新国立劇場「パッション」(21回公演の初日)
○2015年10月16日(金)19:00〜21:40
○新国立劇場中劇場
○2階1列62番(2階1列目上手)
○ジョルジョ=井上芳雄、フォスカ=シルビア・グラブ、クララ=和音美桜、リッチ大佐=福井貴一、タンブーリ軍医=佐山陽規、ルドヴィク/リッツォーリ少佐=原慎一郎、トラッソ中尉=伊藤達人、バッリ中尉=KENTARO、ロンバルディ軍曹=藤浦功一他
○翻訳:浦山千鶴、訳詞:竜真知子
音楽監督:島健、小林恵子指揮
○宮田慶子演出


堰き止められた愛の奔流

 演劇部門の宮田芸術監督2シーズン目、中劇場のオープニングを飾るのは、昨シーズンの「三文オペラ」に続き、音楽劇(ミュージカル)となった。しかも、「太平洋序曲」「イン・トゥ・ザ・ウッズ」に続くソンドハイム作品、さらに日本初演となる「パッション」を取り上げる。このチャレンジ精神だけでも大いに評価できるし、宮本亜門以外の演出家がソンドハイムを手掛けるという点でも、大げさに言えば日本の演劇史上特筆すべき公演と位置付けられる。
 もっとも、そんなマニアックな視点で足を運んでくるのは私くらいのもので、客席はミュージカル・ファンと思しき若い聴衆で満席。前売り段階から注目度が高く、追加公演も行われる人気ぶり。

 残念ながら遅刻してしまい、"Happiness"後半から観る。舞台は3段の階段(上手側3分の1くらいは場面によって移動)で前後に仕切られ、後方中央にベッド、愛し合うジョルジョとクララ。
 5枚の縦長のスクリーンが左右または上下に移動することで場面転換。
 第2場、ダイニングルームの場面、下手手前に長テーブル。下手側お誕生日席に軍医、奥の下手側からトラッソ、リッツォーリ、リッチ、バッリ、フォスカ席、そして上手側お誕生日席にジョルジョ。フォスカの叫び声は最初からかなり激しく、97年ロンドン・カンパニーによるCDでフォスカを演じるマリア・フリードマンに似たスタイル。ジョルジョに対するトラッソやバッリなど同僚たちの口調はかなりきつい。もちろん原文のセリフも友好的な内容ではないが、セリフ回しでさらに強調している。
 "Fourth Letter"、ジョルジョが1人で朝食を取りながらクララからの手紙を読む場面、テーブル後方のスクリーンの奥に下手端に伸びる階段。手すりを握るフォスカの白い手だけがゆっくり降りてくるのがスクリーン越しに見える。フォスカは黒っぽいワンピース。声を掛けられ、思わず立ち上がってテーブルの反対側へ逃げるジョルジョ。庭園への散歩を勧められてジョルジョが了承すると、フォスカはー旦スクリーンの奥へ退場。戸惑って立ち尽くすジョルジョ。しばらく経ってからフォスカが花を持ってゆっくり再登場。この場のフォスカは小刻みに手や身体を震わせている。
 第3場、庭園の場面、上手に花で飾られた手すり。リッチにフォスカの面倒を見るよう言われたジョルジョは最初右手を差し出すが、しばらくして左手の肘を貸す。階段をゆっくり降りて手前へ。
 第4場、ダイニングルーム、「三日間(Three days)」と歌いながらゆっくり階段を降りてくるフォスカを挟んで上手奥中央にジョルジョ、下手の花道にクララ。ジョルジョはフォスカの手紙を見つけると急いで左のポケットに入れる。上手側のお誕生日席なので、客席からはその様子がよく見える。逆にフォスカがジョルジョの右手を掴んでテーブル下へ持っていくあたりは少し見にくいかも。
 第5場、ジョルジョは上手端で兵士たちに挨拶して行こうとするところをフォスカに止められる。2人が別れた後、フォスカは下手端のソファに、ジョルジョとクララは上手端のベッドで三重唱。
 第6場、ソファに座るフォスカの元へジョルジョが近付く。メイドが彼に椅子を差し出し、コートと荷物を預かって退場。フォスカに出て行くよう言われてジョルジョは上手へ退場。中央奥からクララ、その後方に兵士たち。上手端で軍医とジョルジョのやり取り。
 第7場、中央奥にフォスカのベッド。ブロードウェイ初演の舞台と反対に、ジョルジョは下手から登場し、フォスカの左側に座る。クララは上手端に登場。下手端に手紙を書くテーブル。キスを求めるフォスカを振り払ってジョルジョが上手へ退場すると、フォスカはひと際大きな叫び声。暗転。

