ザ・プロデューサー・シリーズ 木戸敏郎がひらく「21世紀の応答」
○2014年8月30日(土)18:00〜20:00
○サントリーホール
○2階LC5列3番(2階下手中央寄りのサイド5列目)
○シュトックハウゼン「リヒト」より「火曜日」第1幕「歴年」(洋楽版、日本初演)
 天使(ミヒャエル)=鈴木准、悪魔(ルツィファー)=松平敬、レフェリー=高橋淳、舞人=清水寛二、武内靖彦、竹屋啓子、松島誠
 シンセサイザー=鈴木隆太、白石准、高橋ドレミ、ピッコロフルート=井原和子、斎藤和志、齋藤光晴、ソプラノサックス=大石将紀、江川良子、冨岡祐子、アンヴィル=岩見玲奈、ボンゴ=村居勲、バスドラム=山本貢大、電子ハープシコード=白石准、ギター=山田岳
 音楽監督=カティンカ・パスフェーア
 演出=佐藤信

 三輪眞弘「59049年カウンター−2人の詠人、10人の桁人と音具を奏でる傍観者たちのための−」(世界初演、サントリー芸術財団委嘱)
 LSTチーム=松平敬、横浜都市文化ラボ桁人チーム
 MSTチーム=高橋淳、横浜都市文化ラボ桁人チーム
 Fl=斎藤和志、斎藤光晴、サックス=大石将紀、江川良子、冨岡祐子、Va=飯野和英、Vc=宇田川元子、シンセサイザー=鈴木隆太、白石准、高橋ドレミ、Perc.=岩見玲奈、村居勲、山本貢大


笑う雅楽、泣く洋楽

 この日は、28日に演奏された「歴年」を「リヒト(光)−週の7つの日−」という大作オペラに改作した版が演奏される。意外なようだが日本初演。舞台は28日とほとんど変わりがない。異なるのは、奏者の並ぶ所と床の数字が「2014」となっていることだけ。7割程度の入り。

 以下、雅楽版との違いを中心に記す。
 スクリーン上段には、開演前からデジタル表示の時刻が秒単位で表示されている。下段には、ドイツ語の歌詞やセリフの訳文が表示される。
 天井からカランコロンと鐘が鳴ると、まずLAブロックに白の上下の天使ミヒャエル、RAブロックに黒の上下の悪魔ルツィファーが現れ、最前列まで下りてくる。スクリーンには両者の姿が左右並べて映し出される。時の流れを止められるか否か、ルツィファーが勝負を挑み、ミヒャエルが受けて立つ。
 下手からダークスーツ姿のレフェリーがストップウォッチを持って登場。黒の上下でスマホを見つめる4人の男女が続く。男女は上手へ退場。
 続いて舞人が登場。洋楽版では「奏者」と呼ばれ、1年の走者は黒シャツ、黒ズボンの男、10年の走者は黒のワンピース、ロングスカートの女、100年の走者は「仮面ライダー」の死神博士風の男、1000年の走者は紋付羽織の男。4人はそれぞれ「2014」の数字の上を踊り始める。1年の走者はせわしなく行き来する動きが中心だが、4の数字は「L」と「|」が組み合わされており、「|」の上半分には行かない。10年の走者はフラメンコ風の動き。走者たちが踊り始めると、スクリーンには海沿いの石油コンビナートの映像が流れる。

 277年の花束の誘惑では、礼服姿の男と女が交互に走者に花束を渡そうとするとき、ルツィファーが「○○の走者に花束をどうぞ」と歌い、これにミヒャエルが「受け取らないでしょう」といった否定で答える。拍手を求める少女のセリフもドイツ語。
 再開後、スクリーンは青々と茂る田んぼの風景。226と327の間で1年と10年の走者の動きは止まる。止まった数字は色付きの光が当てられる。以後は100年走者のソロとなり、後方のピッコロ走者も1人立って演奏。
 363年と474年の間における御馳走の誘惑では、ワゴンまで行かなかった1000年の走者も含め、ライオンに尻をかまれる。
 再開後、スクリーンは別の海沿いの石油コンビナートが映し出される。
 523年の誘惑では、チンパンジーがバイクを運転して登場。1,10,100年の走者が寄ってきてクラクションを鳴らすが、バイクと共にポーズをとる前に、すかさず天使が1000億円札のプラカードを持って奏者たちを元へ戻す。
 再開後しばらく全員で舞う。スクリーンには都会の夜の交差点の映像。信号が変わるたびに多くの車が行き交う。しばらくすると、10年走者のソロとなり、100年走者と1年走者は止まる。
 その動きは666年で遮られる。ワゴンに乗った女が登場。歌詞では「素っ裸」と歌っているが、白いコートの下に白の水着姿。白い靴を投げ上げ、ワゴンを押す男が受け止める。コートも脱ぎ、水着姿で走者たちを順に誘惑し、彼らが動揺し始めたところに雷鳴。女は逃げ去る。スクリーンも落雷で停電したかのように真っ暗になる。天井の裸電球が少しずつ明るくなるにつれ、スクリーンには太陽のぼやけた映像にたくさんの文字などが混線し、やがて太陽の光が映る波の映像となる。
 走者たちのゴールインは1977年だが、ゴール後表示板が一気に2014に変わる。何だかごまかされた気分。

