東京都交響楽団 大野和士音楽監督就任記念公演2
○2015年4月8日(水)19:00〜20:30
○東京文化会館
○4階L2列26番(4階下手サイド2列目中央よりやや奥)
○マーラー「交響曲第7番ホ短調」(約75分)

整然とした狂気

 長らく海外の歌劇場で目覚ましい活躍をしていた大野和士が、久々に日本のオーケストラと腰を据えて演奏活動をすることになった。この4月に都響の音楽監督に就任、これを記念する2回の公演にはベートーヴェン、マーラー、シュニトケという、彼が最も大事にする作曲家を取り上げた。この日はマーラーの日。しかも、普通なら「巨人」「復活」あるいは5番あたりをやるだろうに、選りによって最も人気薄と言うか、マイナーな7番を取り上げるとは、いかにも大野らしい。裏返して言えば、彼が最も自信を持って演奏できる曲ということだろう。ほぼ満席の入り。

 第1楽章、冒頭の弦の和音を引きずるようなレガートで始める。テンポ自体は遅くないが、このフレージングでためらいがちな雰囲気に。ホ短調に転調する50小節以降は少し速めに。Hrなどで提示される主題も、それを支える弦などの付点のリズムも、律儀なまでにきっちり奏でられる。序奏のTbが最初に提示する「ターンタターン」のフレーズが以降随所に挿入されるが、これらも付点の躍動感を保ちながらも丁寧さを失わない。118以降のVも雄弁に歌うが酔うことはない。行進曲風の部分も統制が取れているが、興奮はない。しかし、全般を通じて伝わってくるのは、「この音楽を未整理とか混沌とか言わせない」との気迫である。
 第2楽章、少し速め。9以降の木管のアンサンブル、バルコニーから夜空を眺めていると、鳥たちがさえずりながら降りてくる。30以降の行進曲は幽霊たちが大人しく列を崩さず歩んでいる感じで、下手にテンポやフレージングをいじられるより気味が悪い。
 第3楽章も少し速め、暗い森に鬼火が浮かんでは消える。ただその明滅にはLED電球のようなキレがある。だんだんそれらが増えて一つにまとまり、森の中をかけめぐるような雰囲気。179以降のトリオでは、夢の中の甘い思い出が徐々に膨らんでいき、最後は分厚い響きで抑えきれない憧れが頂点に。
 第4楽章、ギターとマンドリンは正面やや上手のVc奏者と木管の間に並ぶ。弦の各パートがたっぷり響かせるのに対して、V、Vaのソロ、ギター、マンドリンは素朴に歌う。そのコントラストが何とも心地よい。冒頭のフレーズに戻る直前の256以降の響きがブルックナーみたい。
 第5楽章も少し速め。冒頭のティンパニのフレーズがやや不明瞭。元気のいい行進が始まるが、ハチャメチャな感じではない。51の最初の爆発をすぐに切って木管の和音をかなり長く伸ばす。90以降のVのフレーズでfとp、ppが目まぐるしく入れ替わる部分も切れ味がいい。その後もロンド主部と中間部が互いに入り乱れながら頻繁に交代する音楽を、ありのままに奏でてゆく。しかし、455以降の第1楽章のテーマの復活はしっかり強調。最後、589の和音もかなり長く伸ばし、十分じらして?から締める。

 都響の歴史の中でマーラーの演奏を引っ張ってきた2人の巨匠がいる。ベルティーニとインバルである。しかし、2人のスタイルは正反対である。厚い響きと粘着質のフレージングを貫くベルティーニに対し、曲の構造を冷徹に分析して鮮明に聴かせるインバル。
 大野のマーラーは一言で言えば両者の特質を兼ね備えていながら、全く矛盾を感じさせない。小手先のハーモニーやフレージングをいじるのでなく、楽譜に書かれた音符を忠実に音として響かせることで、楽譜の裏に込められた作曲家の狂気が露わになってくる。
 暴れ回り、わめき散らす狂気よりも、誰もがおかしいと感じることを平然と冷静にやってのける方が、周囲に与える衝撃は大きい。うがち過ぎかもしれないが、最近各地で拡大している宗教や民族に関する過激な活動の数々が頭をよぎった。

 都響の各団員は大野の指揮に応えんと気合の入った響きを聴かせていた。これが今後どう発展するのか、期待を持って見守りたい。

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