 何とここで休憩!

 第2幕、舞台前方に並ぶ兵士たちの短い合唱から再開。しかし、これは少なくとも台本上は第7場の終わりに歌われるもの。
 続いて第8場、奥にビリヤード台があり、士官たちのやり取りへ。ジョルジョは下手手前端に現れ、軍医とやり取り、ビリヤードの誘いを断り、一旦退場。さらに士官たちのやり取り。"I'll say!"は「もちろん!」と訳している。
 下手花道にリッチ、続いてジョルジョ登場。2人はこの位置からFlashback、つまり回想シーンを見る。フォスカは上手手前の机に座っている。中央奥にスクリーンが立てられ、フォスカの父母や、ルドヴィク、愛人は自分のパートを歌い終わるとスクリーン手前で待機。
 第9場、階段に座ってクララからの手紙を読むジョルジョ。下手後方からフォスカ登場。"Is This What You Call Love?"の途中で舞台後方にクララが現れ、しばらくして退場。雷が落ちて倒れるフォスカ。ジョルジョは上手から退場しようとするが、フォスカのところへ戻り、抱き上げて下手へ退場。ブロードウェイの初演ではジョルジョはコートを着ていたが、ここでは着ていない。
 第10場、下手花道で士官たちのやり取り。続いて舞台奥中央にジョルジョの寝るベッド、兵士やメイドが周りを囲んでいるが、フォスカは登場しない。
 第11場、下手手前に向かい合った列車の席。上手側に座るジョルジョ。奥にスクリーンが立っていて、そこを通ってフォスカ登場。これに対してジョルジョ「何なんだよ」ここからしばらくフォスカのセリフを含め、客席から笑いが起きる。少なくとも私がワシントンで見た舞台では笑いは出なかったし、ジョルジョのオリジナルのセリフは"How could you? How dare you follow me?!"なので、本来なら怒りに震えた言いぶりになるはずである。もちろん"Loving You"を歌う前には笑いも収まっているのだが。
 上手手前で、戻ってきたジョルジョと軍医のやり取り。下手花道で士官たちが葉巻をくわえながら"Forty days!"を歌う。
 第12場、クララとジョルジョは中央から上手奥に置かれたベンチへ移動してやり取り。2人は上手へ退場。
 第13場、トラッソは下手花道でイタリア語のまま歌う。下手に長テーブル。ジョルジョのミラノ召還を知ったフォスカは彼にすがりつく。リッチに離されると奥の階段を昇ってゆく。リッチも続く。"Farewell Letter"は、ジョルジョが舞台手前、クララが後方で歌う。
 階段を降りてきたリッチがジョルジョを問い詰める。ジョルジョは"No One Has Ever Loved Me"の先取りを歌う。ここまではロンドン・カンパニーのCDと同じだが、その後の軍医とのやり取りの後ももう一度歌い、さらに劇的なフィナーレが付く。全体は次の第14場で歌うのだが、これでは二番煎じどころか三番煎じではないか。
 第15場、リッチや士官たちは上手から登場。かなり遅れてジョルジョが下手からためらいがちに登場。軍医に促されてようやく銃を取りに中央まで来る。2人は一歩ずつ離れるが、2人を結ぶ線はプロセニウムの線に比べて45度くらいジョルジョは奥へ、リッチは手前に傾いている。リッチが倒れるとジョルジョはうめくような低い声で叫ぶ。
 第16場、机に右肘をついて座るジョルジョ。軍医の手紙は声のみ聞こえる。看護婦が運んできた箱の中から手紙を出し、3つ目にフォスカからの最後の手紙を見つける。他の登場人物たちが彼を遠巻きに囲み、顔色がよくなったフォスカが下手から近付いてくる。ずっと暗かったホリゾントがしだいに開いて明るくなってくる。