 レフェリーが走者を発表。10年走者と10年担当の奏者たちが選ばれ、走者に花束が贈られる。また、「サントリー芸術財団特別賞」が他の走者にも授与される。1000億円札も10年走者に贈られる。
 退場の場面では、1000年走者担当のシンセサイザー奏者たちは、外側が赤く塗られた鍵盤ハーモニカのような楽器、チェンバロ奏者も同じようなキーボードを持ち、バスドラム奏者は肩から下げる大太鼓に持ち替え。走者と奏者たちは2014のプラカードを先頭に客席に降り、下手側へ退場。1人残ったレフェリーは聴衆を次回の歴年に招待。すると、ライオンが出てきて尻をかまれ、下手へ退場。
 最後にステージ両脇からミヒャエルとルツィファーが登場、さらに戦いが続くことが示される。

 カーテンコールは、途中まで28日と同じ順序だったが、舞人たちがまとまって出てきた28日と異なり、この日は舞人は奏者と一緒になって登場。

 28日の雅楽版に比べ、いかに緻密な音符を指示しても、洋楽版の方がはるかに音の密度が薄くなっている。言い換えれば現代日本人の耳にはわかりやすく整理された和音で聴こえる。古代の楽器はおそらくどこも雅楽の楽器のようなものだったはずだが、そこからヨーロッパ人が音楽を単純化、規則化、体系化する中で楽器もより明瞭な響きになっていった。それは「クラシック音楽」の発展と世界的な普及につながったが、20世紀に入ると限界に達し、シェーンベルク以降シュトックハウゼンを含む現代音楽へと変化していった。しかし、その変化はそもそも雅楽の楽器に代表される、古代の響きに戻ろうとする動きに過ぎなかったのではないか?
 同じはずの音楽を洋楽器で聴くことで、今さらながらそんなことを考えさせられた。
 劇の進め方にしても、洋楽版の方が言葉の説明が多い。これも話の筋の理解には役立つが、神秘性が雅楽版より損なわれる感じは否めない。しかし、それでも初演の演奏を聴いた欧米人は十分「和風」に聴こえたのだろう。

 後半の三輪の新作、数字の表示板は「2011」が示されている。奏者たちは開演前から三々五々集まり、雑談したり記念撮影したり、傍観者らしく?振る舞っている。両端に打楽器奏者、と言ってもPCなどを使った電子音で演奏。
 如意棒のような棒を持った2人の「詠人」(歌手)と、「桁人」と名付けられたパフォーマーたちが登場。全員福島第一原発の事故処理に当たる作業員のような白い防護服を着ているが、詠人はフードを外しており、桁人たちは半袖。桁人たちは防護服の下に5色×2組のベストらしきものを着ている。
 スクリーンには「西暦0年」という表示と、その上に右回りまたは左回りの5色×2組の矢印が横1列に並んでいる。作曲者によると、桁人たちは「蛇居拳舞楽」と呼ばれる規則に従い、右回り、対角線、左回りのいずれかの動きをすることになっている。演奏中スクリーンの表示は右回り、まっすぐ上向き、左回りのいずれかの矢印になり、その矢印に従った動きを桁人たちがするということらしい。
 詠人2人が棒を高く上げ、次に下へ降ろすと棒の中を水が流れるような音がする。スクリーンの表示に従って桁人たちが動き始め、様々な数の暦年が表示される。
 桁人たちは順に詠人に短冊を渡す。そこには、藤井貞和の詩「ひとのきえさり」の1節(7音×7節×7章でできている)が書かれており、渡された詠人が順に歌っては紙を投げ捨てる。その間奏者たちはミニマル風の音楽を奏でる。それはときどき途絶えかけるが、銅鑼の音で再開される。最後は最初の水の音に戻る。

 作曲技法としては、シュトックハウゼンに近い、つまり、ほぼ完全に西洋音楽的技法である。そこに日本人の詩が歌われることで何らかの独自性が発揮されるはずだったのだが、残念ながら何を歌っているのかほとんど聞き取れなかった。今後の工夫を期待したい。

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