東京バレエ団「ザ・カブキ」(4回公演の最終回)
○2016年10月16日(日)14:00〜16:30
○新国立劇場中劇場
○1階2列49番(1階2列目(実質1列目)上手端)
○由良之助=柄本弾、顔世御前=奈良春夏、直義=森川茉央、塩冶判官=岸本秀雄、高師直=木村和夫、伴内=岡崎隼也、勘平=松野乃知、おかる=吉川留衣他
○モーリス・ベジャール振付


追悼と和解のバレエ

 東京バレエ団が新国立劇場で初の公演。これは「知っている人」にとっては歴史的出来事なのだが、これについては後述する。ほぼ満席の入り。

 私にとっては、確か初演の翌年の1987年に観て以来である。あの頃はオペラ、バレエを上演する国立の劇場ができたら、バレエのこけら落としはこの作品で決まりだ、などと無邪気なことを考えていた。なぜ「無邪気」なのかについても後述する。

 プロローグ、モニターに映る東京の風景にはスカイツリーなど初演当時にはなかった建物も映っている。終盤にはスカイツリーが完成から建設前まで巻き戻される映像が出てくる。
 第1場、顔世御前が上手手前に桜の枝を持って立つと、現代の由良之助は花を一つ取って顔世の足元に落とす。
 第2場、まず上手から現代のおかると勘平が登場し、後方に登場するおかると勘平が着ている上着を羽織って踊る。
 第3場、刃傷も刀を使わず振りだけで表現。
 第4場、後方に浅野家の家紋の入った衝立が3枚並べられる。上下姿の判官が中央の衝立の後ろに隠れてしばらくすると、衝立が手前に倒れて切腹の場となる。判官は白装束になっている。その後方を上手から下手へ少し花が散った桜の枝を持って顔世がゆっくり通過。判官が腹を切り、現代の由良之助に後を託したところでようやく手前に家臣たちが集まってくる。判官が果てると大きな血しぶきが描かれた幕が下りてくる。
 幕が床に落ちると由良之助と家臣たち。仇討ちを提案する由良之助に対して、応じる者もあれば去る者も。
 第5場、いろは歌の書かれた緞帳が舞台の前後を分ける。その手前で遊ぶ伴内と腰元たち。そこへ顔世が上手からさらに花の少なくなった枝を持って登場する。すると腰元たちも哀悼の姿勢を示す。
 緞帳が上がると由良之助はタンクトップの白装束、左胸に血痕が付いた衣装で登場。家臣たちが奥に横1列に並ぶ。その前に下手から巻紙が転がされ、一同血判を押す。上手奥端に移動した由良之助も押す。
 第6場、下手奥に赤提灯が並ぶ祇園の門。上手奥には木の枝を持つ女たちが森を表現。与市兵衛が家路を急ぐ場面では彼女たちが縦2列に並び、その間が山崎街道という設定。
 勘平が自害する場面では現代の勘平も一緒に死ぬ。由良之助は勘平のそばに寄って血判状を押させてやる。

 第7場、中央手前で扇子をあおぎながらくつろぐ由良之助。下手奥に隣の間、中に机。由良之助が密書を読むときには、その机が手前に運ばれ、その上に立って読む。次第に垂れ下がる紙を机の下に潜んだ伴内が読もうとする。
 上手奥にはおかるの部屋。伴内を殺した後由良之助はそこへ行っておかるを気遣う。
 第8場、赤い鉢巻に赤ふんどし姿の男8人が手前横1列に並ぶ。その奥に枯れ枝を持った顔世が登場。本心を明かさない由良之助に対し、白い仮面を被った判官の切腹の場面を見せる。
 第9場、討ち入りが首尾よく進むと、浪士たちは下手奥から上手手前の対角線上に2列に並び、思い思いの高さで飛び上がり続ける。その奥に判官。下手奥から師直の首を持った由良之助が登場し、前に出てくる。それを囲む浪士たち。そのさらに後ろから判官が入ってきて首を持って上手へ退場。

 舞台を定式幕で前後に分ける場面作り、摺り足とバレエのステップの融合、1枚の着物を片腕ずつ入れて2人で着たり、顔世の羽織る着物の裾を真横に広げるなど黒子もしばしば振付に加わったりといった振付は30年経った今も斬新さを失わない。出演者の中には少し疲れの見える者も見られたが、四十七士が勢揃いする場面は何度観てもぞくぞくする。
 そしてオーケストラが洋楽器で成り立っていることを忘れさせるような、黛敏郎の和音楽の世界にもしびれる。耳が何度も刀で斬られて血しぶきが飛び散る。

 この公演は、東京バレエ団の創設者としてベジャールとのコンビで同団を世界一流のバレエ団に育てるとともに、NBSの代表として海外の主要歌劇場の来日公演を次々と実現する一方、政府が推進するオペラ、バレエ、演劇のための国立劇場、すなわち新国立劇場の建設及び事業に徹底的に反抗し続けた末、今年4月に亡くなった佐々木忠次氏の追悼公演として行われた。特に追加公演となった13日はメモリアル・ガラと位置付けられ、開演前に関係者によるトークショーも行われた。
 私を含め、佐々木氏の生きざまを少しでも知っている人ならば誰しも、東京バレエ団が新国立劇場で公演することなど、全く考えられなかったことだろう。しかし、彼の死と、近年日本のバレエ団が会場不足に陥っている状況も影響したのか、あり得ないと思われた公演が実現した。
 もちろんバレエを純粋に愛する人々にとって、こんなことはどうでもいいことかもしれない。ただ、「一流のバレエ団が一流のバレエ作品を一流の劇場で公演する」という、ごく当たり前で簡単そうなことがなぜ難しいのか、ということについては、この公演を機会に考えてほしいと思う。
 今回の公演をきっかけに、東京バレエ団と新国立劇場の「和解」が進み、我が国のバレエのさらなる発展につながるのかそのためには両者が次にどんな行動を取るべきなのか?約30年ぶりに生で観た懐かしさを押しのけるようにして、そんな問いが私の頭の中を占領する。

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