セバスティアン・ヴァイグレ指揮読響
○2016年8月23日(火)19:00〜20:55
○サントリーホール
○2階C9列13番(2階正面9列目やや下手側)
○R.シュトラウス「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」Op28
 同「4つの最後の歌」(S=エルザ・ファン・デン・ヘーヴァー)
 同「家庭交響曲」Op53(約41分)
 (16-14-12-10-8、「最後の4つの歌」は14-12-10-8-6、下手より1V-2V-Vc-Va、CbはVcの後方)
 (コンマス=日下、第2V=山田、Va=鈴木、Vc=高木、Cb=瀬、Fl=客演、Ob=辻、Cl=藤井、Fg=井上、Hr=松坂、Tp=長谷川、Tb=くわ田(「くわ」は「木」の上に「十」三つ)、Timp=武藤)

指揮者とオケの幸福な出会い

 ワーグナー指揮者としてN響定期や東京・春・音楽祭などでしばしば来日しているセバスティアン・ヴァイグレが読響の定期に初登場。この日を含め3種類のプログラムを振る。オール・リヒャルト・シュトラウスのプログラムは日本では初めてかも。それにしては9割以上の入りでよく入っている。

「ティル」は淡々と始まる。元Hr奏者のせいか、Hrのソロに安定感がある。ティルのいたずらで大混乱に陥る人々の様子にもどこかほのぼのとした雰囲気があるし、処刑の場面も深刻さはやや控えめ。所詮おとぎ話なのだから、あまり真剣に受け止めないでね、といったメッセージが込められた演奏。

「最後の4つの歌」、ヘーヴァーは南アフリカ出身、「ローエングリン」のエルザの他ヴェルディのエリザベッタやデズデモナも歌う。大柄だが力任せに声を出すのではなく、身体全体を響かせながらストレートに発声する。「春」ではやや声が明る過ぎるようにも思ったが、度重なる高音を正確な音程で軽々と響かせる。聴いているこちらまで気分が良くなる。「9月」ではニ長調という調性感ほどは明るくなく、特に後半は夏を惜しむ雰囲気がよく出ている。「眠りにつくとき」では、息の長いフレージングが心地良い。「夕映え」ではさらに抑えた声と歌いぶりになるが、客席の隅々まで届いてくる。シュトラウス最晩年の作だからと言って過度な表現を使わず、スコアに書かれた歌を、自分のベストの美声に乗せてまっすぐ聴衆に伝えようという歌いぶりが清々しい。これでいいのだ。多くの日本人歌手はシュトラウスの歌曲を難しく考え過ぎるのではないか。
 ヴァイグレは歌が入る部分とそれ以外の部分の音量を明確に分け、歌を引き立てる。

「家庭交響曲」はなかなか日本では生で聴けない。テンポはやや速め。冒頭のVcの主題が軽快に始まるが、すぐにObのソロでのんびりした雰囲気に。すぐに続くClの怒りっぽい雰囲気の主題と続くVの情熱的な主題の対比も明確。妻の主題が登場するロ長調の部分を経てヘ長調に戻る"Erstes Zeitmass"に入って3小節目後半の八分音符2つで少しブレーキをかける。
 スケルツォ(第2部)冒頭のObダモーレのフレーズにおけるfpはあまり明確でないが、軽やかに音楽が進む。
 アダージョ(第3部)に入ってもあまりテンポは落ちない。しかし、「主人の仕事のテーマ」はObからFlへ丁寧に受け渡される。
 夜7時の鐘は1小節に四分音符1つ。これに対して朝7時の鐘は1小節に四分音符2つ。この違いをテンポの差ではっきり示す。
 フィナーレ(第4部)に入ってからは緊張感を一段上げつつも、明るい雰囲気を保ったまま進んでゆく。夫婦喧嘩が最高潮に達する場面の緊迫感と、それが収まって"a tempo, ruhig und einfach"から始まる木管の仲直りのテーマにおける落ち着いた雰囲気との対比が見事。あとはフェルマータもあまりかけずに一気に家族団らんへ。
 演奏後も指揮者が腕を下すまで静寂が続く。事前のアナウンスがあったとは言え、聴衆にブラヴォー。
 全曲通じて緊張感を保った中にもこの曲特有ののんびりさ、朗らかさもきちんと織り込まれる。Hr9人を舞台下手後方に1列に並べることで、金管の響きが弦を包み込むような響きになっていたのも面白い。元Hr奏者のこだわりかも。

 ヴァイグレは読響にとって相性のいい指揮者ではないかと思う。読響が元々得意にしているドイツ物を、よりスケールを大きくして聴かせてくれる。今まで客演がなかったのが不思議なくらい。両者の幸福な出会いが今後さらに発展することを期待したい。

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