新国立劇場「三文オペラ」
○2014年9月11日(木)19:00〜22:25
○新国立劇場中劇場
○2階3列番(2階3列目中央やや下手寄り)
○メッキー=池内博之、ポリー=ソニン、タイガー=石井一孝、ルーシー=大塚千弘、シーリア=あめくみちこ、ジェシー=島田歌穂、ピーチャム=山地和弘他
○宮田慶子演出、音楽監督=島健

ポリーが「三文オペラ」を演出したら

「三文オペラ」は不思議な作品である。「オペラ」と名が付いていながらオペラでなく、ミュージカルでも演劇でもなく、あえて言えば「音楽劇」なのだろうが、その多面性あるいは曖昧さゆえにオペラ界と演劇界の双方でしばしば取り上げられる。私にとっては、1993年ケルン演劇場の来日公演を観て以来なかなか行く機会がなかったが、2000年以降に限ってもほぼ毎年日本国内どこかで取り上げられる人気作である。そして今シーズン、いよいよ新国で上演するとあっては行かないわけにはいかない。7割程度の入り。

 舞台は両端手前から中央奥へ伸びる一対の階段。中央は切れている。それぞれ2か所にある踊り場の高さは左右でずれている。階段に沿って鉄骨の柱が数本、いずれも途中で切れている。下手端に電球で囲まれた掲示板、そこにナンバーが示される。

 序曲に続き、第1幕はフィルチがヴァイオリンで奏でる「メッキースのバラード」のテーマから始まる。2音続くAの前にHの装飾音を2回とも入れるのが、なかなか粋。登場人物たちが代わる代わるメッキースのことを歌う。いつの間にか本人が現れ、歌の終盤にようやく人々が気付いた途端に下手へ消えてゆく。
 ピーチャムの店の場、天井からぼろ服が満艦飾のように吊るされ、その上には「汝の隣人を愛せよ」「時は金なり」など聖書から取られた(中には怪しいものもある)英語のプラカードが所狭しと掲げられている。舞台上にもぼろ服などを吊るしたワゴンが並べられる。中央手前には切り穴。シーリアはそこから登場。
 メッキースとポリーの結婚式の場、下手階段下に鞍をかけられたバーがあることで馬小屋らしきことがわかる。上手階段下から屋敷の壁の一部や足の長いチェンバロなどが運ばれてくる。チェンバロはそのままではテーブルにならないので、鋸で足を短くされる。花嫁衣装のポリー。
「海賊ジェニーの歌」では、静かに歌い始めたポリーの気持がだんだん高ぶり、テーブルに上がると、子分たちが一斉にテーブル上の料理や皿や燭台などを持ってよけ、下りると戻す。またポリーが上がるとまたよける。
 階段の間には白い幕、それが下されると奥から天蓋付きベッドが前に引き出され、2人の初夜となる。
 ピーチャムの店の場、娘をメッキースに寝取られ怒る夫妻の下にポリーが帰ってくる。水色地の中央に白い縦の線が入ったワンピース姿。得意げに「バルバラ・ソング」を歌うポリーの仕草を不愉快そうに真似するピーチャム。続いて3人のトリオで第1幕のフィナーレ。
 第2幕、中央に天蓋付きベッド。メッキースとポリーの別れの場面。ポリーはワンピースに白いコートを羽織る。
 上手の階段にジェニー登場。シーリアは彼女に密告をそそのかし、上手へ退場。上手手前の丸穴からフィルチが「メッキースのバラード」のテーマを弾くが、ジェニーにうるさがられて引っ込む。そのままジェニーは踊り場まで上がって「海賊ジェニーの歌」を歌う。さっきポリーが歌ったのとは別の曲みたい。ここで暗転になり、休憩。

