黒田博バリトンリサイタル
○2016年11月26日(土)14:00〜16:05
○浜離宮朝日ホール
○16列11番(16列目中央)
○P=服部容子
○パイジェッロ「もはや私の心には感じない(うつろのこころ)」、グルック「ああ私の優しい熱情が」、カルダーラ「たとえつれなくても」「心の魂」、ガスパリーニ「あなたへの愛を捨てることは」、ボノンチーニ「おまえを賛える栄光のために」、A.スカルラッティ「私は心に感じる」「陽はすでにガンジス河から」
 山田耕筰「赤とんぼ」「待ちぼうけ」、中田喜直「木兎」「悲しくなったときは」、團伊玖磨「ひぐらし」、香月修「ふるさとの」「昼の月」、千原英喜「石見相聞歌」、信長貴富「とむらいのあとは」「歌曲」
+コルンゴルド「死の都」より「わが憧れ、わが悩み」(ピエロの歌)、ロッシーニ「セヴィリヤの理髪師」より「私は街の何でも屋」

やっぱりオペラが似合う

 我が国を代表するバリトン、黒田博がWILPF(婦人国際平和自由連盟)日本支部主催のコンサートに3年ぶりに登場。前回のコンサートを覚えている方も多かったのか、会場前からホワイエには長蛇の列。2階が閉鎖されていたが、ほぼ満席の入り。

 黒田は黒っぽい詰襟の上着姿。
 今回も歌の合間にトークを交えながら進む。ベートーヴェンが変奏曲の主題に使ったパイジェッロの曲をさらりと、しかし骨太の響きで聴かせた後、マイクを持つ。「京都大学芸術学部」ならぬ京都市立芸術大学に入学した経緯、そこで出会ったイタリア古典歌曲のことなどを話しながらも、会場の緊張を何とかほぐそうとしている。
 グルックは今回取り上げた中で唯一のドイツ人作曲家だが、メロディの美しさは他の曲と遜色がない。カルダーラ「たとえつれなくても」は"Sebben crudele"を繰り返しながら緊張を高めていく。その緊張が次の「心の魂」で開放される。
 その後の話は、曲の紹介よりも大学時代の思い出話が中心。ガスパリーニとボノンチーニはいずれも愛の苦しみを歌うが、曲想は対照的。チェスティでまたも重苦しい雰囲気に。どうやら原因は、曲の内容だけでなく「歌の試験を思い出す」からかもしれない?
 前半最後のA.スカルラッティの2曲は圧巻。様式感を保ちながらも、力強さと伸びやかさを備えた声とレガート重視の節回しで、音楽が豊かに流れてゆく。

 後半は日本の歌曲を揃える。襟なしのジャケットの下に首回りを開けた白いシャツ姿。
 余分な飾り気のない「赤とんぼ」、仕草を交えた「待ちぼうけ」。後者では途中の間奏で一時短調になる。
 後半も楽しめそうだ、と思ったら、黒田にとって日本の歌曲は「トラウマ」らしい。大学3年前期の試験で歌った香月修の「石の上」で、これまで順調だった成績が一気に落ちてしまったからだそうだ。しかし、最近は教えている学生たちから様々な日本歌曲の指導依頼が来るため、正面から取り上げることにしたのだそうだ。言い換えれば、教え子たちにお手本を示す、ということであろう。
 中田喜直「木兎(みみずく)」は、ショパンのスケルツォ第2番を思わせるドラマチックな前奏で始まるが、歌は対照的に動きの少ないメロディ。「悲しくなったときは」も静かに始まるが、中盤で大きな感情のうねりがある。團伊玖磨「ひぐらし」も同様のパターンの曲だが、より素朴な雰囲気。
 ここまでが既に亡くなった作曲家の作品(余談だが黒田は3歳の時に山田耕筰死去のニュースをテレビで観たことを今でも覚えているそうだ。三つ子の魂百まで?)。
 後半の後半は現役の作曲家による曲を並べる。香月修は「因縁」の作曲家のようだが、本人も客席にいる前で2曲披露。「ふるさとの」は三木露風の詩で山田耕筰など多くの作曲家が取り上げている。佐藤春夫作詞の「昼の月」ともども、しみじみとした情感のこもった歌いぶり。
 千原英喜は合唱曲の方が有名だろう。黒田は当時の男と女の別れを、現代と比較しながら、ユーモアたっぷりに柿本人麻呂の歌を解説。民謡風の素朴なメロディが印象的。
 最後は「超売れっ子」信長貴富。彼も合唱曲の方が有名だろう。今回取り上げた2曲いずれも合唱版がある。しかし、ソロで聴いても十分聴き応えがある。特に寺山修司作詞の「歌曲」は、人を食ったようなタイトルだが、信長特有の親しみやすいメロディに乗って、元の詩の謎めいた雰囲気がさらに深められる。

 これまでに黒田が開いた数少ないリサイタルの中でも、今回のプログラムはとりわけユニークで意欲的内容。ただ、それが本人には相当なプレッシャーとストレスをもたらしたのだろう、アンコールではオペラ・アリアが2曲。まずは3年前も取り上げたコルンゴルドの「ピエロの歌」。音と言葉に込められる思いの密度が半端ない。歌い出しから鳥肌が立ってしまった。
 続いてのフィガロのアリアで一挙にストレス解消!この爽快感が客席全体に伝わり、この日一番の盛り上がりに。その興奮を冷めさせる暇も与えず、「今日はこれでおしまいっ!」とばかりに、ピアニストの楽譜を持ち去って退場。
 やっぱり、黒田にはオペラが似合う。

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