 オーケストラはファゴット専用の奏者を置いたので、オリジナルの楽器指定より1名多い16名。しかし、名手揃いで特に木管の聴かせどころは情感豊かに歌っていた。しかも全体的に出しゃばり過ぎず、控え過ぎず、歌やセリフとの間で絶妙のバランスを保っていた。指揮者の功績も大きい。
 井上はジョルジョにぴったり。若々しく澄んだ声が魅力だが、もちろん表情も豊か。グラブは叫び声以外のセリフ回しや歌いぶりは私も生で観たジュディ・クーンに近い。つまり必要以上にセリフで低い声を使わず、時にチャーミングな表情も見せる。しかし、歌ではしっかり低音も聴かせる。和音のクララは容姿、声共に美しいが、子どもを持つ人妻としては少し若過ぎるかも。福井、佐山の手堅い演技、士官たちのアンサンブルも見事。
 カーテンコールではエンドタイトル用の音楽が終わり、幕が下りてもしばらく拍手が鳴りやまず、ようやく再び幕が開くとスタンディング・オベーションに。祝福された初日公演と言うべきだろう。

 その上で大きな問題点が2つ。1つ目。本来休憩なしの1幕物を2幕に分けたのは、出演者側の事情だろうが、やはり納得できない。同じく切れ目なしに演奏されるのが普通のワーグナー「さまよえるオランダ人」が、舞台演出の都合で3幕仕立てにされることが稀にある。ミュージカルにも「ラマンチャの男」のように「パッション」と同じくらいの時間で休憩なしで上演されるものもあるが、これも日本ではオリジナル通りに上演されているはずだ。
 帰る途中「これって(フォスカの)洗脳じゃないの?」という感想が聞こえてきた。確かにそういう見方もできるかもしれないが、「愛とは何か?」という人生のテーマに対して、観客にそのような雑念を抱かせる隙を与えないよう、愛の奔流のような音楽で一気に答えを出そうとしたのがこの作品の本質ではないのか?

 もう1つ、これを問題点と言うのは酷だが、日本語での上演ということである。セリフについては非常にこなれた訳でわかりやすかったが、訳詞については歌を聴きながら並々ならぬ苦労が随所に垣間見えて、だんだんこちらまで苦しくなってきた。例えば最後のフレーズ、"Your love will live in me."は2つ分使って「僕の中で」「生き続ける」と歌わせていた。もちろん意味は伝わるが、「僕の中で」はジョルジョにしか歌わせることができないし、本来なら同じ歌詞でフォスカとジョルジョの歌う意味は違ってくると思うのだが、そこまでのニュアンスを限られた音符の中で日本語で表現するのは至難である。歌詞によってはオリジナルのリズムを変更する(4分音符を8分音符2つに分けるなど)必要もあるが、そうすると同じテーマをいろんな場面で使っていることが伝わりにくくなる。訳詞者のご苦労は察するに余りある。
 そろそろ日本におけるミュージカル上演も原語上演、字幕付きという方向に踏み出すべきではなかろうか。日本のミュージカル歌手が海外でも活躍したいと願うなら、なおさら必要である。

 しかし、これらの問題点は、最初に書いたこの公演の歴史的価値をいささかも損なうものではない。より重要で、かつ優先されるべきことはソンドハイムの作品をもっと日本で、様々な俳優、演出家によって上演することである。この公演もまた観に行くつもりだし、これを契機にソンドハイムの上演機会が今後さらに増えることを切に望む。

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