 後半、まずはジェニーの娼婦宿の場。上手にソファ、奥にオペラカーテン風の長い幕。子分の1人、ジェーコブが今夜は親分は来ないと安心しきって娼婦たちと戯れていると奥からメッキース登場。ジェニーは彼の手相を見た後、1人で出かける。「ヒモのバラード」は途中までメッキース1人で歌うが、ジェニーが戻ると歌に加わる。2人の仲がいつものいい感じになったところで、警察が踏み込む。
 折り畳み式の牢が中央で広げられる。奥から連行されたメッキースはそこに入れられる。中には丸椅子一つ。ただし、牢の格子の目が荒く、人間が悠々通れるほど。ピンクの衣装のルーシーが駆け込み、一時牢の中に入る。後から来たポリーと「焼き餅の二重唄」。ルーシーは途中から上着を腹の中に入れて子供ができたふりをする。
 ようやく2人が去った後メッキースは警官のスミスを騙して脱走、代わりにスミスが牢に。それを見つけた警視総監タイガーは喜んで彼に抱きつくが、下手からピーチャム登場。話が違うと再逮捕を求めるが、拒否されると女王の戴冠式に乞食たちのデモ行進を起こすと脅し、下手階段踊り場から退場。
 牢は撤去され、乞食や娼婦たちが世の中の不条理を歌うフィナーレ。
 そのまま切れ目なく第3幕、ピーチャムの店。デモ行進の準備をしているとジェニーと娼婦たちが密告の報酬を求めてやってくる。シーリアは拒否、もみ合いになっていると、地下からピーチャム登場。再度の密告を求める。
 そこへタイガーと警官たちが踏み込み、乞食と娼婦たちを捉えて連行しようとするが、ピーチャムの合図で乞食たちは缶を叩いて反撃。その間にジェニーだけは上手階段の上の踊り場へ。
 警官たちが追い出され、乞食たちが刑務所へ向かって去った後、1人残ったジェニー。下手階段下に座るフィルチの手回しオルガンに乗って「ソロモン・ソング」を歌う。
 暗転後下手踊り場だけ明るくなる。ルーシーの部屋。丸テーブルと後ろに古代ギリシャ風の彫像。ポリーが訪ねてくると知り、丸いクッションをお腹の中に入れる。話し合ううち仲直りすると、クッションを腹から出す。
 先の牢屋の半分だけの檻が舞台手前を三角に区切り、独房となる。そこに後ろ手に縛られ、はだけたシャツ姿のメッキースが入れられる。最後の食事のアスパラガスを口で直にかぶりつく。
 分かれていた階段の間に板が渡され、絞首台となる。天井から縄が下りてくる。メッキースは警官たちの連行を振り払い、自分で下手の階段を上り始める。途中で「人々に許しを乞うバラード」を歌う。
 メッキースが絞首台に達し、縄を首にかけたところでピーチャムが客席を向き、彼のナレーションでどんでん返しとなる。中央からタイガーが巻物を持って登場、恩赦を告げる。人々はメッキースを祝福するが、ピーチャムとジェニーは両端で冴えない表情。

 作品中最も有名な「メッキースのバラード」はカーテンコールで流されるが、本編全体における音楽的存在感は薄い。

 何と言っても大河ドラマ「黒田官兵衛」で安国寺恵瓊を演じる山地和弘のピーチャムと、あめくみちこのシーリア夫妻の息の合った悪人ぶり、そして島田歌穂のジェニーの存在感が圧倒的。しかし、彼らに渡り合うべき池内博之の発声が不安定。見た目はメッキースにぴったしなのに。ポリーを演じるソニンは、途中で鼻血が出るアクシデントがあったらしいが、それを抜きにしても、幼児風の甲高い声と中低音とのギャップが気になる。コミカルな演技はいいが、メッキースを愛する一途さが伝わってこない。ポリーはウブだが軽薄な女ではないはずだ。
 ジェーコブのおかやまはじめ、スミスの佐川和正など、脇役陣のちょっとした演技にも味があり、見応え十分。

 楽器編成はほぼオリジナルのものだそうだ。9人という小編成で弦楽器はバンジョー&ギターの1人しかいないが、いい意味で?貧乏臭くて各ナンバーによく合っている。

 宮田の演出だが、人物の動かし方などに手堅さは感じるものの、「2014年9月に新国立劇場で「三文オペラ」を上演する意図」がどこにあるのか、残念ながら伝わってこなかった。1920年代に一世を風靡した作品が、現代においてなお革新性を有するのか、有するとしたらそれはどこにあるのか?プログラムの鼎談で「オリジナルでこんなに面白いんだよっていうのを、お見せしたいんですよ」と語っていたが、これって「よく見れば、本当はいい人なのよ」とばかりにメッキースのことを両親に理解してもらおうと主張するポリーの姿と重なるのではないか?そのようなウブなアプローチが、少々のことでは心を動かされなくなった21世紀の聴衆に対して通用するのだろうか?

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