新国立劇場「パルジファル」(5回公演の最終日)
○2014年10月14日(火)16:00〜22:00
○新国立劇場オペラパレス
○4階R6列4番(4階上手サイド6列目ホワイエ側)
○パルジファル=クリスティアン・フランツ、アンフォルタス=エギルス・シリンス、グルネマンツ=ジョン・トムリンソン、クンドリ=エヴェリン・ヘルリツィウス、クリングゾル=ロバート・ボーク、ティトゥレル=長谷川顯他
○飯守泰次郎指揮東フィル
(16-14-12-10-8)、新国合唱団(35-60)、二期会合唱団(男声のみ6)
○ハリー・クプファー演出


仏に帰依した聖杯騎士団

 新国立劇場では、今シーズンから飯守泰次郎新オペラ芸術監督による公演が始まる。若杉弘、尾高忠明を経て3代続けて指揮者が芸術監督になるわけだが、オペラの指揮経験が豊富で現役バリバリの指揮者、という条件を付すならば、待ちに待った監督の登場と言える。その飯守監督が早速シーズン最初の演目に今最も得意とする「パルジファル」を取り上げる。ワーグナーの主要作品の中で新国で唯一上演されていない演目という点でもちろん大きな意義があるが、それ以上に重要なことは、開場以来初めて、芸術監督が自身の指揮で新しいシーズンの幕を開けたということである。海外の歌劇場では当たり前のことが、ようやく新国でも実現したのである。ほぼ満席の入り。皇太子殿下御臨席。

 前奏曲が始まると、舞台奥から白い光の線がジグザグを描きながら手前に伸びてくる。ベルリン国立歌劇場のクプファー演出ではモンサルヴァート城が宇宙船のような構造になっていたが、今回は平行四辺形の発光するパネルをつなげた曲り道が基本的な舞台となる。曲り道の両側は一段低くなって暗闇。奥にスクリーン、雪山らしきシーンが流れる。曲り道では奥から白い雲のような流れが映し出される。
 その道の後方になぜか3人の僧侶が立っている。中央では傷付いたアムフォルタスを後ろから抱きかかえるグルネマンツ。その手前に腹這いに倒れたクンドリーと透明の聖なる槍を持ったクリングゾルが並んでいる。劇が始まる前の戦いの様子を見せている。
 アムフォルタスたちがいるすぐ奥のパネルが下がり、騎士たちを乗せてせり上がってくる。手前より一段高いところまでパネルは上がり、グルネマンツが一足先に上がって王を手招きするが、戻れない。
 僧侶の1人が子供に水を持たせてアムフォルタスに飲ませる。クンドリーとクリングゾルを乗せたパネルは下がる。他の人たちを乗せたパネルも下がり、再び上がってくると引っかかれたような傷だらけの石の壁の中央に細い道が引かれているような感じのモノクロの映像となる。

 第1幕、上手から現れたグルネマンツが小姓たちを起こすと、パネルの下手側下から現れる。朝の祈りを捧げるが、小姓たちはまだ祈り方にも慣れていない様子。騎士や小姓たちはみな白のダブルのコート姿。
 下手からクンドリーが茶色の衣裳で登場。
 上手から金属の棒と板でできた、いかにもクプファーの舞台に出てきそうな感じの玉座に乗ってアムフォルタス登場。玉座は騎士4人で運ぶ。奥に再び3人の僧侶が現れる。
 アムフォルタスはグルネマンツから、クンドリーが持ってきた薬の瓶を受け取るが、彼女の悪態を聴くとグルネマンツに瓶を返し、自力で立って下手へ退場。グルネマンツも一旦下手へ去るが、残った騎士たちがクンドリーに食って掛かると、戻ってきて2人をたしなめる。
 パルジファル登場のシーンでは、まず上手から騎士の1人が矢の刺さった白鳥を持ってきて、矢を抜く。続いてパルジファルが連れて来られる。ねずみ色の作務衣風の衣裳、さらに矢を射ようとするのをグルネマンツが止める。
 何を聞いても知らないというパルジファルにグルネマンツはあきれるが、騎士たちを王の下へ行かせる。騎士たちは「何も罰を与えないのか」とばかりに不満の表情を見せる。王たちが戻ってくるシーンはない。
 グルネマンツとパルジファルのやり取りをクンドリーは少し奥から眺めている。母の死を知らされると、怒ったパルジファルは彼女に飛び掛かるがグルネマンツに引き離される。クンドリーは懐から水筒を出してパルジファルに飲ませる。眠りの呪いがかかると、クンドリーは奥へさ迷っていき、途中で倒れるように退場。
 パルジファルとグルネマンツは手前中央に立ち、場面転換の音楽でグルネマンツの歌の部分が終わると膝を立てて向かい合い、額を付け合う。

