長島剛子・梅本実リートデュオ・リサイタル
○2015年11月2日(日)19:00〜20:45
○東京文化会館小ホール
○N列42番(14列目上手)
フォルトナー「沈みゆくがよい、美しき太陽よ」、プフィッツナー「許しを求めて」Op29の1、ブリテン「6つのヘルダーリン断章」Op61より「若き日々」「人生の半ば」
 リゲティ「夏」、リーム「人生の半ば」、ウルマン「沈む太陽」「春」「夕べの幻想」
 アイスラー「ヘルダーリン断章集」より「希望に寄せる」「ある街に寄せて(ハイデルベルク)」「思い出(ドイツ人の歌)」
 コマ「ヘルダーリンによる五つの断章」より「なぜに、おお美しい太陽よ(無題)」「葡萄づるの潤いが」「葡萄畑の上に炎が上がるとき(無題)」「妹へ」「騎乗して(無題)」
 ロイター「ヘルダーリンの詩による3つの歌曲」Op67(「沈む太陽」「夜(パンと葡萄酒より)」「人生行路」)
+リーム「人生の半ば」、ウルマン「夕べの幻想」
○S=長島剛子、P=梅本実


詩人の孤独を多彩に表現

 長島剛子・梅本実のお二人は2001年から「世紀末から20世紀へ」と題したリート・リサイタルを続け、私もしばしば聴いてきた。毎回2人でなければできないユニークなプログラムが揃うが、14回目の今回は、ヘルダーリンの詩に世紀末から20世紀の作曲家が創作した歌曲をまとめて取り上げる。と言っても、リヒヤルト・シュトラウスはなく、ドイツ人ばかりでもなく、実に多彩な作曲家が並ぶ。しかも同じ詩に複数の作曲家が書いた作品も取り上げており、選曲段階から念を入れて準備してきたことがわかる。文化庁芸術祭参加公演。7割程度の入り。

 前半の長島さんは紺を基調にした落ち着いた衣裳。
 フォルトナーは歌劇「血の婚礼」で知られる20世紀の作曲家。いきなりAの高音から釣瓶落としのような下降音型で始まる。前衛的な雰囲気は濃くないが、メロディと和音は複雑。しかし、ヘルダーリンにとって永遠の恋人であるディオティーマ(ズゼッテ)を歌う場面では明るく輝きある響きに。
 プフィッツナーの作品は、逆に恋人に許しを求める歌で、終始沈んだ暗い響きに支配される。
 イギリスの作曲家ブリテンがドイツ語の歌曲を残しているとは面白い。「若き日々」はブリテン特有の乾いた響きの中にも生気があふれている。「人生の半ば」では前半で左手の5度の進行が繰り返され、後半は右手の3度の和音が音階を上下する。

 リゲティは2006年まで生きた。下降音階がしつこく繰り返される。
 リームはまだ現役。ブリテンとは全く異なりこの日のプログラムの中では最も前衛的な響きで、音があちこちに飛ぶ。歌う方も高いHから出さねばならない場面があり、後半は語りも混ざる。最後はピアノが最低音を強打。
 ウルマンはユダヤ系で、強制収容所でも作曲を続けた末アウシュヴィッツで命を落とす。「沈む太陽」はAの高音から降りてくるメロディが特徴的。「春」は末期ロマン派風の「退廃的」な響きが主導し、明るい雰囲気は少ない。「夕べの幻想」はヘ長調の穏やかな曲想で始まるが、"Wohin denn ich?"(でも、私はどこに?)以降嵐の前触れのような響きに転じ、感情が爆発する。その後ホ長調を経て最初のメロディに戻る。後奏はピアノが様々な調をさまよった末にヘ長調で収束する。

 後半の長島さんは、一転してオレンジを基調にした華やかな衣装。
 アイスラーはナチスに追われてアメリカに亡命し、一時映画音楽なども書くがレッド・パージに遭って東ドイツへ帰国。「希望に寄せる」は無伴奏の歌から始まり、ピアノが後から追いかける。歌い終わった後のピアノが長めの後奏。題名に反して響きは終始暗い。「ある街に寄せて」は長めの前奏に続き、ニ長調の無限旋律風のフレーズの上にワルツ風の平易なメロディ。途中で響きが乱れるが、また元に戻る。「思い出」も歌から始まる。
 コマは2012年まで生きた20世紀の作曲家。「なぜに、おお美しい太陽よ」はピアノが両手でそれぞれ単線のアルペジオ風フレーズを繰り返す。「葡萄づるの潤いが」「葡萄畑の上に炎が上がるとき」は少し複雑な和音が登場するが、掴みどころのない響き。「妹へ」は1フレーズずつ訥々と語るような歌い方が印象的。「騎乗して」はより複雑な和音が登場し、詩の内容に反して少し重苦しい響き。
 ロイターは1985年まで生きた20世紀の作曲家。ただ、いずれの曲も調性がはっきり残っている。「沈む太陽」はウルマンの作品に比べてはるかに平易なメロディだが、ピアノ伴奏では古典的なメロディ進行に異質な音を時折混ぜている。「夜」は落ち着いた雰囲気。「人生行路」は最初は静かでだんだん盛り上がり、最後は明るく力強い響きで締めくくられる。

 これだけ普通のリート・ファンにはマイナーだが密度の濃い曲ばかり用意するとなれば、さすがにアンコール曲を用意する余裕がなかったのだろう。長島さんのお話付きでリームとウルマン「夕べの幻想」をアンコールに。2回目を聴くと2曲ともよりわかりやすく、曲に込められた思いがより強く伝わってくる。

 長島さんの引き締まった声と安定した節回しは今回多く取り上げた20世紀の作曲家の作品によく合っている。その一方でウルマンについては、柔らかな弱音と滑らかなレガートも織り交ぜ、作曲家への強い思いが歌からにじみ出てくる。
 そして、いつもながら梅本さんのピアノが見事。個性豊かな各作品の特徴を的確に表現しながら、長島さんに対して出しゃばらず引き過ぎず、絶妙のバランス。ただ、今回はピアノ・パートにも魅力的な曲が多く、歌のパートよりピアノの方に耳を傾けかける場面が随所にあった。
 2人のアンサンブルはリサイタルを重ねるごとに充実度を増している。ヘルダーリンの孤独が作曲家の個性を反映して、多彩に表現される。日本国内はもちろんのこと、ヨーロッパでもここまでのプログラムを組めるリート歌手はそうはいないだろう。これからもますます高みを目指して挑戦を続けてほしい。

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