2階下手にロドリッグ。そこに赤い衣裳の女優が登場。プルエールとのやり取りのパロディ風。
 第7場は省略。
 第8場、2階上手に立つロドリッグ、下手の机に向かって座る七剣姫。
 第9場、3階中央に国王、2階上手に宰相、下手にロドリッグ、大臣たちは1階に八の字型で並ぶ。壁には船の設計図風イラスト。そのイラストが揺れるたびに舞台上の人物たちも揺れ、大臣たちも途中で左右が入れ替わる。国王はロドリッグが大仏に描かせた絵を放り投げながら話す。
 第10場、1階と2階の壁は海、3階の壁は星空。上手に七剣姫、下手に肉屋の娘、いずれも泳いでいる。娘は「ここで肉屋の娘は溺れる」のト書きを読んで舞台から消える。
 第11場、中央に高いマストが立てられ、その手前に両手を縛られたロドリッグ、その下手側に寄り添うように座るレオン神父。兵士2人が七剣姫からの手紙をネタに2人をもてあそぶ。修道女に売られてゆくロドリッグだが、七剣姫が無事愛するドン・ファンの下にたどり着いたことを示す大砲の音で立ち上がる。すると縛られていた両手もほどける。

 剣幸のプルエールが何と言っても美しく、気品に満ち、儚い。この役のために生まれてきたのではないかと思うくらいハマっている。他の登場人物たちは彼女の周りを回る星のように見える。
 石井英明のロドリッグもカッコいい。ただ声が少々お疲れの様子だったのが残念。2日目は回復しているだろう。
 ロドリッグに立ちはだかるペラージュ役の阿部一徳とカミーユ役の吉見一豊が圧倒的な存在感を示す。この2人が役柄を変えながら(阿部はアルマグロとレオン神父、吉見はスペイン国王と兵士)最後までヒーローに絡むことで、悲劇と救済に深みと重みが出てくる。
 水夫から聖人まで様々な役柄で登場した茂山一家(茂山七五三、茂山宗彦、茂山逸平)も絶妙なスパイスとなって盛り上げていた。

 渡邊先生は元々日本と縁の深いこの作品に日本風の仕掛けを随所に織り交ぜる。幕開けと幕引きに定式幕と拍子木を使ったり、風などの自然の表現に能管を多用したり、舞台上の動きにも能や狂言の動作を取り入れたり、雅楽を挿入したり。
 また、不本意であったはずのオラトリオ形式による上演を逆手に取って、そこでの経験を活かした演出、すなわち観客にセリフをより伝えたい場面では譜面台による朗読劇方式を残すことで、舞台に動と静のコントラストを生み出す。そうすることで、3日目第10場や第13場のような普通の芝居の場面における緊迫感が高まる。
 そこに観客を引き込む高谷史郎の映像、控え目に場面の雰囲気を盛り上げ決してセリフの邪魔をしない原摩利彦の音楽が加わり、観る者に長さを感じさせることがなかった。

 渡邊先生はホワイエでは杖を付いておられたが、カーテンコールでは杖なしで登場、元気な姿を見せて下さった。
 今回はある意味様々な幸運も重なって上演が実現したのだが、これを東京の演劇環境の中でやれるだろうか?しかし先生は東京どころか、本場フランスでの上演も目指しておられる。まだまだ意気軒昂でいらっしゃる。ディズニーやハリウッドに代表されるアメリカ文化がますますわが国でも羽振りを聞かせる中、フランスと日本の合作とも言うべきこの作品がより多くの日本人に知られることを願ってやまない。

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