 場面転換の間、中央の2枚のパネルが下がり、両側に騎士たちを乗せて上がってくる。教会の天井と柱のつなぎ目のような画像の入った紗幕が舞台最前と後方に下される。
 上手から巨大な槍が手前を軸に時計と反対周りに移動。その上に仰向けに横たわるアムフォルタス、槍の表面は赤く光っている。下手奥からテニスの審判席のような台にティトゥレルを乗せて登場。子供が聖杯を持ってきて槍の先に置く。このあたりはベルリンの演出と基本的に同じ。
 舞台手前に立つパルジファル。苦悩を歌いながら徐々に前に出てくるアムフォルタス。しかし、お告げの合唱が響くと、グルネマンツが王を羽交い絞めにして槍の上に戻す。
 聖餐式の場面、槍が少し上に上がり、アムフォルタスが聖杯の覆いを取って下に落とす。両手で持ち上げた後、片手で左右にゆっくり突き出し、舞台両脇に分かれて立っている騎士たちに万遍なく光が注がれるようにする。両手を挙げてのけぞるように崇める騎士たち。
 子供たちが聖杯に似た形の杯を持って騎士たちの間を回る。騎士たちは首を垂れるが、パルジファルは拒否。グルネマンツはパルジファルの反応の一部始終を見ている。
 聖餐式が終わると槍はアムフォルタスを乗せたまま上手へ消え、ティトゥレルも下手へ退場。騎士たちが両脇の乗った2枚のパネルが下がり、奥へ歩き出したグルネマンツと手前に立ったままのパルジファルとの間に溝ができる。グルネマンツは戻ってきてパルジファルに尋ねるが、返答がないので去るように告げる。
 パルジファルが上手へ出て行った後を這って追うクンドリー。舞台中央まで来たところで、アルトソロが響く。クンドリーの心中を歌っているように見える。

 第2幕、前奏とともに幕が開くと、槍が手前へゆっくり回ってくる。曲り道には火山のマグマが流れている。手前のパネルに腹這いになっているクリングゾルは、槍に向かって這うように進む。黒のコート姿。
 クリングゾルは槍の奥からクンドリーを引きずり出す。クンドリーは赤の衣裳、クリングゾルとのやり取りの中で1枚剥がれる。クリングゾルはクンドリーの股間に聖槍を突き立てて脅す一方、自分が聖杯守護者となるのを夢見る場面では聖槍を抱いた姿で倒れる。
 パルジファルが近付いてくるのに気付くと、クリングゾルは奥に立って眺める。クンドリーは槍に乗り、さらに1枚脱いで下着姿に。
 花園の場面ではパネルの模様もカラフルに。後方からパルジファルが上がって手前に進んでくる。それを追うように奥から花の乙女が3人、下手手前に別の3人。いずれもダンサーで、歌は舞台裏から。
 乙女たちは、パネルの上にいるパルジファルに向かって両側から鏡を見せたりしてもてあそぶが、なかなか近付こうとしない。アルベリヒに悪戯するラインの乙女たちに似ている。
 中央のパネルが少し高くなると、その上にパルジファルは移り、ようやくそこで乙女たちに囲まれる。しかし、それも長続きせず、乙女たちは手前のパネルに移り、クンドリーに呼ばれる前に下へ下がる。
 クンドリーは槍に乗って奥から回ってくる。緑の肩出しドレス。パルジファルに母の話を聞かせた後、槍の上に寝かせ上から抱いてキス。彼女を抱いていたパルジファルは覚醒すると奥へ追いやる。正面中央に立つパルジファルの足元にすがるクンドリー。
 終盤、花園から去ろうと下手へ移動するパルジファル。奥からクリングゾルが聖槍を投げると、下からつかみ取る。振ると曲り道に稲妻が走り、1幕と同じ映像に戻る。クンドリーの乗った槍の光も消え、手前へ回ってくるところで幕。

 第3幕、やはり前奏とともに幕が開くと、手前のパネルに倒れているパルジファル。立ち上がってよろめきながら奥へ進むと、シャツ姿で後ろを向いて座る男。パルジファルに水を飲ませる。パルジファルはお礼に来ていた黒のコートを男にかけてやる。その先に進むと僧侶が3人立っている。うち1人がパルジファルに袈裟をかけてやる。一同下へ降りる。
 グルネマンツは黒コート姿。騎士としてはリタイアしたという意味だろう。下手柱の裏にクンドリーが隠れている。グルネマンツが引っ張り出し、手や身体を温めてやる。クンドリーは白灰色の衣裳。
 聖槍に袈裟を被せ、それで身を隠した姿で下手奥からパルジファル登場。作務衣風の衣裳は変わらない。下手手前で槍を床に置き、袈裟を外す。
 その後のグルネマンツとパルジファルとのやり取りの間、聖槍を2人の間で受け渡ししているのが視覚的には気になる。普通は地面に立てておくのだが。
 パルジファルの靴はグルネマンツが脱がせる。クンドリーが足を洗って頭巾を外して拭き、香油を塗って髪の毛で拭き取る。
 「聖金曜日の音楽」の間、曲り道のあちこちに緑の塊が現れる。

