ヨン・グァンチョル(B)+セバスティアン・ヴァイグレ指揮N響(2回公演の初日)
○2015年4月11日(土)18:00〜20:05
○NHKホール
○3階C5列41番(3階中央5列目中央よりやや上手)
○ベートーヴェン「交響曲第6番ヘ長調」Op68(田園)(約44分、第1,3楽章繰り返し実施)
 ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲、「それはほんとうか」、イゾルデの愛の死
 同「ニュルンベルグのマイスタージンガー」より「親方たちの入場」、「あすはヨハネ祭」、第1幕への前奏曲
 (16-14-12-10-8、下手より1V-2V-Vc-Va、CbはVcの後方)
 (コンマス=篠崎、第2V=白井、Va=佐々木、Vc=藤森、Cb=吉田、Fl=甲斐、Ob=茂木、Cl=松本、Fg=宇賀神、Hr=今井、Tp=関山、Tb=栗田、Timp=植松)


優美な「田園」

 フランクフルト歌劇場の音楽総監督で、これまでもN響に何度か客演していたヴァイグレが2年ぶりに来日。おととしの東京・春・音楽祭での「マイスタージンガー」を聴き逃したので、今回は何としても行かねばならない。7割程度の入り。

 いきなり「田園」から始めるとは、なかなか大胆なプログラム。
 第1楽章、少し早めのテンポで、レガート重視で進める。1回目の提示部ではまだ楽器が鳴り切らず、少し響きが薄い感じ。展開部に入って150小節以降、弦の刻むフレーズより1Vと2Vが交互に弾く長い音符の方を強調。と言っても極端でなく、少し前へ出させるような感じ。再現部に入って全奏になる312あたりから響きが豊かになってくる。終盤の440と444のVとVaのD−Hの音型をテコに盛り上げてゆく。しかし、448以降は弦と木管を対等のバランスで響かせる。最後の音はほとんどフェルマータをかけない。
 第2楽章、少し遅め。6の1Vなどに随所に登場するメゾ・スタッカート(・・・の上にスラー)を忠実に表現。後半で一瞬ロ短調に転調する手前の78でfから急激にpppくらいまでディミニエンドをかけ、84で再び一気にfまでクレッシェンドをかける。小さな黒雲に覆われて暗くなった森にまた日が差してくるような雰囲気。129以降の鳥たちの鳴き声、Flのナイチンゲールが1回目はインテンポだが、2回目はよりゆっくり始めてだんだん速く少しけたたましく鳴く。
 第3楽章は少し速め。55〜58や76〜86などに頻繁に出てくる1拍目のsfに少し重みをかける。165以降の全奏でも弦よりむしろ管のアンサンブルを浮き立たせる。
 第4楽章、21以降のティンパニの切れ味がいいが、全体のアンサンブルは崩さない。95以降の1V→低弦にリレーされる半音階の動きも効果的。
 第5楽章も少し速め。9以降の1V→2V→Va&Vcへと受け継がれる主旋律、スコアでは小さなスラーがつながっているが、そんなことお構いなしで1本の線としてつなげる。嵐の後徐々に日差しが戻ってくるのをじっと見守るような、静謐な雰囲気。ここでも弦と管のバランスの良さが際立つ。その一方で喜びがあふれ出さんばかりに高揚する終盤では、227のVaのEからEsへの音の動きなどもしっかり聴かせる。最後の音は楽譜通りの長さで切って終わる。
 一言で言えば優美な「田園」。隅々まで手入れされたイングリッシュ・ガーデンが思い浮かぶ。

 後半はワーグナー。ヨン・グァンチョルは今やバイロイト音楽祭に欠かせないバス歌手。その中で最も不幸な役のマルケ王と幸福な役のポーグナーを見事に歌い分ける。「それはほんとうか」では苦味すら感じさせる声で、「あすはヨハネ祭」では一転して朗らかで穏やかな声で。
 彼の歌いぶりの切り替えをスムーズにさせたのが、その前後に挟まれた管弦楽曲。「トリスタン」は「前奏曲と愛の死」がセットで演奏されることが非常に多いが、その間にマルケ王の歌を挟み、しかも3曲が切れ目なく演奏されることで、聴く方もより深く物語に引き込まれる。特にマルケ王の歌の最後に出てくる冒頭のテーマから「愛の死」へつなげるあたり、ワーグナーを知り尽くしている指揮者でなければなかなかできる芸当ではない。
 「マイスタージンガー」では、演奏会でまず演奏されない「親方たちの入場」から始めるのも心憎い。会議にやってきた親方たちの出欠を取る場面だが、ワーグナー自身の編曲があるそうだ。冒頭のVcの「ターーラララー」の音型がやや不明瞭だったが、だんだん自然と親方たちの軽妙なやり取りが思い浮かんできて、雰囲気ががらりと明るくなる。その後に「あすはヨハネ祭」をやるのだから、さぞ歌いやすいだろう。
 そして、アンコールのように第1幕への前奏曲。バイロイトで5年振り続けてきただけあって自信に満ちた指揮ぶり。通常ffのまま突き進む前半の終わりに近い76で急にpに落としてハープを強調するなど、独自の解釈も聴かせる。

 N響は全体的にいつもより弦の響きが優しい一方、管楽器は終始引き締まった響きを保っていた。さすが元Hr奏者、特に金管への睨み?が効いていたのかも。

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