 場面転換の間、パルジファル、グルネマンツ、クンドリーの3人は舞台手前で膝を立てて額を付け合う。
 中央2枚のパネルが上がり、その下に立つ騎士たち。怪我を負ったり衣裳が乱れたりしている。上手奥からティトゥレルの棺を運んでくる。アムフォルタスを乗せた槍が中央へ移動してくる。再び紗幕が下りてくる。
 棺を開けるシーンはなし。アムフォルタスは歌いながら棺に近付いてくる。歌い終わると、騎士たちが王を槍の上に戻し、務めを果たすよう迫る。詰め寄る騎士たちに対し、王は自分の傷を触らせるなどして抵抗、ついに聖杯の覆いを取り、下手へ向かって投げ付けようとしたところにパルジファルたち登場。聖槍を持ったパルジファルがアムフォルタスを抱きかかえる。槍先を傷口に当てる仕草が不明瞭だが、傷の癒えたアムフォルタスは手前によろめきながら数歩歩いて倒れる。望みである死を迎えたということか。グルネマンツが自分のコートを脱いで王の体に上下逆にかけ、頭だけ出す。
 パルジファルは聖槍をオブジェの槍と直角にして聖杯の上に置く。そして、袈裟を3枚に裂いて1枚をグルネマンツ、もう1枚をクンドリーに与え、自分も羽織り、奥に立つ僧侶3人に向かってゆっくり歩き始める。紗幕が上がり、騎士たちも3人に続き始めるところで幕。

 いきなり僧侶が登場したのには驚いたが、プログラムでクプファーへのインタビューによると、ワーグナー自身が仏教に強い関心を抱いており、「パルジファル」にはキリスト教世界に対するワーグナーなりの批判も込められているという。彼の演出はこれを踏まえ、パルジファルという英雄による聖杯騎士団の復活物語ではなく、パルジファルは取り返した聖槍をモンサルヴァートまで持ち帰る途中で出会った仏教の僧侶たちの影響を受け、これまでとは違った悟りの道を歩み始めるという解釈になっている。いつもながら彼の作品に込めたメッセージは明確であり、それが舞台と演技に高い完成度で反映されている。

 フランツのパルジファルは、愚か者のときの不安定な響きと覚醒した後の自信に満ちた響きとの使い分けが見事。シリンスは明るいだみ声で、苦悩に満ちたアムフォルタスにぴったり。トムリンソンはさすがに疲れが見えたが、バイロイトでヴォータンを歌っていた頃の声の癖が薄まり、渋い響きでグルネマンツによく合う声になっていた。ヘルリツィウスは、高音から低音まで声の響き方にほとんど変わりがなく、苦しそうに声を出す場面が全くと言っていいほどない。素晴らしい歌唱力。ボークは明るい声で張りがあり、楽天的なクリングゾル。長谷川も外国人組に引けを取らない立派な歌いぶり。

 飯守の指揮はショルティやレヴァインとタイプが似ており、強調したいフレーズなどでしばしばブレーキをかける。これを神秘的な演奏と観ることもできるが、私としてはもう少し音楽がスムーズに流れてほしいと思う。ただ、節目でオケの響きをまとめ上げていく手腕はさすが。第1幕後半の騎士たちの合唱や第3幕でグルネマンツがパルジファルを讃える場面など、しばしば鳥肌が立った。
 東フィルは、第1幕こそ響きの濃淡の変化がスムーズにいかなかったり、和音の一部が落ちたりしていたが、第2幕以降だんだんまとまりが出てきて、第3幕終盤には心洗われる美しい響きに。ただし、ティンパニのバチの選択は再考すべき。C−G−A−Eのテーマでフォルテになるほど音がつぶれてしまう。
 合唱も気合の入った充実のハーモニー。ただ、花の乙女も含め女声はほとんど舞台裏から歌わねばならないのは、少々気の毒。聖餐式の場面の女声合唱はテープ使用か?

 最後にもう一つだけ、おそらく飯守監督のこだわりと思われる変化を指摘しておきたい。オペラカーテンの使用である。これまた、世界の歌劇場では当たり前のことなのだが、いつの頃からか、新国のオペラ公演では黒い緞帳が使われることが多くなっていた。だから、休憩前のカーテンコールがほとんどなかった。しかし、この日は各幕全てカーテンが閉じ、全てカーテンコールが行われた。これがあるだけで「ああ、今日はオペラを観たぞ」という実感のわき方がどれほど違ってくることか。

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